第2話

 掠れた声で、無理やり高笑いを浮かべた、その時ですわ。


 ゴゴゴ、ドォォォォンッ!!


 屋敷の屋根が抜けるかと思うほどの、凄まじい雷鳴。

 それと同時に、下の階から、何かが激しく叩き壊されるような音が響いてきましたわ。


 バキィィンッ! ガシャァァン!!


 それは、普段この家を支配している、あのヒステリックな義母の金切り声ではありません。

 無能な兄たちの怒鳴り声でもありませんでしたわ。


「王命である! ヴァレンティーヌ男爵、およびその親族を、国家反逆の疑いで拘束する! 抵抗する者は容赦するな!!」


 ガシャン、ジャリッ、と鋼鉄の擦れ合う硬い音。

 聞いたこともないような野太い男たちの怒声が、階段を駆け上がってきます。


(あら? あらあら、まあまあ。今、なんておっしゃいましたの? 国家反逆? 横領?)


 わたくしの心臓が、ドクンと大きく跳ねました。

 熱に浮かされていた意識が、急速に冷え渡り、将来のお財布事情を心配し始めますわ。

 記憶によれば、この実家は、最近になって妙に贅沢な暮らしをしておりましたの。

 義母はキラキラしたドレスを買い漁り、父は毎晩のように高いお酒に溺れていた。

 その出どころが、どこから来ていたかと考えれば。


(やってしまいましたわね、お父様。こっそりへそくりを溜めるならともかく、国に喧嘩を売るなんて、道端の羽虫だってしない愚行ですわよ!)


 ドタドタドタッ!!

 重たい靴音が、すぐそこまで迫っています。

 わたくしは、咄嗟に薄汚れた布団の中に潜り込みました。

 小さくなった身体が、がたがたと震えます。

 恐怖? いいえ、これは高揚感ですわ。

 だって、こんな泥船、沈むなら早い方がよろしいに決まっていますもの!


 バコォォォンッ!!


 屋根裏の、建付けの悪い扉が、乱暴に蹴破られました。

 木屑が舞い、雨の冷たい匂いが一気に部屋の中へと流れ込んできます。

 そこに立っていたのは、赤いマントを翻した、厳格そうな顔つきの騎士たち。

 その鎧には、王国の紋章が刻まれていました。


「……ここにも、一人いたか。資料によれば、妾の子のセレスティーナだな」


 騎士の一人が、ゴミを見るような視線をわたくしに投げました。

 わたくしは、布団から僅かに顔を出し、潤んだ瞳で彼を見上げましたわ。

 恐怖に震える、小さな肩。

 陶器のような白い肌が、月光に照らされて儚く輝きます。

 これぞ、わたくしが鏡の前で練習した「守ってあげたくなる幼女」の完璧な姿!


(さあ、どう出ますの? わたくし、か弱くて可哀想な、何も知らない六歳児ですわよ?)


「……ふん。こんな汚い場所に放置されていたか。憐れなものだな」


 騎士は、鼻で笑いました。

 そして、わたくしの細い腕を、まるで荷物を扱うような乱暴さで掴み上げたのですわ。


「いたっ……! あら、あらあら。騎士様、そんなに力強く握られては、わたくしの繊細な肌に跡が残ってしまいますわ。将来の美容代、貴方がお支払いしてくださるのかしら?」


「あ……? 貴様、今なんと言った?」


 騎士が、呆気に取られたように目を見開きました。

 いけませんわ。

 つい、いつもの癖で本音が漏れてしまいました。

 今は「泣きじゃくる哀れな幼女」を演じなければならない局面でしたのに。


「……ひっ、あ、あう。いたい、ですわ……」


 わたくしは慌てて、声を震わせて涙を浮かべました。

 騎士は、毒気を抜かれたように首を振り、わたくしを引きずるようにして部屋の外へと連れ出しました。


 階段を降りるたびに、屋敷の惨状が目に入りますわ。

 壁に飾られていた絵画は引き裂かれ、床には義母が大切にしていた花瓶が粉々に砕け散っていました。

 ホールの中心では、父である男爵が、床に這いつくばって騎士の足にしがみついていました。


「待ってくれ! 私は知らないんだ! すべては妻が勝手にやったことで!!」


「見苦しいぞ、男爵! 証拠はすべて揃っているのだ!」


(あらあら、まあまあ。お父様ったら、真っ先に奥様のせいにされるなんて。愛の誓いは、古びた銅貨一枚ほどの重みもなかったようですわね)


