第一章 35分の出会い
ページ1 出会いと一目惚れ
シーン①
「すみません、忘れてました」
バイト先の後輩が店長に謝っていた。
深夜のネットカフェ。
後輩が忘れていたのはドリンクの発注だった。
「あんなに怒らなくても。」
「まずは忘れてたことを反省しなよ。」
確かにあんなに怒らなくても、というのは俺も思った。
平日のネットカフェなんてそんなに人は多くない。
ドリンクの在庫もなんとか今日中に発注すれば間に合うくらいにはある。
きっと店長が怒ったのは発注を忘れていたこと自体じゃない気がする。
任せたことによる信頼を裏切られた気がしたのではないだろうか。
記憶とは時に信頼などの別の意味を持つことがある。
約束を忘れてしまった時、思い出さない方が幸せだと思う。だって思い出した瞬間に罪悪感が湧いてくるからだ。
人間は大切なことは忘れるくせに、しょうもないことは覚えている。
でもきっと忘れたくても忘れられない大切な思い出はきっと出来る。
彼にとってのその瞬間はすぐに訪れる。
望月颯太。
IT系の専門学校に通いながら、夕方は、駅から少し離れた場所にある落ち着いた雰囲気の喫茶店「カフェ・ドゥ・ソレイユ」で、
夜は、専門学校の近くにあるネットカフェで、
それぞれアルバイトをしている。
何故そこまでしてアルバイトをするのかって?
彼には稼ぐ目標がある。
それは「いつか出会うであろう彼女に貢ぐため」だ。
彼の理想は長い黒髪で清楚な女性。
顔は見えない。きっと美人なんだろう。
妄想もここまで来たら怖いなと思いながらもその女性との時間を楽しんだ。
デートの場所は水族館か?
また来ようねという彼女に対して、颯太は回答するまえに頭に衝撃が走った。
「おはよう、望月くん。もう朝だよ。」
そういって颯太を起こしたのは専門学校の講師の一ノ瀬だった。
どうやら颯太は授業中に居眠りをして理想の彼女との夢を見ていたらしい。
「バイト漬けで大変ですな~。」
そう言って煽ってきたのは同じ専門学校で夕方のバイトも同じ藤原大輔だ。
大輔は続ける。
「それだけ稼いでも、肝心な彼女さんはいつできるんですか?」
「うるせえよ。今、夢でその『いつかの彼女』に会ってたところなんだから」
颯太がそう冗談めかして言うと、大輔はさらに笑いながらからかってきた。
「それで夢の中の恋人さんは癒してくれましたか?」
「え?聞く?めっちゃ可愛かったよ。」
「聞かない。ってか現実を見ろよな。」
「そうだぞ~。現実見ろよ~。」
大輔に乗っかるように一ノ瀬が続けた。
「先生まで言うんですか。いいじゃん理想を抱いたって。」
「いや、お前だけ今日補講な。」
「え?」
「え?じゃなくてこの間の試験。お前だけ点数足りないんだよ。まあ留年するなら別だけど。」
普段はそんなことはありえない。
だが思い出した。
1回だけバイトが続いて、夜勤明けなこともあり頭が回らない試験があった。
「あれか〜。」
颯太の思考は口に出ていた。
「じゃあ、先バイト行ってるわ。」
と薄情者の大輔は颯太を置いて教室を後にした。
補講が終わり、課題のプリントを提出しようとする。
教室の隅で一ノ瀬は無精ひげを左手でなぞりながら、右手に持った小説を読んでいた。
「何を読んでるんですか?」
「恋愛小説。」
「似合わな。」
実際、似合わない。
この一ノ瀬という男は言いたくはないが二枚目だ。
さらにはこの学校で医療専攻の講師をやりながら、普段は病院の精神科でカウンセリングもしているという
エリートという部類なのだ。
そんな男が恋愛小説なんて。
現実でも恋愛できるだろうに。
「先生は医学的に恋愛は必要だと思いますか?」
本当に気にもなったけど、このイケメンの顔を歪ませてやりたいとおもったのが本音だ。
でも颯太の予想は遥に上回る速度で返答は返ってきた。
「必要ない。」
返答内容は予想通りだった。なんだかドライなんだ、この人は。
