第4章:正義は、勝者が決める

 勇者が捕獲されたという事実は、人類側にとって悪夢だったはずだ。

最強の矛を失ったのだ。本来であれば、軍を退き、交渉を求めてくるのが道理だろう。

だが、私は彼らの「自己保身」を甘く見ていた。


 彼らが恐れたのは、戦力の低下ではない。

「勇者が敗北した」という事実が露見し、権威が失墜することだったのだ。

だから彼らは、事実を塗り替えることにした。

もっとも手っ取り早く、もっとも血なまぐさい方法で。


「――西方国境、第四開拓村より入電。……通信、途絶えました」


 オペレーターの声が、乾いた音を立てて響く。

戦術地図の端にあった小さな青い光が、フッと消えた。

そこは、戦略的な価値など何もない、非戦闘員の農村だった。

避難が遅れていた老人と子供たちが、ひっそりと隠れていた場所だ。


「敵軍の動きは?」

私が問うと、オペレーターは蒼白な顔でスクリーンを切り替えた。

映し出されたのは、人類軍の広報用魔法映像だった。

燃え盛る村を背に、聖騎士団の隊長が剣を掲げている。

その足元には、鍬(くわ)や鎌を持ったまま絶命したオークの老人たちが転がっていた。


『我々は、魔族の秘密拠点を急襲し、これを壊滅させた!』

隊長が高らかに宣言する。

『この拠点には、勇者様を罠に嵌めた卑劣な魔導兵器が隠されていたが、我ら聖騎士団の奮戦により破壊に成功した! これは正義の勝利である!』


 完璧な筋書きだった。

勇者が消えた理由を「卑劣な罠」のせいにし、その汚名を晴らすために「拠点(ただの村)」を焼き払った。

彼らにとって、そこに住んでいた命など、帳尻を合わせるための数字でしかない。


「……殺したのか」

玉座から、軋むような音がした。

「武器を持たぬ老人を。逃げる足も持たぬ子供を。……自らの保身のためだけに」


 魔王ゼルヴァスが立ち上がっていた。

その全身から立ち昇る魔力が、ビリビリと司令部の空気を震わせる。

これまで冷静沈着を貫いてきた彼が、初めて「王」ではなく「個」としての激情を露わにしていた。


「これが、正義か」低く、地を這うような問いかけ。

「彼らは、これを正義と呼ぶのか! 弱きを虐げ、嘘で塗り固め、それを聖なる行いだと!」


 誰も答えられない。

肯定などできるはずがない。

だが、否定したところで、死んだ民は帰らない。ルクシオンとしての私の心が、冷たい怒りで焼き切れそうになる。

だが、参謀としての脳は、皮肉にもかつてないほど冴え渡っていた。


「……陛下。敵は今、勝利の美酒に酔っています」

私は静かに告げた。

「彼らは『拠点を潰した』という嘘を真実にするため、主力部隊を村の跡地に集結させています。……密集しています」


 魔王が私を見た。

その瞳には、深い悲しみと、それ以上に深い決意の炎が宿っていた。


「ルクシオン。……許す」

「は」

「戦略目標を変更する。民の避難は終了した。もはや、彼らを生かして帰す理由は一つもない」


 魔王は、戦術地図上の「赤の奔流」を指差した。


「包囲殲滅せよ。一人も逃がすな」


「――御意」


 司令部に、戦慄と高揚が走った。

これまで「防衛」という枷(かせ)を嵌められていた将校たちが、一斉に牙を剥く。


「全軍に通達!作戦名『審判』を発動!」

私は矢継ぎ早に指示を飛ばした。

「ガルドゥ将軍は敵正面へ展開し、挑発を行え!敵は戦勝気分で気が緩んでいる、必ず食いつく!」

「遊撃部隊は左右の山岳地帯を迂回! 退路を断て!」

「魔法部隊、最大火力用意!村の跡地ごと、奴らを焼き尽くせ!」


 戦況は一変した。

油断しきっていた人類軍は、突然の魔王軍の攻勢にパニックに陥った。  「魔物は知能が低い」「正面からしか来ない」という彼らの驕りが、致命的な隙となった。

退路を断たれ、包囲され、雨のような魔法攻撃に晒される聖騎士たち。

さっきまで「正義」を叫んでいた口が、今は恐怖に歪み、慈悲を乞うている。


 だが、こちらの言葉が彼らに届かなかったように、彼らの悲鳴もまた、我々には届かない。


 モニターの中で、白銀の鎧が次々と泥と血に沈んでいく。


 それは、虐殺だった。

だが、彼らが村で行ったことへの、等価交換でもあった。


 数時間後。

地図上の赤色は、完全に消滅した。

残ったのは、青い光と、黒く塗りつぶされた焼土だけ。


「……敵主力部隊、壊滅を確認」

オペレーターの声は淡々としていた。

歓声はない。

あるのは、重苦しい納得だけだ。


 魔王ゼルヴァスは、玉座に深く腰掛け、天井を仰いだ。

「勝てば官軍、負ければ賊軍か。……ならば我々は、勝つしかなかったのだ」


 私は、記録用紙に「作戦完了」の印を押した。

この勝利で、戦局は大きく変わるだろう。

人類側は主力を失い、魔王軍の脅威を骨身に刻んだ。

だが、失われた村人は戻らない。


 正義とは、美しい言葉ではない。

最後に立っていた者が、死体の山の上に立てる旗の名前だ。


 私は、捕虜収容区画にいる「元勇者」の少年を思った。

彼が信じていた「世界を救う戦い」の正体がこれだ。

彼に真実を教える時が来たら、彼は何と言うだろうか。


 世界の流れが変わった。

もう、後戻りはできない。

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