第2話:ハイパーフォーカスが見抜く「世界のバグ」
城を追放されてから三日。エルザの喉はカラカラに乾き、ドレスの裾は泥と茨でボロボロになっていた。しかし、彼女の瞳には疲労の色など微塵もなかった。
「……あ。見つけた。またこれ。五個目、いや、六個目」
隣国の国境に近い、赤茶けた岩肌が剥き出しの荒野。エルザはその場に這いつくばるようにして、地面に転がっている拳大の石を拾い上げた。
表面はゴツゴツとしていて、くすんだ灰色をしている。一見すれば、どこにでもあるただの火成岩だ。この国の高名な鑑定士たちがこれを見れば、「魔力の欠片も宿っていない、建築資材にすらならないゴミ」と吐き捨てるだろう。
だが、エルザの視界(システム)では、その石は「燃えるような紫の脈動」を放っていた。
「……っ。やっぱり、そう。これ、みんな間違ってる」
彼女は石を顔の数センチまで近づけ、凝視する。瞬きを忘れた瞳が、石の表面の微細な亀裂、そこから漏れ出るわずかな熱量、そして結晶の配列を、深海まで潜るようにして解析(スキャン)していく。
ASDの強み――ハイパーフォーカス。
一度「興味」のスイッチが入れば、脳内の全リソースがその一点に注ぎ込まれる。空腹という信号は「ノイズ」として遮断され、喉の渇きという警告も「優先順位低」として破棄される。今、エルザの世界には、この「石」と自分しか存在しなかった。
「普通の鑑定魔法は、石の『表面の魔力』しか測らない。だから、この子が中でどれだけ高純度の魔力を、真空パックみたいに閉じ込めているか気づかない。……バカね、みんな。表面が静かなのは、保存性能が完璧だっていう証拠なのに」
エルザは喉の奥で、クスクスと乾いた笑い声を漏らした。 指先で石の特定の一点――結晶の結合が最も脆い「急所」を探り当てる。
「ねえ、見せて。あなたの本当の姿。……私の仮説が正しいなら、ここを叩けば、世界がひっくり返るわ」
彼女は近くにあった鋭い石をハンマー代わりにして、拾った石の「急所」へ向かって迷いなく振り下ろした。
パキィィィィン――ッ!
乾いた、しかし透き通るような高い音が荒野に響き渡った。 砕けた灰色の外殻の中から現れたのは、沈む夕日を吸い込んだような、毒々しいまでに鮮やかな深紫色の結晶体だった。
「……きれい。予測誤差、零点零二パーセント以内。完璧だわ」
エルザはその結晶を太陽にかざした。 それは「魔石」などという生易しいものではなかった。既存の魔法学では、魔力は常に大気中へ漏れ出していく性質を持つとされる。だが、この結晶体――エルザが「バグ・クリスタル」と名付けたそれは、一度注入された魔力を内部の幾何学構造の中に永遠に閉じ込め、劣化させずに保存できる、いわば「魔法の永久電池」だった。
「これがあれば、一発撃ったら空になる魔導杖も、一晩で切れる街灯も、全部過去のものになる。……この荒野は、ただのゴミ捨て場じゃない。世界最大の『エネルギー貯蔵庫』だわ」
歓喜が、鳥肌となって全身を駆け抜ける。 あまりの興奮に、エルザは自分の唇が震えていることに気づいた。
「エルザ様! どこにいるんですか! ……エルザ様!」
背後から、荒い息を切らせてカイルが駆け寄ってきた。彼は王宮からエルザを追いかけてきた数少ない「お人好し」であり、今や彼女の無謀な旅に同行する唯一の従者となっていた。
「……はぁ、はぁ! 急に走り出したかと思えば、こんな岩だらけの場所で……。何をして……っ、その石、何ですか? 紫色に光って……」
「カイル、見て。これ、宝物(リソース)よ」
「宝? いえ、それはこのあたりで『呪いの石』と呼ばれている、魔力を吸い込むだけの役立たずの石じゃ……」
「『役立たず』? 最高の褒め言葉ね」
エルザは立ち上がり、砂埃を払うこともせずにカイルに詰め寄った。その距離が近すぎて、カイルは思わず一歩引く。
「カイル、あなたは『魔法が消えない世界』を想像できる? 今の魔法師たちは、魔力が漏れるのを防ぐために、必死になって巨大な魔法陣を描いているわ。でも、この子がいれば、そんな無駄なコストはいらなくなる。……この石一つで、王国の国家予算一年分の魔力を、ポケットに入れて持ち運べるようになるのよ」
「……っ。何を、馬鹿な……」
「私は馬鹿じゃない。数字と組成がそう言っているわ。……ねえ、カイル。今のうちに、この土地を全部買い占めて。私の宝石(ドレスの裏のダイヤ)を全部売っていいから。一刻も早く」
ADHDの強み――即断即決。
「えっ? 買い占めるって、この不毛の荒野を!? 狂っていますよ。ここは農作物も育たないし、家畜も死ぬ場所だ」
「だからいいのよ。誰も価値に気づいていないうちに、独占する。……市場がこの石の『バグ』に気づいたときには、もう手遅れにさせてあげる。世界のエネルギーの蛇口は、全部私が握るの」
エルザの言葉は、熱に浮かされているようでありながら、その論理には一切の揺らぎがなかった。カイルは彼女の瞳を見た。そこには、王宮で「無能」と蔑まれていた令嬢の影などどこにもない。
「……分かりました。正直、あなたの言っていることは理解不能ですが、その『確信』だけは本物のようだ」
カイルは溜息をつき、しかしその口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「ただし、条件があります。エルザ様、あなたは今すぐ水を飲み、この保存食のパンを食べてください。さもなければ、土地を買い占める前にあなたが餓死します。……さっきから胃の音が鳴っているのに、気づいていないでしょう?」
「……胃の音? ……あ、本当だ」
エルザは初めて、自分の腹部が激しく自己主張をしていることに気づいた。集中が解けた瞬間、重力が増したかのような猛烈な倦怠感と空腹が彼女を襲う。
「……パン。必要。……優先順位、第一位に変更」
「はいはい。さあ、座ってください」
カイルが差し出した硬いパンを、エルザは無作法に頬張りながら、しかしその目は依然として手の中の紫の結晶を離さなかった。
「……ねえ、カイル」
「何ですか、口にパンを詰めたまま喋らないでください」
「私を追放した人たち……。今頃、一生懸命に『穴の開いたバケツ』で水を汲むみたいな、無駄な魔法の練習をしているんでしょうね」
エルザは、夕闇に包まれ始めた王国の方向を振り返り、ゾッとするほど冷ややかな、それでいて純粋な笑みを浮かべた。
「可哀想に。……バケツの底を塞ぐ方法(これ)を、捨てちゃったのに」
彼女の頭の中では、すでにこの荒野に巨大な精錬所が建ち並び、大陸中の馬車が魔導エンジンに置き換わり、自分を笑った者たちが「灯りをください」と泣きついてくる未来図(設計図)が、一兆ビットを超える精度で完成していた。
構造的勝利へのカウントダウンは、今、このゴミ捨て場から始まったのだ。
【第2話・完】
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