第2話:初スパチャは家賃1ヶ月分

 カッ、とモニターが赤く染まった。

 フリーズしていた画面が動き出し、とてつもない派手なエフェクトと共に、コメント欄の上部が固定される。


 ¥50,000


 赤スパ(レッド・スーパーチャット)。

 YouTubeにおける投げ銭の、ほぼ最高額に近い数字だ。


『……へ?』


 配信画面の中のルナちゃんが、口をポカンと開けて固まった。

 そして。


『ひゃあああっ!?』


 壁の向こうから、何かがひっくり返るような音と、素っ頓狂な悲鳴が聞こえた。

 あまりの声量に、俺の部屋の壁が少し振動したレベルだ。


 俺はヘッドホンを外し、壁に耳を当てる。


「……うそ、うそでしょ? ご、ごまん? 五万って、あの五万?」

「いち、じゅう、ひゃく……ゼロ四つ……いや、バグ? これスパム?」


 彼女の慌てふためく生声が丸聞こえだ。

 普段のクールな「氷の令嬢」からは想像もつかない、素晴らしい狼狽ぶり。

 俺は、思わず口元を緩めた。


(……効いてるな)


 俺が投げたのは500億ではない。

 いきなりそんな額を投げたら、彼女は怖がって配信をやめてしまうかもしれないし、アカウントがBANされる可能性もある。

 だから、冷静に計算した。


 彼女が昨日、スーパーで「もやし」を買っていた理由。

 そして、このボロアパートの家賃。

 管理費込みで、4万8千円。


 つまり、この5万円は、彼女の「一ヶ月分の生存権」だ。

 もやし生活から脱出し、人間らしい食事をして、来月もここに住んでいいという許可証。

 それが、効かないわけがない。


『あ、あの! Apolloさん!?』


 ようやく正気に戻ったルナちゃんが、画面に向かってお辞儀をした。

 アバターの頭がカクカクと激しく上下する。


『こ、これ、桁間違えてませんか!? 五百円のつもりでゼロ二つ多く押しちゃったとか……! 返金申請できますから! 今すぐしてください!』


 いい子だ。

 普通なら狂喜乱舞するところを、まずリスナーの財布を心配する。

 そんな彼女だからこそ、俺は推しているのだ。


 俺はキーボードを叩いた。


Apollo: 『間違ってない。晩飯代と、家賃だ』


 送信。

 再び、壁の向こうで息を呑む気配。


『や、家賃……? なんで家賃の値段知ってるの……?』


 おっと。

 少し踏み込みすぎたか。

 相場より少し高いこのアパートの家賃をピンポイントで言い当ててしまった。

 ストーカーだと思われるのはまずい。俺は「神様」であって「不審者」ではないのだ。


 俺は素早く追撃する。


Apollo: 『相場からの推測だ。吸血鬼がもやし食ってるのは見てられないからな』


『うぅ……ありがとうございます……! アポロさん……!』


 ルナちゃんが、画面の中で両手で顔を覆った。

 アバターには反映されていないが、その声は少し潤んでいるように聞こえた。


『本当に……助かります。今月、電気も止まるかと思ってて……。これで、明かりがつきます』


 切実すぎる感謝。

 俺の胸の奥が、チクリと痛んだ。

 たかが5万だ。俺の手元にある500億からすれば、砂粒ひとつにも満たない端金。

 信号機の色を変えるどころか、ちょっといい寿司屋に行けば消える金額。


 でも、その端金が、一人の少女の「闇」を「光」に変えた。


「……なるほど」


 俺は椅子に深くもたれかかった。

 これは、面白い。

 数字という無機質なデータが、壁一枚隔てた向こう側で、温度を持った「感情」に変換される。

 そのプロセスを、俺は特等席で観測できる。


 これが、神の視点か。


 俺はニヤリと笑い、再び入力欄に指を走らせた。

 まだ、実験は始まったばかりだ。

 生存権は保証した。次は、「生活の質(クオリティ)」を上げてやろう。


Apollo: 『礼には及ばない。だが、そのマイクのノイズは酷いな。歌枠をするなら、機材を一新しろ』


 言いながら、俺は次の赤スパを準備する。

 金額は、10万円。

 高級コンデンサーマイクとオーディオインターフェースの値段だ。


 エンターキーを押す。


¥100,000


『ひゃあああっ!? ま、また!?』


『ちょ、待って! アポロさん!? 石油王なの!?』

『初見で15万は草』

『古参ヅラしてた俺たちが霞むわwww』


 コメント欄が加速する。

 同接数が、30人、50人と増えていく。

 「謎の大富豪が現れた」という噂は、ネットの海を光の速さで駆け巡るだろう。


 俺はそれを眺めながら、コンビニで買ってきた冷えたおにぎりを齧った。

 具はツナマヨ。120円。

 味気ない味だ。

 でも、壁の向こうから聞こえる彼女の興奮した声が、最高のおかずだった。


「……悪くないな」


 500億の使い道。

 俺の隣に住む、このポンコツ吸血鬼を「最強の配信者」に育てる。

 これは、今の俺にしかできない、最高に贅沢な暇つぶしだ。


(つづく)

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2026年1月15日 17:00
2026年1月16日 17:00
2026年1月17日 17:00

疎遠だった叔父の遺産が500億円分のビットコインだった件。使い道がないので、隣の部屋の塩対応な美少女(推しVTuber)に赤スパ投げまくって生活を支援します 月下花音 @hanakoailove

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