 わたくしは、騎士に腕を掴まれたまま、冷めた目でその光景を眺めていました。

 隣では、義母が、髪を振り乱して絶叫しています。

「離しなさいよ、この下等な兵士ども! わたくしを誰だと思っているの!」

 その横で、いつもわたくしをゴミと呼んでいた兄や姉たちが、顔を真っ青にして震えていました。


 騎士団の長らしき人物が、冷徹な声で告げました。


「ヴァレンティーヌ一家は、これより王都の監獄へ連行する。屋敷および全財産は没収だ」


 そこで、彼はわたくしの方を見ました。


「……だが、そこの幼女はどうする? セレスティーナと言ったか」


「決まりによれば、十二歳以下の子供で、直接関わっていない者は、連帯責任の対象外となります。ですが、身寄りもなく、蓄えもすべて失ったこの子供をどうするか……」


(あら。わたくし、命だけは助かるようですわね。神様、貴方は本当に、わたくしに『何もない場所から始めろ』とおっしゃるのね)


 わたくしは、絶望する家族たちの姿を、心の中でポイッと捨てましたわ。

 今まで、わたくしを屋根裏に閉じ込め、薄いスープしか与えなかった、この忌々しい家。

 それが、一瞬にして消えてなくなる。

 最高ですわ。

 これ以上の誕生日プレゼントはありませんわよ!


「……放り出しておけ。王命は『一家の拘束』だ。対象外の子供を養う余分なお金など、我が騎士団にはない」


(あらあら、まあまあ。予算、ですって? そんな理由で、この可憐な六歳児を雨の中に放り出すとおっしゃるの?)


 わたくしは、騎士の手によって、屋敷の大きな門の外へと引きずり出されました。

 ドシャ降り。

 滝のような雨が、わたくしの銀髪を一瞬で濡らし、重たく身体に纏わりつかせます。


 ベチャリッ。


 騎士が手を離した瞬間、わたくしは泥水が溜まった地面へと倒れ込みました。

 お気に入りの……いえ、これしか持っていないボロボロの服が、一瞬で泥色に染まっていきます。

 冷たい。

 雨粒が、まだ熱の残るわたくしの身体を、容赦なく叩きつけますわ。


「……さらばだ、元令嬢。死にたくなければ、どこかで野垂れ死なないよう、精々足掻くことだな」


 鉄の門が、重厚な音を立てて閉ざされました。

 ヴァレンティーヌ家の紋章が刻まれたその門は、もう二度と、わたくしを迎え入れることはないでしょう。


 わたくしは、泥水の中で、ゆっくりと起き上がりました。

 鼻の奥がツンとして、涙が出そうになります。

 ……いいえ、これは熱のせいですわ。

 悲しいからではありません。

 お腹が空いて、身体が冷えて、ただ、あまりにも手間ばかりかかる状況に苛立っているだけですの。


(あらあら。まあまあっ。なんて、無礼な方々なのかしら。お姫様抱っこで安全な場所まで運ぶのが、騎士様の役目ではなくて?)


 わたくしは、泥だらけの顔を上げ、夜空を仰ぎました。

 稲光が、わたくしの濡れた銀髪を白銀に輝かせます。

 家はない。

 お金もない。

 親もいない。

 あるのは、この小さくて非力な身体と、五つの「見習い」スロットだけ。


(ふふ。ふふふ。おーほほほほ!!)

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