第5話 緑のヨーヨー

 ”雑巾”が、榊原和幸が殺されていた。


「お泊まり会」から間もなく...だとしたら、もう何年前になるんだ?

三年? 違う、四年前だ。

そんな前に、”雑巾”は、いや、榊原和幸は死んでしまっていたのだ。


 咲枝の淹れたコーヒーの香りが”和幸”にまで届く。

「あの事件、ひどい話だったわよね。あの時の母親と、母親が付き合っていた人とで

 あの子の事、殺しちゃったんだもの。」


ー母親が付き合っていた人...

彼はもう顔も覚えていないが、振るわれた暴力とそれを受けていた時の自分は覚えている。

奴は何でもない事でキレて、一度キレると気の済むまで暴力を振るった。

殴られ蹴られていた時、母親は一度も止めに入った事はない。

今考えると、何故されるがままになっていたのかが自分でもわからない。


和磨が「ありがと」と言いながら、咲枝からコーヒーを受け取った。

「あの担任は気の毒だったけど、新学期を待たずにあの子に届けてくれて良かったよ。

 そうでなければ、発見はもっと後になっていただろうからね。」

と和磨が言うと、咲枝も沈んだ声で

「そうね、あの先生、結局、学校やめちゃったらしいけど。」と応えた。

「そりゃ、凄惨な現場だったろうからな。病んでもしかたないさ。」

和磨が吐き捨てる様に言った後、しばらくは二人がコーヒーを啜る音だけが聞こえた。


カタリとコップを置く音がした後、咲枝が

「今まで、言わなかった事があるんだけど...」と切り出した。

「あの、男の子が殺された時の凶器、ニュースでも報道されてたでしょ?

 あれね、和幸のおもちゃなの。」と言った。


和磨が「え?」と驚いて「和幸のおもちゃって、何?」と聞く。

”和幸”が心の中で「緑のヨーヨー」と言うのと同時に咲枝が

「ヨーヨーよ、あの頃、和幸が夢中だった緑色のヨーヨー、覚えてない?」と返した。

和磨が少し考えた後に「思い出した、あれか、動かすと光るヨーヨーだよな。」と言うと

咲枝はうんうんと頷いて「そう、そのヨーヨー。和幸があの子のリュックサックに入れてあげたのよ。」と答えた。


 彼は、暗闇で緑色に光るヨーヨーとそれを得意気に操作する和幸の顔を思い出していた。

和幸の楽しそうな笑い声まで思い出せる。

その和幸の顔は突然苦痛に歪み、「ぼくが和幸だ!」と絶叫する。

”和幸”は未だに、和幸が清瀬に馬鹿にされても和磨に敬遠されても、頑として「ぼくが榊原和幸だ!」と叫んだ声を忘れてはいない。


ーバッキン!


