ページ3

シーン③

「私、笹川澪。笹の川に、澪標(みおつくし)の澪」


颯太はこの笹川澪と言う女性に一目惚れしてしまった。

あの出会いから、ちょうど二週間が経っていた。

颯太は、あの時一目惚れした女性、笹川澪の言葉を何度も心の中で反芻していた。

彼女の明るい声、屈託のない笑顔。

その全てが、颯太の心を離れない。


颯太はいつものように「カフェ・ドゥ・ソレイユ」のカウンターに立っていた。

「この間話してた子、来ないな」

大輔がニヤニヤしながら颯太をからかう。

颯太は「来るわけないだろ」と少し落ち込みながら答えた。

颯太には目標があったバイトで稼ぎまくって、将来の彼女に費やすと。

そしてこの間、その彼女になる女性は笹川澪という女性になると確信していた。

あれ以来、店のドアが開くたびに、期待と落胆を繰り返す日々。

颯太のアルバイトをする目標はいつしか、「澪に会うため」になっていた。


専門学校でバイトも同じ大輔は目標もこの間のことも知っている。

しかし、さしずめ颯太があったという女性は妄想とでも思っているんだろう。

「カラン、コロン。」

店のドアが開き、ドアに掛かっている鈴の音が聞こえる。

「いらっしゃいませ。」

そういいながら、彼女ではないかと入口に目をやる颯太に、残念だったなと言わんばかりに大輔が目くばせをする。

入ってきたのは常連のおじいさんだった。

「ブレンドとケーキを。」

おじいさんが注文をする。


ここ「カフェ・ドゥ・ソレイユ」はマスターがオープンした個人経営のカフェだ。

駅から海沿いをまっすぐ行き、ある交差点で山側に曲がって少し登った場所にある。

外観も内装も昔の喫茶店を思わせる静かで穏やかなカフェだ。

店内にはジャズが流れており、静かで穏やかな空間が広がっている。

更にこのお店のいいところは西窓なところだ。

標高が少し高いこともあり、窓からは海を眺めることができる。

夕方になると、海の水平線上に夕日が沈み、それは綺麗な橙色の空と海を我がものにできるのだ。


お店の雰囲気だけでなく、メニューも自信がある。

おすすめはマスター渾身のコーヒーとケーキだ。

人の店で自信があるとはおこがましいと思うかも知れない。

しかし何を隠そうこの店のケーキは俺がレシピから考えたのだ。

颯太と大輔は高校の頃からこの店でよく勉強をしていた。

その時はお客さんも多くなく、特に日が落ちるとゼロに颯太たちだけのときもあった。

お客さんもいないし、いつもお世話になっているからと颯太と大輔で厨房を借りてケーキをマスターにふるまった。

それを好評してもらい、大学受験が終わってからこの店でバイトを始めた。

受験の結果は公立大学に落ちて専門学校に行っているが、今となってはここでバイトするためにはそれが運命だったのだろう。


マスターは60を過ぎているが、そうは思わせないほど見た目も動きも素早い。

将来はカフェを開くとサラリーマン時代の貯金を使って

定年後にこの店をオープンしたんだとか。

颯太の彼女のための貯金もこのマスターにあてられたからなのかもしれない。

口ひげを蓄えたマスターがコーヒー豆を挽いて、

ゆっくりコーヒーを淹れる。

その匂いは厨房にも漂ってきて、今日のコーヒーに合わせたケーキを作る。

わけではなく、颯太はいつもどおりにケーキを作る。

気持ちは大事だ。あくまで気持ちは。


ケーキを作り終えて常連さんに届けた後、

「カラン、コロン」とまた入口のドアが開いた。

颯太はチーズケーキを届け終えたこともあって仕事モードで接客を試みた。

「いらっしゃ」

仕事モードは一瞬で解除され、その言葉を言い終える前に息を飲んだ。

最初に目があったのは陽菜だった。

陽菜は本当にいたと言わんばかりに一瞬目を見開いて、その後気まずそうに目線を逸らした。

そして陽菜の隣には。

忘れるはずもない。

俺の女神がそこにいた。


すぐさま大輔が二人を席に案内する。

陽菜はメニューを、澪はこの間の手帳を眺めながら注文を決めていた。

「チーズケーキ!」

と元気な声が店に響いた。

元気の中にも気品があり、どこか澄んでいる声にあぁやっぱりあの人だ。

颯太は澪が来てくれたことを改めて実感した。



「申し訳ございません。本日の日替わりケーキはチーズケーキではなくフルーツタルトになっております。」

注文を受けている大輔があくまで店員として、丁寧に伝えた。

確かにこの間会った時の日替わりケーキはチーズケーキだった。

でも今日は違う。メニューにも書いてあるし、間違うわけはない。

つまりこれは俺に会いに来てくれたんだ。

颯太はあまりの嬉しさに厨房から出てその席に向かっていた。

「本日ワンホール分でしたらご用意できます!」

店長ごめんなさい、勝手なことしてという俺の中の天使と。

ケーキは俺が作るしという俺の中の悪魔が喧嘩していた気がする。

でもこの気持ちは抑えられなかった。


注文を受けていた大輔は颯太が来た瞬間は驚いていたが、

「注文は以上になりますでしょうか?」

と冷静に繋いでくれた。

二人は「はい。」とほぼ同時に返事した後に、澪だけが颯太に向かって

「ケーキ。ありがとうございます。」

どこか他人行儀なその言葉を胸に颯太は厨房に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る