第三章:重さという罠

 戦争における最大の敵は、敵兵ではない。「物理法則」だ。どれほど優れた剣士も、剣が折れればただの人だ。どれほど屈強な兵士も、腹が減れば槍を持ち上げることはできない。そして、どれほど賢明な将軍も、「戦果」という名の甘い餌の前では理性を失う。


 決戦の朝が来た。天気は晴朗。視界は良好。しかし、私のいる後方陣地の空気は、奇妙なほど弛緩(しかん)していた。


「報告!敵軍、全戦力を前線に集中!我が軍の英雄ガランドを包囲しつつあります!」「敵の補給部隊の動きは?」「ほぼ停止しています。敵はここ数日の襲撃で奪った物資で『十分だ』と判断した模様。後方の輸送力を切り離し、前線の機動力強化に回しています!」


 伝令兵の声に焦りはない。むしろ、敵の猛攻を前に「なぜ我々は動かないのか」という不満が滲んでいる。だが、私はその報告を聞いて、深く静かに息を吐いた。


「計算通りだ。……あとは、いつ彼らがその『重さ』に気づくか、だ」


 私は懐中時計を見る。前線では今頃、ガランドがライオンのように吠え、敵陣を食い破ろうとしているはずだ。敵将はそれを好機と捉えているだろう。「補給を断ち、孤立した英雄を、我々の潤沢な物資と兵力ですり潰す」と。


 だが、彼らは知らない。彼らが奪い、喜び勇んで腹に詰め込んだその「物資」の正体を。


 双眼鏡を覗く。遥か彼方、砂煙の向こうで戦況が動き始めていた。


 最初は、些細な違和感だったはずだ。敵兵の動きが、鈍い。ガランドの大剣を受け止めようとした敵の盾兵が、踏ん張りが効かずに弾き飛ばされる。  包囲攻撃を仕掛けようとした騎兵隊が、馬の速度に乗れずに隊列を崩す。


「なんだ? 敵の動きが……重いぞ?」


 護衛の兵士が怪訝そうに呟く。当然だ。彼らはここ数日、私が意図的に放置した「乾燥芋」や「ふすま入りの黒パン」を大量に摂取している。彼らは士気高揚のため、奪った物資を“戦利品”として即座に兵へ分配したのだ。これらは腹持ちだけは良い。胃袋を物理的に膨らませ、満腹感を与える。  だが、決定的に「カロリー」が足りない。重い鎧を着て戦場を走り回るために必要な、爆発的な熱量が生成されないのだ。


 満腹なのに、力が入らない。気力はあるのに、体が鉛のように重い。今の敵軍は、見えない鎖に全身を縛られた状態で戦っているに等しい。


「さらに、彼らは“荷物”を持ちすぎた」


 私は冷ややかに独りごちる。敵は補給線を縮小した。つまり、「奪った物資」を兵士個々人に持たせて行軍しているのだ。予備の矢、予備の剣、そしてかさばる食料。それらが数キログラム単位の死重(しじゅう)となり、兵士の体力を一歩ごとに削り取っていく。


 そして、決定的な破綻が訪れる。


 カキン、という硬質な音が、戦場のあちこちで響き始めた。ガランドと打ち合った敵の剣が、飴細工のように砕け散る。放たれた敵の矢が、なぜか狙いを外れて明後日の方向へ飛んでいく。


「な、なんだ!? 剣が折れた!?」「矢が弦に合わない!飛距離が出ないぞ!」


 敵陣から悲鳴が上がる。私が「奪わせた」武器。それらは、見た目こそ正規軍の装備だが、その実は「規格外品」の廃棄処分品だ。鋳造の温度管理を失敗して脆くなった剣。羽の角度がわずかにズレていて真っ直ぐ飛ばない矢。自軍の規格とは数ミリ合わない、ガタつく槍の穂先。


 平時の訓練なら問題ないかもしれない。だが、ここは極限の負荷がかかる決戦の場だ。命を預ける道具が、最も重要な瞬間に裏切る。その心理的ダメージは計り知れない。


「おらおらおらぁッ!!」


 ガランドの咆哮が轟く。彼は止まらない。こちらの補給線が生きており、最高級の干し肉とワインでエネルギーを充填している彼は、時間が経つほどに元気になっていく。一方、敵は油切れのランタンのように、急速に光を失っていく。


 スタミナ切れ。装備の破損。 して、頼みの綱の「奪った物資」は、ただの重いゴミと化した。


 敵の包囲網が、音を立てて崩壊する。それは戦術的な敗北ではない。  組織としての、物理的な「壊死(えし)」だった。


 私は双眼鏡を、敵の本陣へと向けた。そこにいるであろう敵将の顔を想像する。


 彼は今、悟ったはずだ。いや、目の前の崩壊を見て、悟らざるを得なかったはずだ。自分たちが「補給を奪った」のではなく、「ゴミ処理をさせられていた」事実に。成功体験という餌に釣られ、自ら進んで重りを背負い込み、機動力を殺してしまったことに。


(聞こえるか、敵将よ)


 私は心の中で語りかける。君は優秀だった。ガランドの脅威を正しく認識し、補給線を断つという正解を選ぼうとした。だが、君は一つだけ間違えた。戦争を決めるのは、剣の鋭さでも魔法の威力でもない。――グラム単位の重さと、カロリーという数字だ。


 前線では、もはや一方的な光景が広がっていた。剣を失い、動けなくなった敵兵たちが、次々と投降していく。ガランドは高らかに勝利の雄叫びを上げている。


「見たか! これが俺の力だ!」


 兵士たちが熱狂する。英雄の名を叫ぶ。その声は天を衝く勢いだ。だが、私の耳に届くのは、その熱狂の裏にある、冷厳な事実の音だけだ。帳簿のページをめくる音。そして、計算式の最後の答えが弾き出される音。


「……終わりだ」


 私は帳簿を閉じた。誤差なし。敵軍の損耗率、自軍の消費量、すべて計算通り。魔法も奇跡も必要ない。ただ、必要な物資を、必要な場所に、必要な量だけ配置した。それだけのことが、最強の軍隊を砂上の楼閣に変えたのだ。


 敵将は最後に思っただろうか。『剣を持たぬ者に、負けた』と。


 砂煙が晴れていく。そこには、剣の届かぬ場所で正確に決着した、残酷なまでに静かな勝利の図式が描かれていた。


(第三章 完)

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