第3話 それでも、私は救わない

 雨が降っていた。


 異端治療所の屋根を打つ音が、やけに大きく聞こえる夜だった。


 


「……先生」


 入口に立っていたのは、見覚えのある顔だった。


 教会の治療を一度受け、

 それでも治らず、

 ここへ辿り着いた男。


 


「……重い?」


 エルシアは、顔を上げずに問う。


「はい」


 短い返事。


 それだけで、十分だった。


 


 男は、床に崩れ落ちるように座った。

 胸元を押さえ、呼吸が乱れている。


 ――魔力臓器の崩壊。

 悪属性なら、治せる。


 


 だが。


 


 エルシアは、指を動かさなかった。


 


「……先生?」


 


「聞くわ」


 エルシアは、静かに言った。


「あなたを治せば、

 明日来る子を、私は救えない」


 


 治療所の空気が、凍る。


 


「それは……」


 男は言葉を探し、

 やがて、震える声で問う。


「……それって、

 誰を優先するか、って話ですか?」


 


 エルシアは、首を横に振った。


 


「違う」


 


 立ち上がり、男の前にしゃがむ。


 


「これは、

 私が“治療者でいられるかどうか”の話」


 


 沈黙。


 


 元兵士の男が、唇を噛みしめる。


「……じゃあ、こいつは」


 


「見殺しになる」


 


 エルシアは、はっきりと言った。


 


 誰も、反論できなかった。


 


「……なら」


 男は、弱々しく笑った。


「俺は……

 “順番”を奪う側には、なりたくない」


 


 その言葉が、胸に刺さった。


 


 エルシアは、視線を逸らす。


 


「……ここに来た以上、

 私は“神の代わり”にならない」


 


「救うか、救わないかを、

 私の価値で決めたら……

 それは、教会と同じになる」


 


 雨音だけが、響く。


 


「だから」


 


 エルシアは、深く息を吸い――吐いた。


 


「私は、あなたを治さない」


 


 男は、何も言わなかった。


 ただ、静かに横になった。


 


 夜が、長かった。


 


 明け方。


 


 男は、息を引き取った。


 


 治療所の誰もが、声を出さなかった。


 


 エルシアは、外へ出た。


 雨は、止んでいた。


 


 手が、震える。


 膝が、崩れそうになる。


 


「……これが、正しい?」


 


 誰に問うわけでもない。


 


 ――答えは、ない。


 


 だが。


 


 治療所の奥から、

 子どもの咳が聞こえた。


 


 エルシアは、立ち上がる。


 


「……次は、そっち」


 


 その日、

 彼女は三人を救った。


 


 そして一人を、救わなかった。


 


 夜。


 


 元兵士の男が、ぽつりと言う。


「……あんた、間違ってない」


 


 エルシアは、首を横に振った。


 


「違う」


 


「間違ってるかどうかなんて、

 誰にも分からない」


 


 ただ。


 


「私は今日、

 治療者として、一度死んだ」


 


 それでも――

 治療所の灯りは、消えなかった。


 


 救わない選択の上にしか、

 救いが続かない夜が、

 確かに、ここにあった。

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