 焚き火にくべた薪が大きな音をたてた。

その音は彼に母親の平手打ちを思い出させ、思わず背中がビクッと反応した。

咲枝もその薪の音に少し驚いた様子を見せたので、和磨が薪をつついて火を慣らしている。

二人とも”和幸”には背を向けていた。

和磨の尻の辺りが”和幸”の腰に少しだけ触れている。

そのわずかな温もりだけで”和幸”は安心出来た。


「思い返してもぞっとする。

 もし葉山のお父様が口を利いて今の学校に編入させてくださらなかったら、和幸は今より

 もっと変わってしまったかもしれなかったから。」


咲枝は、和磨が薪を慣らす様子を見ながら呟いた。


「今のあの子ですら...。 私、和幸の目を見るのが怖くてまともに見れない時があるの。」


和磨がちょっと笑って「なんだい、それ? 目が怖いって、どういう風に?」と聞いた。

咲枝は一度スッと息を吸うと、意を決して和磨と向き合った。


「目がね、違うの、以前の和幸と。

 あの子の目を見て話していると、全く違う子と話している気分になって来るのよ。

 反抗期だからとか、そういう年頃なんだろうとか、そういうんじゃないの。

 この子は私の和君じゃないって、感じてしまうの。

 もっと全く別の、得たいの知れない、知らない誰かが目の前にいる気がしてくるのよ。」


咲枝はそれが怖くて、最近は和幸の顔を見て話す事が減ったのだと言う。

咲枝の話を聞いて、”和幸”は和磨の後ろで緊張していた。

今の話を聞いた和磨がどう反応するのか、全神経を集中させて和磨の返事を待った。


場は一瞬静まり返り、焚き火の中で木が弾ぜる音だけが聞こえる。

そのシンとした空気を和磨の笑い声が破った。

咲枝はその笑い声の大きさに驚き、和幸が起きてしまう事を気にした。

和磨は小声になって「ごめん、ごめん」と謝り、和幸の様子をちらりと見てから彼の腰の辺りを二~三度、ポンポンと軽く叩いた。

「寝ているよ、大丈夫。」と咲枝を安心させ、「すごく真剣な顔して言うから、何かと思ったら。」と、小さくクツクツ笑っている。


咲枝がもっと深刻な話をするのかと思って緊張して聞いていた分、気が抜けたと軽く笑うと


「まるで、B級ホラー映画にでも出てきそうな台詞を君が言うから、つい笑っちゃったよ。

 僕が思うには、君の罪悪感がそう見せているんだと思うよ。」と言う。


「罪悪感? 和幸への? それって、どういう罪悪感?」


咲枝はムッとしながら和磨に食って掛かった。


「まぁ、そう怒るなよ。 僕は和幸への罪悪感だとは言ってないよ。」


和磨は咲枝を宥めながら、「僕にはあるんだ。」と真剣な口調で言う。


「僕には、殺されちゃったあの子への罪悪感がある。

 一目見れば、あの子が置かれているだろう状況は想像がついたのに、わざわざ母親を呼ん

 で引き渡した。

 ああ、そうだね、連れてきたのはあの担任だったよね。

 でも、担任に連絡を入れた時点で、担任があの子の家に連絡するだろうって予想はついて

 いたんだ。

 あの時、なぜ、救急車を呼ぶのを躊躇ったんだろう?

 そう考えた事はないかい?」


咲枝は返事をしない。


「母親に叩かれて、引っ張られて行った時、あの子、ブカブカのパジャマ姿で裸足だったん

 だ。僕はそれに気づいて”着替えさせてあげなきゃ”、”靴を履かせてやらなきゃ”って思った

 けれど、動かなかった。

 泣き叫びながら何度か僕の方へ近づいて来たのに、僕は和幸を守ることに必死だった。

 あの子の気持ちを考えるよりも、ただ黙らせたい、落ち着かせたい、この場を早く静めた

 いって気持ちの方が勝ってた。

 時々、児童虐待の報道を見たりするとさ、あの時の事を思い出して後悔するんだ。」


”和幸”は思い出していた。

あの日、俺らの靴は玄関にはなかった。

花火の後、みんなで庭に脱ぎっぱなしにしたからだ。

”雑巾”の服は、榊原の家の洗濯乾燥機の中で丸まっていたんだ。

けれど、その置き忘れた服を担任の田坂がすぐに届けに行ったから事件が発覚した。

咲枝はそこを和磨に強調した。

服を着替えさせて、靴を履かせて帰していたら、母親達の所業が露見するまでにもっと時間が掛かったに違いない。


”和幸”は、”雑巾”に対する和磨の様子を覚えていた。

ヒステリックに「お父さん」と泣き叫びながら近づく”雑巾”を決して近寄らせなかった。

本当の和幸が同じ事をしたら、和磨が拒否したはずがない。

”雑巾”の姿だったから、俺だったから拒否したんだ。


ーそれくらい、わかってる。


彼は何となくやるせない気持ちになって和磨の身体からそっと身を離した。


咲枝が大きなため息をついて「そうね、そうかもしれない。」と言う。

着替えさせた時に”雑巾”の身体の痣をいくつも見たし、汚れた下着やぼろぼろの服も普通ではなかった。ただ、もっと気になっているのは、凶器が和幸のヨーヨーだという点だ。


