第4話:即断即決(ADHD)がもたらす物流革命
「カイル、レオン! 今すぐハンマーと、三番の魔導銀のワイヤーを持ってきて! あと、さっき市場の裏で拾った古い台車も!」
自由都市の一角、借りたばかりの薄暗い倉庫に、エルザの鋭い声が響き渡った。 窓から差し込む午後の光には、激しく舞い上がる煤埃が白く反射している。エルザの頬には黒いオイルが筋を作り、ドレスの袖は無造作に捲り上げられていた。
「エルザ様、落ち着いてください! まだ事業計画の第一段階、市場調査の報告書すら読み終わっていませんよ!」
カイルが数枚の書類を振り回しながら叫ぶ。その後ろでは、新しく加入した会計士レオンが、羽ペンを杖のように握りしめて青ざめていた。
「無理だ。現在の予算配分では、試作機の製造は来月以降と決定したはず。一ペニーの狂いも許さないと言ったのはボスのあんただろう!」
二人の常識的な制止。しかし、エルザの脳内(システム)では、そんな「順序」という名のノイズはすでに消去されていた。
「そんなの待ってられないわ。脳内でシミュレーションは終わったの。あの『バグ・クリスタル』を動力源にして、この調圧弁を組み合わせれば、馬の体力を気にしなくていい『自走する貨物車』ができる。……今、この瞬間に作らなければ、アイディアの鮮度が落ちるわ。熱いうちに形にしないのは、リソースの完全な放棄よ!」
ADHDの強み――衝動性。
彼女にとって、「思いつく」ことと「実行する」ことの間に、壁は存在しない。 エルザは倉庫の床にチョークで巨大な図面を書き殴り始めた。計算式が、幾何学模様が、恐ろしい速度で床を埋め尽くしていく。
「エルザ様、せめて他商会との調整を……。既存の運送ギルドは馬車こそが正義だと信じています。彼らを説得する材料を揃えてからでないと、袋叩きに遭いますよ」
「説得? そんな非効率なこと、誰がするの。……カイル、世界を変えるのは『言葉』じゃない。『既成事実』よ」
エルザは床に這いつくばったまま、顔だけを上げて不敵に笑った。その瞳は、獲物を見つけた猛獣のように爛々と輝いている。
「彼らが会議室で『前例がない』とか『安全性が』とか、カビの生えた議論を繰り返している間に、私たちは大陸中の道を走り抜ける。……明日には、プロトタイプを動かすわ」
「明日!? 馬鹿な、魔導回路の結線だけで一週間はかかる!」
「私がやるわ。私の指先は、今、魔力の流れと完全に同期しているもの」
そこからのエルザは、まさに「暴風」だった。 食事の差し入れも、カイルの小言も、すべてを物理的な風圧で撥ね退けるような集中力。 彼女の指先は、まるで吸い付くように複雑な回路を編み上げていく。不注意でペンを落とし、自分の足元にあるバケツに躓きながらも、その手の中の「核」だけは一ミリの狂いもなく組み上がっていく。
真夜中の倉庫。静寂の中に、キィィィィン……という、耳鳴りのような高周波が響き始めた。 エルザが自作した「魔導エンジン」の心臓部。あの荒野で拾った紫色の結晶が、脈動するように明滅している。
「……接続完了。出力、安定。……カイル、レオン。見て」
眠気に目をこすりながら見守っていた二人が、息を呑んだ。 ボロボロの台車に無理やり積み込まれた金属の塊。それが、馬もいないのに、独りでに車輪を回転させ始めたのだ。
「動い……た……。本当に、たった一晩で……」
「これが『エルザ・エクスプレス』の第一号。二十四時間、餌も眠りも必要とせず、魔力が切れるまで走り続ける怪物よ」
翌朝。自由都市の物流ギルドが「新事業の許可申請に関する予備会合」を開く一時間前。 彼らが重厚な会議室の椅子に深く腰掛け、茶を啜りながら「例の追放令嬢とやらを、どう鼻であしらってやろうか」と相談していたその時。
窓の外から、聞いたこともない重低音が響いてきた。
「なんだ、この音は……!? 地鳴りか?」
ギルド長が窓を開け、路下を見下ろした。 そこには、馬を繋いでいない巨大な貨物車が、白煙を上げることもなく、滑らかに、そして驚くべき速度で石畳を駆け抜けていく姿があった。
荷台には「エルザ・モット商会」の紋章。 そして御者台には、オイルまみれで、しかし最高に楽しそうに笑うエルザが立っていた。
「おはようございます、皆様! 会議の議題を一つ減らして差し上げに来ました! 『許可が必要か否か』という議題は不要です。……もう、走り始めちゃいましたから!」
エルザの声が街中に響き渡る。 混乱するギルドの重鎮たちを置き去りにして、魔導貨物車はそのまま都市の門を抜け、隣国へと続く街道へと消えていった。
「……あいつ、本当にやりやがった……」
レオンが、手元の真っ白な帳簿を見つめて呟いた。 「来月からの収益予測」と書かれたページを、彼はその場で破り捨てる。
「レオン、何をしてるんですか?」
カイルの問いに、レオンは震える手で新しいページにペンを走らせた。
「計算の前提が変わった。……『二十四時間止まらない物流』だ。この大陸の富の総量が、これから一分ごとに倍増していく。……追いつけるか、カイル。あのボスのスピードに」
「……やるしかないでしょう。僕たちが彼女の『ブレーキ』になろうなんて、最初から間違いだった。僕たちは、彼女が突っ走るための『舗装路』にならなきゃいけないんだ」
数日後。大陸中の主要都市はパニックに陥っていた。 エルザの貨物車は、従来の馬車の三倍の速さで、かつ夜通し走り続け、生鮮食品を、最新の情報を、そして「新しい時代の予感」を各地にバラ撒いた。
他社が「安全性を確認するための委員会」を発足させたとき、エルザはすでに大陸の主要路線の六割に自社の給魔所(ステーション)を設置し終えていた。 慎重さは、この圧倒的な「速度」の前では、ただの停滞でしかなかった。
エルザは、街道の終着点で見渡す限りの地平線を眺めながら、パンの屑を口の端に付けて笑った。
「ねえ、カイル。世界って意外と狭いわね。……私の衝動(スピード)に、誰も追いつけないんだもの」
彼女の頭の中では、すでに貨物車の次は「空」を、そして「情報」を繋ぐ回路図が、激しく、美しく火花を散らして描かれていた。
【第4話・完】
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