第4話 治せない者

 最初の違和感は、朝だった。


 立ち上がろうとして、

 足に力が入らなかった。


「……?」


 膝をつき、床に手をつく。

 視界が、わずかに揺れる。


 ――疲労。

 そう片付けようとした。


 


「先生?」


 少女の声が聞こえた。


 昨日、呪いを解いた子だ。


「大丈夫?」


 


「ええ」


 即答だった。

 癖のようなものだ。


 


 だが、歩こうとした瞬間、

 胸の奥に鋭い痛みが走った。


 


「っ……!」


 


 悪属性が、勝手に脈打つ。


 否定の痕が、皮膚の内側で暴れる。


 


「……エルシア?」


 


 元兵士の男が駆け寄ってくる。


「顔色が――」


 


「問題ない」


 また、嘘。


 


 だが今回は、

 体がそれを許さなかった。


 


 視界が暗転する。


 



 目を覚ました時、

 エルシアは簡易寝台に横たわっていた。


 


「……どれくらい?」


 


「半日」


 元兵士の男が答える。


 


「診た」


 彼は、続けた。


 


「俺なりに、だが……

 これは病気じゃない」


 


「ええ」


 


 エルシアは、天井を見る。


 


「悪属性の侵食ね」


 


 それは、誰よりも自分が知っていた。


 


「治せるか?」


 


 その問いに、

 エルシアは、答えなかった。


 


「……治せる方法はある」


 


 沈黙。


 


「でも、それをやったら」


 


 視線を、仲間たちへ向ける。


 


「私は、治療者じゃなくなる」


 


 悪属性は、

 世界を否定する力。


 


 それを自分自身に使えば、

 自分という存在を

 **“世界から外す”**ことになる。


 


「……冗談だろ」


 


「いいえ」


 エルシアは、静かに言う。


 


「私は、

 自分を“正しくない存在”として

 完全に否定できる」


 


「そうすれば、

 侵食は止まる」


 


 だが。


 


「戻れない」


 


 人ではなくなる。

 治療者ではなくなる。


 


 ――“悪”そのものになる。


 


「……やるな」


 


 少女が、震える声で言った。


 


「先生は……

 人でいて」


 


 その言葉に、

 胸が、きしんだ。


 


「……それは」


 


 エルシアは、息を吐く。


 


「私の判断じゃない」


 


 立ち上がろうとして、

 再び、力が抜ける。


 


「……」


 


 元兵士の男が、歯を食いしばった。


 


「……教会に連絡する」


 


 空気が、凍る。


 


「正気?」


 


「お前を治せるのは、

 あいつらしかいない」


 


 エルシアは、笑った。


 


「……拒否されるわ」


 


 それでも。


 


 数時間後。


 


 白と金の法衣が、

 異端治療所の前に立った。


 


「エルシア・ノクス」


 


 高位治癒師の声。


 


「治療を求める申請、受理した」


 


 エルシアは、寝台の上で、

 静かに告げた。


 


「条件は?」


 


「簡単だ」


 


 治癒師は、書類を読み上げる。


 


「悪属性の完全封印

 異端治療所の解体

 これまで治療した者の所在提出」


 


 そして、最後に。


 


「――悔い改め」


 


 エルシアは、目を閉じた。


 


「……それで、私は治る?」


 


「神の許しがあれば」


 


 彼女は、はっきりと言った。


 


「じゃあ、いい」


 


 治癒師の眉が、わずかに動く。


 


「命より、意地か」


 


「違う」


 


 エルシアは、ゆっくりと起き上がる。


 


「これは」


 


「私が、誰を救ってきたかの問題」


 


「それを否定して生き延びるなら」


 


 視線を、仲間たちへ。


 


「私は、

 最初から死んでる」


 


 沈黙。


 


 治癒師は、冷たく言い放つ。


 


「ならば――

 治療拒否とする」


 


 白と金が、去っていく。


 


 扉が、閉まる。


 


 エルシアは、静かに横になった。


 


「……これで、同じね」


 


「何がだ」


 


「私も、

 ここに来た人たちと」


 


「救われなかった側」


 


 夜。


 


 痛みが、全身を蝕む。


 


 だが。


 


 治療所の灯りは、消えない。


 


 誰かが、そばにいる。


 


 エルシアは、薄く笑った。


 


「……やっと、分かった」


 


「治療者って……

 最後は、

 自分を治せない人間なのね」


 


 それでも。


 


 彼女は、目を閉じない。


 


 朝が来るまで。

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