「その事実が重たいのよ。」


和幸が好意で入れたヨーヨーが、あの子を殺した。

それを考えると、更に罪悪感が増すと咲枝が言う。

和磨はそれを否定した。


「それは、考え過ぎだと思うよ。

 もし仮に、和幸のヨーヨーが犯行の要因になっていたとしても、だ。

 あの子はその場にヨーヨーがあってもなくても、遅かれ早かれ殺されていた。

 ...と、僕は思うね。

 あの子はそういう運命だったんだよ。仕方なかったんだよ。」


ーあの子はそういう運命だったんだよ。

それは、誰の運命の事だろう?と彼は考えた。


”雑巾”の身体に入ってしまった為に殺された榊原和幸の事だろうか?

それとも、”雑巾”自身の事だろうか?

考えるまでもなく、和磨が言っている「そういう運命の子」は”雑巾”だ。

しかし、その「そういう運命の子」は残り、和磨が守ったはずの和幸はもういない。


和磨は”雑巾”が、和幸の中にいるとは思ってもいない。

だから”雑巾”が「そういう運命の子」だと言えるのだ。

もし、”雑巾”が和幸になる「運命」だったのだとしたら、和磨の言う「仕方がなかった」子は和幸だ。

その事実がわかっても、和磨は「そういう運命の子」だった、「仕方がなかった」と言うだろうか。


ー絶対に言わないし、思いもしない。


そんな事、わかってる。俺は”和幸”だからここにいられるのだ。

思わず彼は唇を噛み締めた。

わかってはいても、悔しい思いが込み上げてくる。


「私の知っている和君じゃない。」


さっき聞いた咲枝のその言葉は、榊原和幸でいることに満足し、このままずっと榊原和幸として生きていくのだと思っていた彼に、それはそんなに簡単じゃないかもしれないという不安を植え付けた。

今の生活は、身体が榊原和幸になっただけで享受出来ると思っていたけれど、実際は榊原の両親から与えられている生活なのだ。

その両親のどちらかが、又は両方が拒否したら、成り立たない。

結局、彼の身体も生活も借り物でしかないとういう事だ。


この先咲枝が。、今以上に彼に違和感を抱き拒絶したら、彼の居場所は無くなるかもしれない。居場所がなくなったら、俺はどうやって生きていけばいいんだろう?

不意に油壺の別荘が思い浮かび、そうだ!油壺で暮らせばいいとも考えたが、油壺だって榊原の家の持ち物だ。居られるわけがない。

油壺にいる時の自分が本当の自分だという気がするほど油壺が好きなのに、行けなくなったら何よりも辛いし、嫌だ。


気がつけば、彼は泣いていた。

寝た振りをしているのに、涙が溢れて頬を伝う。

頭を乗せていた左肘の辺りが、涙で冷たくなってきた。

なぜ、泣くのか、わからない。

咲枝の拒絶がショックなのか、和磨が愛しているのは榊原和幸本人なのだと再確認したからなのか。

それとも、漠然としたこの先への不安感からなのか。

はっきりとした理由は自分でもわからない。

ただ、ひたすらに泣けてくるのだ。

彼は泣いているのがわからない様に身体の位置をずらして、更に深く肘に顔を埋めた。

そうしている内に本当に眠くなってきた。

もう、いい。今は、何も考えずに眠ろう。

気がつけば、彼は本当に眠ってしまった。


もうじき春休みも終わり、新学期が始まる。

学校生活が始まれば、少しは何かが変わるかもしれない。

このままじゃいけない気がする。

眠りに落ちながら、彼は呟き続けた。


ーダメだ、このままじゃ、ダメだ。






















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