第5話:旧実家の「非効率」な嫌がらせ

「――おい、この『通告書』を見ろ。笑いが止まらんぞ」


レオンが、嫌悪感を隠そうともせずに一枚の羊皮紙をデスクに叩きつけた。エルザの執務室――とは名ばかりの、分解された魔導部品と書き殴りの計算式で埋め尽くされた混沌とした部屋に、冷ややかな空気が流れ込む。


モット侯爵家の紋章が刻印されたその書面には、横柄な言葉が並んでいた。 『当家が伝統的に支配する街道および関門における、エルザ・モット商会の通行を一切禁ずる。また、旧来の運送ギルド加盟店以外との取引を行う不届き者には、厳重な罰則を科す』


「お父様……いえ、モット侯爵ですね。相変わらず、情報の鮮度が古い」


エルザは拡大鏡を片目に嵌めたまま、壊れた懐中時計の歯車をピンセットで弄りながら答えた。彼女の視界には、怒りに震えるレオンも、困り顔のカイルも入っていない。ただ、三・五ミリの金属片の摩耗具合だけが世界のすべてだった。


「エルザ様、これは嫌がらせの域を超えています。我が社の物流網の心臓部を、物理的な権限で封鎖しようという腹です」


カイルが苦々しく付け加える。


「侯爵は、ギルドの重鎮たちを抱き込んで、私たちが運ぶ生鮮食品や資材を関所で足止めするつもりのようです。一日止めれば荷は腐り、私たちの信頼は失墜する……。実に、非効率で陰湿なやり方だ」


「非効率」という言葉に、エルザの指先がピクリと反応した。 彼女は拡大鏡を外し、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、怒っているというより、数学の難問に挑むような、純粋で冷徹な光を湛えていた。


「カイル。お父様は、自分の首を絞めるロープを、自分で丁寧に編んでいることに気づいていないのね」


「……と言いますと?」


「復讐をする必要なんてないわ。そんなことに私のリソースを割くのは、時間の無駄。……ただ、市場を『最適化』すればいいだけ」


エルザは椅子から立ち上がると、壁に貼られた巨大な大陸地図を指差した。そこには彼女が構築した「エルザ・エクスプレス」のルートが、毛細血管のように張り巡らされている。


「侯爵家が抑えているのは、この三つの旧関所。そこを通る荷物の八割は、侯爵家が経営する農園や鉱山からの出荷品よ。彼らは自分の家の荷物を通すために、他人の荷物を止めているの」


「ええ。独占禁止の概念すらない、旧態依然としたやり方です」


「だから、こうしましょう。レオン、今日からわが社の貨物車の運賃を、さらに三〇%引き下げなさい」


「……は!? これ以上下げたら、利益率が――」


「利益を出すのが目的じゃない。侯爵家の領地を『孤立』させるのが目的よ」


エルザの言葉は、氷のように冷たく、刃のように鋭かった。


「旧関所を迂回する新しい空路……いえ、山越えの最短ルートを昨日計算し終えたわ。魔導エンジンの出力を二割上げれば、あの絶壁を越えられる。侯爵家が関所で通行料をせしめている間に、私たちは『より速く、より安く、より確実に』荷物を届ける」


「市場原理、ですね」


レオンが不敵に笑った。


「そうです。商人がどちらを選ぶか、計算するまでもないわ。……そしてここからが本番。侯爵家の農園から出る荷物の輸送を、すべて『拒否』しなさい。我が社のギルド、および協力関係にあるすべての商店において、モット家の刻印がある商品は一切取り扱わない」


「それは……宣戦布告以上の、兵糧攻めだ」


カイルが息を呑む。エルザは無造作に、デスクの上の冷めた紅茶を一口啜った。


「いいえ。ただの『合理的選別』よ。信頼関係を損なう嫌がらせを行う相手と、取引を継続するメリット(期待値)はゼロだもの。……一週間後、侯爵領の倉庫は腐った果物と、売るあてのない鉱石で溢れかえるわ」


一週間後。 モット侯爵家は地獄を見ていた。


「どういうことだ! なぜ誰も我が家の荷を運ばない! ギルドの連中は何をしている!」


豪華絢爛な侯爵家の広間で、エルザの父、モット侯爵が絶叫していた。彼の前には、山のような「契約破棄」の書状が積み上がっている。


「だ、旦那様……。エルザ様の商会が提示する運賃が、我が家の関所を通るコストの半分以下だというのです。商人は皆、関所を迂回するあちらのルートへ流れてしまいました。現在、我が領の関所を通るのは、道に迷った放浪者くらいで……」


「馬鹿な……! あんな無能に、何ができるというのだ!」


「それだけではありません! 我が家の特産品である最高級ワインも、エルザ様の流通網に乗せてもらえず、すべて倉庫で発酵しすぎて酢になりかけております……。あちらの商圏に属する商店が、一斉に我が家をボイコットし始めたのです!」


侯爵は椅子に崩れ落ちた。 彼はエルザを「不注意で空気が読めない娘」だと侮っていた。だから、彼女が感情的に傷つき、泣きながら許しを乞うてくることを期待していたのだ。


だが、現実は違った。 エルザは彼を「憎んで」すらいなかった。 ただ、ビジネス上の「バグ(障害)」として認識し、デバッグするように、効率的に排除しただけ。


その日の午後。侯爵家からエルザの元へ、一通の震えるような親書が届いた。 『通行禁止を解除する。だから、我が家の輸送を再開してくれ』という、プライドをかなぐり捨てた懇願。


エルザは、その手紙を読みもせずに、魔導エンジンの廃熱で動くシュレッダーに放り込んだ。


「……レオン、今のシュレッダーの回転数、少し低いわね。軸受けに油を差しておいて」


「了解です。……で、あの手紙はどうします? 返事は?」


エルザは再び拡大鏡を嵌め、新しい精密部品に向き直った。


「返事? 不要よ。……市場の結論はもう出ているもの。非効率な組織は、自然に淘汰される。それが世界の摂理(ルール)だわ」


彼女の五感は、今、新しい発明の火花だけを捉えていた。 父の怒りも、母の嘆きも、実家の没落も。 それはエルザにとって、実験の過程で出た「塵(ノイズ)」程度の価値しかなかった。


【第5話・完】


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る