第4話 キャンプ

 (何が面白いのか、全くわからない...)


彼は不機嫌を隠しもせず、仏頂面で斜面の落ち葉を踏んで歩いていた。

歩いて来る途中で拾った木切れは、長さはあるものの細い。

到底杖の代わりなど出来ないから、行く手の邪魔になる枝葉をそれで払って進んだ。

彼は周りに人がいないのをいいことに、ひゅんひゅんと音が出るほど枝をしならせ振り回して、嫌いなキャンプにまたもや連れて来られた憂さを晴らしていた。


 榊原和幸の父、和磨がキャンプに凝りだしたのは、”和幸”が小学校三年生の秋だった。

それから二年の間、和磨のキャンプ熱は衰えず、月に一度か二度の週末キャンプですら十分に鬱陶しかったのに、今回はほぼ一週間の長丁場だ。


(いい加減にしてくれないかな。)


彼は更に力を込めて枝を振り、目の前に枝葉がなければ木までも鞭打った。


 ”雑巾”が和幸になり、和幸が”雑巾”に代わってしまってから、三度の夏が過ぎた。

この春休みが終われば”和幸”は初等部の五年生になる。

あのお泊まり会があった夏が終わったタイミングで、”和幸”は以前通っていた幼稚舎と同じ私立の初等部に編入した。

幼稚舎まで共学のその学校は、初等部から男子校になり、大学でまた共学に戻る。

幼稚舎の受験倍率の高さがよく話題にされる学校だが、初等部の受験倍率も相当なものだ。

よほど成績が悪くなければ、そのまま大学まで受験なしで進めるし、著名人の出身校としても有名な大学で、全国的にも人気がある。それ故か、受験倍率は毎年高止まり傾向にある学校だった。

転校する予定が元々あったのか、それともあのお泊まり会がきっかけだったのか彼にはわからなかったが、小学一年生の夏休み明けというタイミングでの編入だった。


 清瀬達ともあの日の朝以来会っていない。

”和幸”はあの夏具合が悪かったし、夏休み明けには転校が決まっていたから会う間がなかった。それに榊原の家が、以前の公立校の生徒と付き合わせたくないという意向があったようだった。

”和幸”にとって、転校も清瀬達と疎遠になった事も好都合だった。

日常的に以前の榊原和幸を知っている人間に逢う事が彼は怖かったらだ。


(和君だったら、キャンプを楽しんだだろうか...)


恐らく本物の榊原和幸だったら楽しんだに違いない。と、彼は思う。

榊原和幸なら、キャンプの不自由さの中に楽しみを見つけるだろう。

けれど、彼は違う。彼は”雑巾”だからだ。彼はキャンプが嫌いだ。

キャンプは”雑巾”だった頃の不自由さをいくつも思い出させる。

同じ様に日常生活を離れるのなら、榊原の家の油壺にある別荘に行く方がずっといい。

彼はその別荘がとても好きだった。

キャンプで暑くて辟易していると、油壺の家でエアコンの効いた部屋から海を眺めたくなる。部屋に飽きたらマリーナまで出掛けて船を出してもらえばいいし、ガレージから小型のボートを牽いて海に繰り出してもいい。

山で遭遇する台風は嫌いだが、油壺の家から台風を眺めるのは好きだ。

安全を担保された部屋の中から荒れ狂う海を眺めるのはいいが、山では違う。

山は逃げ場がない。


とにかく、彼はキャンプが嫌いなのだ。

それでも今、こうして山の中を歩いているのは榊原和幸の母、咲枝に言いつけられたからだ。ダラダラとテントの脇に置いた椅子に座ってばかりいたら、焚き付け用の枝でも木の実ひとつでもいいから探して来なさいと叱られた。

何かをしなければ今夜の夕飯はないらしい。

彼は不承不承、藪の中を探りに出たのだ。


 学校で何らかのクラブに入っている連中は長期の休みの間も練習や遠征で忙しそうにしている。自分も何か部活動に参加でもすれば、週末も長い休暇もそれを理由にキャンプに来なくてもよくなるだろうとは思う。けれど、それだけの為に部活動に参加する気にもなれない。

