没落令嬢セレスティーナ様の冒険者生活

TAC

第1話

 ズキズキと、頭の奥が割れそうなほどに痛みますわ。


 ……あら。あらあら、まあまあ。


 わたくし、先ほどまで何をしていたかしら。

 確か、明日の仕事のために、安物のアサヒ……いいえ、発泡酒を煽りながら、数字の並んだ書類と睨めっこをしていたはずですわ。

 そう、わたくしは日本という国の、ごく普通の、けれど懸命に生きる会社員。

 将来のために、美容代を削ってまで資格の勉強に励んでいた、健気な女性でしたのに。


「……っ、はぁ、はぁ……」


 喉が、焼けるように熱いですわ。

 砂漠を三日間ほど彷徨った後のように、カラカラに乾いて張り付いていますの。

 重たい瞼を、無理やり押し上げました。


 視界に飛び込んできたのは、ひび割れた茶色の天井。

 日本のワンルームマンションにあるような、清潔なクロスではありませんわ。

 埃が何層にも降り積もって、まるで雪解け直後の汚い地面のような、カビ臭い木の板ですわね。


(……あら? ……ここ、どこかしら? ……夢? いいえ、この頭の痛さと、胃の底からこみ上げてくる吐き気は、あまりにも生々しいですわ)


 わたくしは、震える自分の手を見つめました。

 そこにあったのは、書類をめくるために使い古された指先ではなく。

 驚くほどに白くて、細くて、もみじのように小さなおてて。

 ……いえ、お手てですわ。

 まるでお人形さんのような、愛らしい六歳の女の子の身体。


 その瞬間。

 脳内に、濁流のような勢いで「別の記憶」が流れ込んできました。

 セレスティーナ・フォン・ヴァレンティーヌ。

 それが、この身体の名前。

 由緒正しき男爵家の、けれど「妾の子」として蔑まれ、この屋根裏部屋に押し込められていた、可哀想な令嬢の記憶。

 ……いえ、可哀想なんて言っていられませんわ。

 これは、わたくし。わたくし自身の、六年の歳月ですのね。


(……はぁ。……はぁ。……状況をまとめますわよ、セレス。……落ち着きなさいな。わたくしは、あちらで命を落としたのですわね。そして、この世界の不遇な幼女に生まれ変わった。あらあら、まあまあ! カミ様ってば、なんてドラマチックな設定を用意してくださるのかしら!)


 皮肉を吐きながら、わたくしは寝返りを打とうとしました。

 けれど、身体が鉛のように重い。

 どうやら、この幼女としての身体は、ひどい風邪……いえ、知恵熱のようなものを出しているようですわ。

 誰も看病に来ない、冷たい屋根裏部屋。

 お腹は、もう何時間も何も食べていないせいで、きゅるきゅると情けない音を立てています。


(……いけませんわ。このままでは、美肌の基礎となる栄養も、将来への希望も、このカビ臭い床に吸い取られてしまいます。まずは、自分自身にどれほどの「力」が備わっているか確認しなくては……!)


 わたくしは、重たい身体をどうにか起こし、壁に立てかけられたボロボロの鏡を覗き込みました。

 窓から差し込む、激しい嵐の前の不気味な光。

 そこに映っていたのは。


「…………っ!!」


 声が出ませんでしたわ。

 絶句。

 あまりの美しさに、高熱で朦朧としていた意識が、一瞬で氷のように冷えて研ぎ澄まされました。

 膝まで届く、眩いばかりの銀髪。

 それはもう、髪という概念を超えて、月の光をそのまま紡いで作られた絹糸のようですわ。

 そして、潤んだ瞳は、世界で最も深い場所に沈んでいるサファイアのような青。

 頬は少し痩けていますが、その骨格の完璧さは、将来「絶世」という言葉以外で形容することを許さないでしょう。


(……合格ですわ。……大合格ですわ!! ……この美貌さえあれば、将来の優雅なスローライフは約束されたも同然。あとは、この美しさを守るための「力」を手に入れるだけですわね!)


 わたくしは、本能的に理解しました。

 この世界には、人々が神から授かる「職業ジョブ」があることを。

 そして、わたくしの脳裏には、先ほどからチカチカと輝く、異質な光景が広がっておりました。

 わたくしは瞳を閉じ、魂の深淵へと意識を潜らせました。 そこに眠る、わたくしだけの光を呼び覚ますために。


(神よ。わたくしの唯一なる光。……この絶望を塗り替える、あの輝きをお見せくださいまし)


 わたくしは瞳を閉じ、脳内に「それ」を召喚しました。

 前世。死の間際に見た、まばゆい光の奔流。

 一般的な宗教が説くような慈悲深い神様などではない。 もっと合理的で、残酷で、そして――もっと「射幸心」を煽る、究極の仕組み。


 視界が暗転し、巨大な黄金の「祭壇」が浮かび上がる。 それは、荘厳な装飾が施された、巨大な黄金の筐体でした。 五つのリールが並び、それぞれが未知の可能性を秘めて静止している。


 これこそが、わたくしが授かった特権能力。 マルチジョブ・システム『五位一体クインテット・スロット』。


(さあ、回しなさい。わたくしの運命を、未来を、わたくしに力を! 回らなければ、始まらないんですのよ!)


