ページ2 ケーキと約束

「あの、写真撮ってもらえませんか?」


その女性の写真を撮るために、颯太はシャッターを切る。

彼女は、柔らかい陽光を浴びて、まるで光そのものがそこに立っているかのように見えた。

透き通るような白い肌、風に揺れる柔らかな髪、そして何よりも、ほんの少しはにかんだような、吸い込まれそうな大きな瞳。


ファインダーを覗く颯太の手が、なぜか震えて止まってしまう。

彼女の存在は、あまりにもまばゆく、あまりにも非現実的で、颯太の心を震わせた。

彼女の頬に浮かんだ薄紅色のチークは、颯太の心に咲いた恋の花のようだった。


「はぁ、本当に綺麗だ…」


心の声が、無意識に口から漏れた。

何も知らない。

名前も年齢も何も。

それでも惹かれてしまう。

颯太は堕ちてしまっていた。

一目惚れという恋の始まりに。


「みお!」

突然大きな声がした。

夢見心地の颯太を覚ますかのような大声。

颯太は慌てて頬をつねる。

いや現実だ。

彼女と会えたことが現実であるという喜びと

突然の声に驚きで困惑する。


声の主は慌てて彼女に駆け寄る。

「何? ナンパ? 澪、大丈夫?」

 

女神の友人だろうか。

髪は短く、気の強そうなつり眉なその女性は、

大声からの威嚇の後に、彼女を庇いながら警戒するようにこちらを睨む。

その姿はまるで、子を守る親獅子の如しだった。

その獅子から子獅子に声をかけるのも一苦労なほど

警戒心は高そうに見えた。

 

澪さんと言うのか、美しい名前だ。

と思う前に、後から来た獅子の強い口調に、颯太は少し気圧された。

すると澪と呼ばれていた女性が答える。


「違うよ陽菜。写真撮ってもらってただけだよ。」

よく言ってくれた女神よ。

その優しさと誠実さに、颯太は更に惹かれていく。

しかし親獅子は譲らない。

 

「男はそうやって何か口実を作って近づいてくるのよ。」

その辺のナンパ男と同じにされたことに少し嫌悪感を覚えながらも、確かに彼女に見惚れていたことは事実だった。

でも現状の事実とは異なる。だから平静を装って答える。


「本当に写真を撮ってただけです。」

今は、だ。

「ふーん、そうですか。じゃあ私たち用事があるので。」

そう言うと陽菜と言われている女性が、澪の手を引いて去ろうとする。


「あのっ!」

このタイミングで声を掛けるのは陽菜が言っていたナンパ男と同じになってしまうと分かっていた。

でもこのタイミングを逃したらもう会えないと思った。

望月颯太、21歳。人生で1番の勝負どころだ。


「なんですか?」

「いえ、違います。俺、近くのカフェでバイトしてるんです。もしよかったら、美味しいチーズケーキがあるんで、今度食べに来ませんか?」

何が違うのか、颯太にも分からなかった。

思いがけずカフェなんて言ったが、本当は喫茶店だ。

オシャレ度が全然違う。

そして陽菜は、ほら出たと言わんばかりの警戒の目を颯太に向けていた。

しかし、最初に声を発したのは陽菜ではなかった。


「チーズケーキ!?美味しい?ねえ、美味しい!?」

そう言って興奮していたのは澪だった。

陽菜とはまた違った獣の目をしていた。

陽菜が獲物を狙う肉食動物なら、澪は腹を空かせた草食動物だ。

他の肉食動物から捕食される恐怖よりも、空腹を満たせることへの希望で目を輝かせているようだった。

「美味しいです!ぜひ来てください!」

この獲物を逃がしてたまるかと押しに押していく。

しかし、陽菜と颯太ではライオンと猫くらい肉食動物としての圧が違った。


ただこの押しは間違いじゃなかった。獲物が食いついてきた。

「陽菜!予定変更!チーズケーキ食べよう!」

「ダメ!今日はケーキバイキングでしょ!」

「嫌だ!行きたい!」

「百歩譲ってチーズケーキはよくても、こいつの店はダメ!」

この後も何度かやり取りが行われていたが、今回は陽菜に軍配が上がったみたいだ。

「あなたのお店には行きません!」

と陽菜からはっきりと言われる。


しかし、食い下がってきたのは澪だった。

「お店の名前と住所を教えてください!」

なにやら手帳のようなものを広げて記者かのように聞いてくる。


颯太は喫茶店「カフェ・ドゥ・ソレイユ」についての情報を教えた。

店の名前、住所、行き方。

ついでに直近の出勤も伝えた。

メモを書き終えた澪になんとかもう一矢報いたいと思った。

「なまえ、」

そうつぶやくと澪は頭にはてなを浮かべてこちらを見ていた。

今さら名前なんて。

颯太は澪さんの名前を聞いている。

いや、この場合正式に澪さんの口から聞かないと盗み聞きしたみたいじゃないか。

そう自分に言い訳したのち、再度口を開いた。

「名前、教えてもらえませんか?」


言った後に考えてみれば、いきなり名前教えてもなかなかの不審者ではないだろうか。

一度目線を落としたら彼女の顔を見ることが出来ない。

どんな顔をしているだろうか。

きっと嫌がっているだろうな。


「私、笹川澪。笹の川に、澪標(みおつくし)の澪」

嬉しかった。

感想を言うとしたらそれだけだった。

脳内では10分以上に感じたが、実際は2秒くらいだろうか。

颯太は彼女のことを見つめていた。

しかし、返事をしなくてはと思った。


「えっと、ぼ、僕は…望月颯太です。

えーと、あの、望んだ月が…その…風に流されるみたいな、そんな感じの颯…いや、月は流されないか…。

あ、でも名前の“颯”は、風がさっと吹くようなイメージで、望月は…満月の…っていうか、満ちた月で…。

つまり、えっと…その…風に吹かれる月みたいな……です!」


僕なんて何年ぶりに使っただろうか。

それよりも何て言った?

自分でも自分のいったことが理解出来なかった。

最悪だ。絶対覚えてもらえない。


しかし彼女は真剣に聞き返してきた。

「ごめん、もう一回教えてくれる?」

そう言うと、先ほどの手帳の空白ページを颯太に見せてきた。

颯太は今度は簡潔に。

「望むに月で望月。はやてに太いで颯太です。」

「もちづき、そうた、君ね!」


俺の名前何てそんな真剣にメモしなくてもいいだろ。

颯太だけではなくて、後ろでこのやりとりを見ている陽菜もそう思っていただろう。

彼女は純粋な心を持っているんだ。

颯太はますます彼女の虜になっていった。


「すぐ行くね!明日にでも行くね!」

すごい食いつきよう。

そんなに甘いものが好きなのか。


「はい!待ってます!」

颯太が答えている間に、「早く行くよ」と陽菜に引っ張られて澪は言ってしまった。


「笹川澪さん。」

颯太はそう呟くと、自分もメモをした方がいいのか?

と思ったが、そんな事しなくても忘れるなんてことは無い。

忘れられるはずもない。


でも念の為と思い、スマホのメモ帳に名前を入力する。

2回改行をして、空行を作る。

カッコで囲んでタイトルを付けようとしたが、思ったように行かず、タイトルをやめる。

「材料」と書いて、その下に必要な材料をメモする。

その下に「レシピ」と続けた。


どんなケーキを作ろうか。

今から力が入る。

書いては消して、やっぱり戻そうとしてスマホを振る。

そんなこんなしていると喫茶店の前に着いていた。


バイトが楽しみになる日が来るなんて思わなかった。

 

しかし、それから二週間の間、彼女に再会できることはなかった。

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