そもそも咲枝が和幸のピアノや英語やフリースクールの習い事に熱心で、その習い事に支障が出そうなクラブ活動に参加させるはずもない。

習い事での人つきあいは希薄なものだが、学校の部活動となるとそうもいかないし、それはそれで面倒な気がする。

やはり、キャンプ回避の答えは出ない。彼は仕方なく、枝を振り回しながらまた歩きめた。


 突然、首元にチクンと鋭い痛みを感じた。

これだから、山は嫌なんだ。

いくら気を付けて服やバンダナで覆っても、少しの隙間を虫や草や木に脅かされる。

チクンとした首元のあたりを手で押さえると、少し熱を帯びて熱く痛い。

これは、もうテントに引き返そう。

彼は振り回していた枝を放り投げて来た道を走って戻って行った。


 「蜂みたいだな、気を付けないと。」

テントに戻ると和磨が手際よく彼の首元の手当てをした。

咲枝は簡易テーブルで野菜を刻んでいる。その様子に”和幸”を気遣う素振りはない。

和磨の手当ては適切で痛みも腫れもすぐに引いたが、彼はまだ痛い振りをして焚き火の側で横になって休む事にした。


彼は本当にキャンプが嫌いだが、キャンプに来なければわからなかった事もある。

榊原の家で、和磨と咲枝が喧嘩をする場面を彼は見たことがない。

彼がいる時はいつも当たり障りのない会話だけで、キャンプに来るまで榊原の家ではこういう会話しかされないのだと思っていた。


キャンプで和磨と咲枝が喧嘩とまではいかないが、強い口調で話をする場面を彼は何度か聞いている。

別の時は今は葉山に隠居した和磨の父母について、咲枝が愚痴るのを聞いた事がある。

「何年経とうとお父様は私を認めてくれないし、お母様だってそうなのよ。」

和磨は「僕に言うのは構わないけど、和幸の前では言うんじゃないよ。」と咲枝をたしなめた。それが癪にさわったのか、咲枝はしばらく葉山の祖父の愚痴を言い出して和磨に当たり散らしていた。和幸は和磨が一人で葉山に行くことが多い理由を初めて知った。

咲枝は和幸の話もよく和磨に愚痴っていた。

初めて聞いたのは、彼が起きている時ではなく、焚き火の側で狸寝入りしていた時だった。


 彼はいつもテントの中で寝るのはどうしても嫌だとごねた。

テントの薄い生地の上にいくら上等の寝袋で寝ようが、昔の家が思い出されるのだ。

「なぜ、そうなの?どうして嫌なの?」

咲枝が苛立って彼を問い詰めることもあったが、答える事が出来ない。

まさか「昔の家を思い出すから」とは言えない。

ただ、嫌だ、嫌だとごねるしかなかった。

結局、和磨が折れて「仕方ない、帰ろう」と言うまで彼はいつも粘った。


 ところがある時、いくらごねても和磨が「帰ろう」と言わない。

泣いても、何をしても、頑として和磨はキャンプを片付けて帰ろうとはしなかった。

彼は泣き疲れて焚き火の側で寝た振りをしながら、和磨が帰る気になるのを待った。

すると、和磨も咲枝も拗ねて寝てしまった彼の存在を無視して、何事もなかったかのように焚き火の側で話し込み始めたのだ。


「前はこんなに気難しくなかったのに。」

咲枝が腹立たしさを押さえながら言っている。

「和幸か?」

二人の様子は見えないが、気配では咲枝が頷いたようだった。

「うん、なんだか、年々ひどくならない?

 時々、この子は誰だろう?って思ってしまう時があるの。

 私が知っている和君じゃないって。」

彼は咲枝の言葉を聞いてドキッとした。

和磨は「まぁ、そういう年頃なんだろう。」と軽く応じた。

「そういう年頃ねぇ...。そういうものなのかしら...」

咲枝は納得できない様だった。

そのやり取りを彼はただハラハラしながら聞いていた。

顔形が榊原和幸になったからといって、それで完璧に和幸になれるわけじゃないのに、俺は油断していたんだ。


 彼は実のところ榊原和幸をよく知らなかった。

あの「お泊まり会」までまともに話をした覚えもない。

和幸と”雑巾”が入れ替わって間もない頃には、まだ榊原和幸の感覚がいろいろと残っていた。歯磨きの習慣がそうだ。

和幸に変わってすぐの頃は、きちんと朝晩磨かなくては気持ち悪くてしかたなかったのに、時間が経つに連れて”雑巾”だった頃の様に口の中がネバついても気にならなくなった。

この時は咲枝が先に気づいて、徹底して歯磨きの週間を彼に叩き込んだ。

 しかし生活していく内に榊原和幸の感覚は少しずつ薄れて行き、ほんのちょっとしたきっかけで”雑巾”の意識が勝るようになった。

次第に気を付けていないと榊原和幸の気配が無くなっている。

 

 ある時、彼は何も考えずにテレビの電源を入れた。


 別に見たい番組があったわけではない。そこにリモコンがあったから電源を入れただけだ。

”雑巾”の母親は一日中テレビをつけて過ごしていたので、彼にとってテレビの音は日常の音だったのだ。けれど榊原の家にはテレビはあるものの、いつも消えている。

リモコンもいつもはどこにあるのか、見当たらなかった。その時はたまたま目につく場所に置いてあった。だから、昔の習慣で電源を入れただけだったのだ。


すると、最初にソファで仕事をしていた和磨が驚き、次いで咲枝がキッチンから走ってきた。最初は二人ともテレビの故障かと思ったらしいのだが、彼がリモコンを手にしているのを見て驚いた。そして、気分は悪くなっていないか、頭痛はしないかと心配された。