 精神の指先で、重厚なレバーを叩きつけました。


 ――シュパパパパパンッ!!


 脳内に響き渡る、暴力的なまでに高揚感を煽る電子音。 五つのリールが、目にも止まらぬ速さで回転を始め、光の奔流が意識を白く染め上げます。


(あら、いいですわ……。この輝き、最高に期待値が高まっておりますわね!)


 ドゥルルルルルッ!!


 色とりどりのアイコンが、目にも止まらぬ速さで駆け抜けていきます。

 そして――。


 ガギィィィンッ!


 重厚な金属音と共に、一つ目の枠が止まりました。


【見習い戦士(Common)】


 そこに描かれていたのは、少し刃こぼれした、みすぼらしい鉄の剣。

 「戦いの基本を学び、剣や斧を振り回す、力自慢の第一歩」という説明が、頭の中に流れ込んできます。


(……戦士。……あら、おしとやかなわたくしに、そんな野蛮な真似をしろとおっしゃるの? 腕の筋肉が太くなってしまったら、ドレスが似合わなくなってしまいますわ!)


 わたくしが文句を言う間もなく、二つ目のスロットが回り始めます!


 ギュルルルルッ!!


 シュパァッ!


【見習いモンク(Common)】


 止まったのは、固く握られた拳のマーク。

 「己の肉体を武器とし、精神を研ぎ澄ます、格闘者のたまご」ですわ。

 ふん、と鼻を鳴らします。


(格闘家ですって? ……まあ、美肌を保つための基礎代謝を上げるには、適度な運動も必要かもしれませんわね)


 間髪入れず、三つ目が回転!


 ダダダダダッ!!


 ピカァァァン!


【見習いシーフ(Common)】


 今度は、鋭いナイフと鍵開けの道具。

 「素早い身のこなしで敵を翻弄し、隠された宝を見つけ出す、泥棒の卵」……。


(……泥棒だなんて、人聞きが悪いですわ。わたくしのように身寄りのない少女が、この厳しい世界を渡り歩くための「生活の知恵」と呼んで差し上げて!)


 四つ目が、火花を散らしながら回ります!


 バチバチバチッ!!


 ドォォォン!


【見習い魔導士(Common)】


 古びた杖と、小さな火種。

 「世界の理に触れ、魔力を形にする、魔術使いの見習い」。


(あら、魔法! これぞ異世界の醍醐味ですわ! ……でも、火花を散らすのが精一杯だなんて、お誕生日のロウソクじゃありませんのよ?)


 最後、五つ目のスロットが、聖なる光を放ちながら回転!


 シュゥゥゥゥン……。


 パキィィ……!


【見習い聖職者(Common)】


 輝く十字架と、慈愛に満ちた手のひら。

 「神に祈りを捧げ、傷ついた人々を癒やす、聖職者の見習い」。


(……祈るだけでお腹が膨れるなら苦労はしませんわ。でも、将来のスキンケアに「回復魔法」は欠かせませんわね。不老長寿は一日にして成らず。神への祈りこそが、究極のアンチエイジングですわ!)


 脳内に並んだ、平凡すぎる文字の羅列。

 通常、この世界の人間は一つの職業しか就けないはず。

 それなのに、わたくしのスロットは、五つすべてが埋まっていますわ。

 もっとも、すべてが「見習い」という、前世の道端で見かけたミジンコ並みに低いランクですけれど。


(……あらあら、まあまあ。すべて「見習い」ですの? よろしいですわ、セットなさい!)


 五つのスロットが、カチリと一つに噛み合いました。


 パキィィィィィィィンッ!!


 脳内でガラスが粉々に弾けるような音が響き、システムが【アクティブ】に切り替わりました。 その瞬間、全身を熱い衝撃が駆け抜ける! 五つの力の恩恵が、脆弱な子供の回路に無理やり流し込まれ、喉の奥がヒリヒリと焼けるような感覚。


「……っ、あ、ああ……っ!」


 体内で、確実に「気」と「魔力」が細い糸のように循環し始めました。


【五位一体(クインテット・スロット)】

 ・スロット1:【見習い戦士】Lv.1

 ・スロット2:【見習いモンク】Lv.1

 ・スロット3:【見習いシーフ】Lv.1

 ・スロット4:【見習い魔導士】Lv.1

 ・スロット5:【見習い聖職者】Lv.1


(……あらあら、まあまあ。カミ様、貴方はわたくしに、一から泥に塗れて這い上がれとおっしゃるのね? よろしいですわ。手間ばかりかかる、退屈な道。けれど、本物のダイヤモンドは、磨かれれば磨かれるほど輝きを増すものですの。このセレスティーナ、一粒の濁りもない完璧な人生を、自分自身で磨き上げて差し上げますわよ。オホホホ……!)

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