「医学的には子孫繁栄さえできれば、恋愛なんて必要ない。それどころか、いい遺伝子どうしを無理にでもくっつける方が進化につながる。」
「じゃあなんで人間は恋愛なんてするんですかね?」
「それはまあ、」
颯太は唾を飲んだ。この答えが自分の人生に大きな意味をもたらす、そんな気がした。
「まずは現実の恋愛をしてから考えなさい。」
期待で空を舞っていた颯太の体が、急に重力を感じたように落とされた。
今に見てろよ。
俺のくっそ可愛い彼女を自慢してやる。
と思ったのと同時に、この人に取られそうな気もしたので口に出すのはやめておいた。
颯太は専門学校を後にすると、徒歩でバイト先に向かった。
道中に海沿いの道を通る。
春の風が心地いい。
ここを通るのが、喫茶店でのバイトの楽しみのひとつだ。
景色も空気もいい。
いつか理想の彼女とこの場所を歩くことを想像しながら
颯太はいつもバイト先に進む。
「はい、チーズ。もう1枚!」
写真を撮っているカップルがいた。
颯太にはあの行動が理解出来なかった。
写真を撮ることではない。
何度も取り直すあの行為だ。
思い出を残すためというならば一枚でいいじゃないか。
どうせ何枚とっても二人は同じ二人なのだから。
そう思いながら、颯太はスマホのカメラをつけた。
パシャリ。
撮れた絵を見て、もう一枚。
パシャリ。
さっきあんなことを言っておきながら二枚撮ったと思っただろうか。
颯太が撮ったのは雲の写真だ。
撮った二枚の写真はどちらも違うものだ。
雲は風に流されてすぐにその形を変えてしまう。
同じ雲は二度と撮れないのだ。
だからこうして時々雲の写真を撮る。
颯太は自分でも分かっていた。
捻くれている。
彼女が出来ればこの捻くれた性格も少しはマシになると自分に言い訳をする。
「あの、すみません……」
背後から、澄んだ、それでいてどこか鈴が転がるような心地の良い声が聞こえた。
振り向くと、そこに立っていたのは、夢で見た彼女とは違ったが、綺麗な女性だった。
少し見とれてしまったことに気付き目をそらす。
そして頭をフル回転させて、声をかけられた理由を探す。
もしかしてさっき撮った写真に写りこんでしまって削除の依頼か?
それとも写真見ながらニヤニヤしてしまった?
それを気持ち悪がられた?
いや、これだけ綺麗な人だ。
何か詐欺にあうのかもしれない。
女性から声をかけられたことなんてない颯太は
ネガティブな考えばかり頭に浮かぶ。
考えても答えは出なかった。
そうこう考えているうちに、またしても澄んだ声で彼女が言う。
「あの、写真撮ってもらえませんか?」
颯太はその依頼を了承して、海と空をバックに彼女をその風景の中に収める。
一枚、二枚。何枚撮っただろうか。
颯太は先ほどの雲を撮っていた時と同じくらい。
いやそれ以上にこの風景の撮影に取り込まれていた。
彼女はまるで雲のように、今撮っておかないと二度と同じ彼女は見ることが出来ないそんな気がした。
春風が髪をなびかせて、前に出た髪を耳にかける仕草。
そのひとつの動作がCMのように光る演出を想像させてくる。
いろいろ理由をつけてはいるが、
思わず口から出た言葉が真実だった。
「綺麗だ。」
今、少しだけ何枚も写真を撮るカップルの気持ちが分かった。
同じ雲がないように、同じ瞬間も二度とは訪れない。
その瞬間を少しでも逃さないように写真に収めているんだろう。
颯太も思った。
この瞬間が終わらないで欲しいと。
パシャリ。
思いがけずシャッターを押した。
しばらく撮ることを忘れて、その美しい姿に見惚れていた。
頭で考えずとも分かっていた。
この胸の高鳴りが何なのか。
体温が上がっていく。
颯太はとっくに恋に落ちていた。
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