榊原和幸は小さな頃から音に敏感で、特にテレビ番組のガチャガチャした音や子供の泣き声が苦手だったらしい。音のせいで頭痛を起こす体質なのだ。


榊原の家は和幸の為に音を制限した生活をしていたのだと初めて知った。彼はそれまで榊原の家の静寂が、どこか彼を拒絶している様に思えて落ち着かないと感じることがあった。

”雑巾”はどんな時もテレビの音の中で育ったからだ。テレビから聞こえる笑い声の中で殴られ蹴られもした。それなのに一瞬聞こえたテレビからのわざとらしい笑い声を聞いて、彼は安堵感を覚えたのだ。


 音に関する変化は、和幸の習い事だったピアノにも影響した。


榊原の家の地下にはホームシアターとグランドピアノが置いてある。

月に二度、ぐちゃぐちゃの白い髪をしたドイツ人がやって来て、和幸は地下室でレッスンを受けていた。ドイツ人のピアノ教師は身体が大きく、見上げると銀縁の丸い眼鏡の奥に澄んだ青い目が見えた。彼はその瞳を見る度にそこから光線が出てくる気がしていた。

実際に光線が出てくる事はなかったし、ドイツ人のピアノ教師はとても優しかった。

入れ替わった直後は何も問題はなかったのだが、次第にこのドイツ人が彼に対してイライラする事が増え、笑いかける事が減った。


遂に咲枝に「カズの音が変わった。」と言い始めた。榊原和幸の気配が彼から薄れてしまう頃には「わたしがカズに教える必要はもうなくなったから。」という理由でレッスンが打ち切られた。咲枝はレッスンを打ち切られた事にショックを受けていたが、彼はホッとしていた。

ピアノの練習をしなくてもよくなった事もそうだが、あのドイツ人の体臭を嗅がなくてもよくなった事を喜んでいたのだ。ドイツ人からは粉っぽい噎せるような甘い体臭がして、至近距離のレッスンは咳を我慢するのが辛かったからだ。


 キャンプが嫌いな原因のひとつも、もしかしたら匂いのせいかもしれない。

山の中の匂いは複雑すぎるのだ。落ち葉や草木の匂いや川の匂いは嫌いじゃない。

けれど、山には不自然な匂いも多い。車のオイルやガスの臭いも濃く感じる。

ただ、山でなければ嗅げない匂いもある。それは雨だ。山に降る雨の匂いは独特だ。

本降りの時は水の匂いしかしないが、霧雨の時や朝霧は草木の香りが混じった爽やかな香りがする。その香りを思い出しながら彼は焚き火の暖かさを背中に感じていた。


 焚き火の音が心地よい。首の蜂に刺されたところも気にならなくなっている。

咲枝は焚き火の側で和幸が寝入っていると思っているのだろう、もう声も掛けてこない。

咲枝は和磨に食事を渡しながら、和幸の様子を少し伺ったが声を掛けて起こす事もせずに

放っておいた。


和磨が和幸を起こそうとするのも止めて「寝かせておけばいいわ。お腹が空いたら起きるでしょ。」と咲枝は冷たく言った。

「何をそんなに怒ってるんだ。」と和磨が聞いている。

咲枝は大袈裟なため息を吐いて「だって...」と言ったきり黙っている。

「だから、そういう年頃なんだって。」

和磨が「美味しいよ、これ」とステンレスの食器の音をさせながら食事をしている。

「前にも聞いたわ、”そういう年頃”だって。でも、あなたはこんな風じゃなかったでしょ?」

「どうかな...、自分じゃわからないよ。葉山に聞いてみれば?」

「意地悪ね、聞けないってわかってて言うんだから。」

和磨はいたずらっぽくフフフと笑った。


咲枝はもう一度小さくため息を吐くと

「私ね、和幸が変わったのって、あの時からだと思うのよ。」

と言う。

和磨は咲枝にお代わりを頼みながら

「あの時って、和幸の友達が泊まりに来た時か?」と聞いた。

咲枝は少し離れた場所から「そうそう」と返事をする。

「あの時の、あの男の子、母親に打たれた子は、殺されたんだろ?」

和磨がさらりと言う。

彼は一瞬、起き上がってしまいそうになって身体を固くした。


ー今、なんて言った?殺されたって言った?


咲枝が戻りながら

「そう、あのお泊まり会から間もない頃だったわよね、確か。」

と、答えた。


ー”雑巾”が、榊原和幸が殺された?


彼は知らず知らず、息が荒くなっていた。













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