第10話:衝動的買収(ドミネーション)
「――チェックメイトです、エドワード様。いえ、元・雇用主殿と言うべきでしょうか」
商談室の空気は、凍り付いた液体のように重く、鋭かった。 対面に座るエドワード王子は、王室の印章が捺された「商会国有化の勅令」を握りしめ、勝ち誇った笑みを浮かべている。その背後には、大陸最大の物流ギルドの長や、エルザを執拗に狙っていた競合商会の幹部たちが、ハイエナのような目を光らせて並んでいた。
「往生際が悪いぞ、エルザ。この勅令により、貴様の商会、資産、そして『バグ・クリスタル』の全権利は王国の管理下となる。……無能な小娘が持ちすぎた富は、こうして正しく分配されるのだ」
エルザの鼻腔に、エドワードの歪んだ優越感から漏れる、あの「黄金の睡蓮」の香りが届く。だが、今の彼女にはガラムが特注してくれた羊毛の耳当てがある。不快な外界の音を遮断し、研ぎ澄まされた彼女の脳は、すでに「次の十手」を完遂させていた。
「分配、ですか。その言葉、経済学的には『略奪』と呼びます。……レオン、現在の進捗は?」
エルザの隣で、レオンが冷徹な手つきで分厚い帳簿と魔導通信機を操作した。
「――完了しました。誤差、零点零三パーセント。ボスの仰った通り、全弾命中(フルヒット)です」
「何だと……?」
エドワードが眉をひそめた瞬間、エルザの瞳にADHD特有の、爆発的な輝きが宿った。
「エドワード様。あなたが『手続き』という名の鈍亀のような会議を繰り返している間に、私は三つのことを『衝動的に』済ませました。……まず第一に、王国の発行した国債の六〇%を、市場で一気に買い占めました」
「なっ……!? 国債を!? そんな莫大な資金、どこから……!」
「物流革命によって得た先週の利益と、将来の期待配当を担保にした即時借り入れです。……次に、そちらに並んでいる競合商会の皆様。あなた方の株式、先ほど三分前に過半数を取得しました。今この瞬間から、あなた方の商会は私の『支店』です」
競合商会の幹部たちが、弾かれたように通信機を手に取る。悲鳴のような絶叫が室内に響いた。
「嘘だ! 買収手続きには数ヶ月かかるはずだぞ!」
「普通の人間なら、そうでしょうね」
エルザは立ち上がり、机の上の資料を無造作に放り投げた。 散らばる紙片。彼女の脳内では、複雑な資本関係が回路図のように光り、瞬時に組み替えられていく。
「私には、あなたの言う『常識的な手順』を待つ忍耐力が欠けているんです。思いついた瞬間に、レオンに送金術式を組ませ、カイルに裏工作を命じ、ガラムに物理的な圧力をかけさせた。……奪われるのが嫌なら、奪う前に飲み込めばいい。これが私の、超攻撃的な防御(ディフェンス)です」
エルザは一歩、エドワードに歩み寄った。
「あなたは私を『不注意で、衝動的で、組織を乱す爆弾』だと言いましたね。……その通りです。私は、あなたの作った退屈なルールなんて、一瞬で踏み潰してしまう」
「ふざけるな! 勅令は有効だ! 兵を呼べ! 没収だ!」
エドワードが叫ぶ。だが、扉の外から入ってきたのは王室の衛兵ではなく、抜き身の大剣を担いだガラムだった。
「悪いな、王子。あんたの給料(国債)、今は全部うちのボスが握ってるんだ。金が出ない主君に命を張る奴は、この国には一人もいねえよ」
ガラムの低い笑い声が、冷えた室内に響く。 エドワードは顔を真っ青にし、がたがたと椅子を鳴らして崩れ落ちた。
「エルザ様……」
カイルが苦笑しながら、山のような「権利移転書類」をエルザに手渡した。
「まったく、無茶苦茶ですよ。こんな一分一秒を争う買収劇、心臓がいくつあっても足りません。……ですが、これで王国のインフラも、敵対商会も、すべてあなたの手の内(ドミネーション)です」
「お疲れ様、カイル。……レオン、残った国債の処理は任せるわ。国民の生活に影響が出ないよう、金利を最適化して」
「了解です。……しかし、ボス。これだけの国を一つ買い取って、満足ですか?」
エルザは窓の外に広がる、夕闇を照らす魔導ランプの光を見つめた。 かつて自分を追放した城は、今や彼女の灯す光がなければ夜すら迎えられない、小さな箱庭に過ぎない。
「満足? いえ……。血管の血の巡りが良くなったせいか、新しいアイディアが止まらないの」
彼女は、ガラムが用意してくれた「血管をしなやかにするスープ」の温かな余韻を思い出した。 健康な体。 最強の仲間。 そして、自分の「バグ」を最大限に加速させるための、巨大な資本。
「次は、この大陸全体の通信網を書き換えるわ。……カイル、準備して。三分後に出発よ」
「三分後!? まだこの書類の整理が――!」
「行こうぜ、カイル。ボスの衝動に追いつけねえ奴は、置いていかれるぞ!」
ガラムがカイルの首根っこを掴んで笑う。 エルザは、一度も後ろを振り返らなかった。 かつて「役立たず」と蔑まれた令嬢は、今、自らの「特性」という名の翼で、誰よりも高く、誰よりも速く、世界の理を書き換え続けていく。
「――世界は、私が思うよりもずっと、脆くて、そして最適化のしがいがあるわね」
彼女の不敵な呟きが、夜の風に乗って、新しい時代の幕開けを告げた。
【第10話・完】
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