第二章:檻の位置を決める
戦場において、最も雄弁なのは言葉ではない。「動き」だ。特に、怯えたふりをして見せる背中ほど、敵を誘う蜜はない。
第一章の終わりから二日が経過していた。天幕の外は、奇妙なほど穏やかだった。遠くで響く魔導砲の音も、心なしかリズムが一定している。私は机の上に広げた地図に、青いインクで×印を書き込んだ。
「報告します!『ルートD』の囮(おとり)部隊、敵騎兵隊と接触!交戦ののち、予定通り物資を放棄して撤退しました!」「被害状況は?」「馬車三台が炎上。御者と護衛兵は全員、森へ逃げ込み無事です。敵は放棄された荷馬車を略奪し、帰還しました」
伝令兵の報告に、私は小さく頷いた。釣り針にかかった。
放棄させた馬車に積んでいたのは、重要物資ではない。中身は、見栄えだけは良い儀礼用の剣や、かさばる酒樽、そして保存性は高いが味の悪い乾パンだ。どれも戦場では「あれば嬉しいが、なくても困らない」程度のもの。だが、敵将は今頃、奪った戦利品の山を見て「補給線を叩いた」という成功体験に浸っていることだろう。
「本命の『ルートB』は?」「ガランド将軍の暴れっぷりに敵の目が向いている隙に、無事通過。前線拠点への搬入、完了しました!」
計算通りだ。敵は「英雄」という強烈な光と、「脆い補給線」という甘い餌の二つに気を取られている。その隙間を縫って、私は本物の血流――食料と替えの武器、そして“次の仕掛け”――を前線へと送り込んでいた。
「よし。次の段階に移る。全部隊に通達」
私は地図上の拠点を指でなぞり、その位置を大きく手前へとずらした。
「前線集積地アルファおよびベータを放棄。物資を後方の予備陣地へ移動させろ」「は? し、しかし……戦況は優勢です。なぜ下がるのですか?」
副官が怪訝な顔をする。当然の反応だ。ガランドは勝っている。前線は押し込んでいる。それなのに、兵站だけがズルズルと後退しようとしているのだから。
「拠点を固定すれば、敵はそこだけを狙い撃てばいい。だが、動かして分散させれば、敵は『当たり』を引けなくなる」
私は淡々と告げた。
「表向きの理由は『安全確保』だ。敵の襲撃を警戒し、大事を取って下がる――そう見せかけろ」
それは、敵から見れば「弱腰」に映るだろう。補給線が維持できず、悲鳴を上げて縮こまったように見えるはずだ。だが、これこそが「檻(おり)」の造形だ。
私は地図を見る。補給拠点を下げれば、当然、最前線までの距離は伸びる。輸送はより困難になり、ガランドの部隊は孤立感を深める。常識的な指揮官なら、前線の進軍を止めて足を揃えるところだ。
だが、相手はあのガランドだ。そして敵将は、ガランドしか見ていない。 私が補給拠点を下げることで、敵将の中で一つの確信が生まれる。『敵の兵站は崩れかけている。あとは、突出した英雄さえ包囲して叩けば終わる』と。
そう思わせた瞬間、敵の思考は固定される。彼らはガランドを止めることに全精力を注ぎ込み、その背後で私が何を運び、何を準備しているかへの関心を失う。
その時、天幕の外が騒がしくなった。帰ってきたのだ。戦場の主役が。
「兵站屋ァ!酒だ、酒はあるか!」
ガランドが天幕に入ってくる。数日前よりもさらに鎧の汚れは酷くなっているが、その表情は以前にも増して爛々(らんらん)と輝いていた。精神論を体現する男。彼は補給が届いたことへの感謝など口にしない。「俺が勝ったから道が開いた」と信じているからだ。
「用意してありますよ。あなたの武勇を祝う、極上のものが」
私は用意させておいた葡萄酒の瓶を差し出した。ガランドはそれをひったくり、栓を歯で食いちぎると、ラッパ飲みする。喉を鳴らして飲み干し、彼は荒々しく息を吐いた。
「ぷはぁっ!生き返るな!これさえあれば、あと十日は戦える!」「さすがです。……ところで、ガランド様。少し耳に入れたいことが」「なんだ? 湿気た話なら聞かんぞ」
私は地図を指差した。意図的に後退させた補給拠点と、現在地。その距離の遠さを示す。
「敵の遊撃隊がうるさいので、集積地を少し後ろへ下げました。これにより、前線への輸送には今まで以上に時間がかかります」「ああん?つまり、俺に『待て』と言うのか?」
ガランドの目がすっと細くなる。猛獣の目だ。獲物を前にして鎖を引かれ、苛立つライオンの目。ここで「引いてください」と言えば、彼は私に噛みつくだろう。そして無理やり進軍し、無秩序な消耗戦に突入する。
だから、私は首を横に振った。
「いいえ。逆です」
私は眼鏡の位置を直し、彼の目を真っ直ぐに見据えた。
「我々は後ろで支えます。ですが、あなたの足は止めない。……むしろ、もっと前に出ていただきたい」「ほう?」「敵は補給線を狙ってきています。ですが、あなたが敵の本陣深くまで食い荒らせば、敵は補給線どころではなくなる。違いますか?」
ガランドの顔が、ぱあっと明るくなった。純な男だ。だが、だからこそ扱いやすい。彼は私の肩を強く掴んだ。
「その通りだ!俺が敵を殲滅すればいい!敵将の首さえ取れば、補給の心配など無用になる!」「ええ。あなたが前に出てくださるのが一番です。我々のことなど気にせず、存分に暴れてください」
心にもない言葉を、滑らかに紡ぐ。ガランドは「よく言った!」とばかりに私の背中を叩き、上機嫌で天幕を出て行った。「行くぞ野郎ども!兵站屋が『もっとやれ』だとよ!俺たちの強さを見せつけてやるぞ!」
遠ざかる歓声。私は痛む肩をさすりながら、静かになった天幕で一人、冷たい笑みを浮かべた。
(猛獣は、走らせてこそ価値がある)
そうだ。もっと走れ。もっと吠えろ。お前が派手に動けば動くほど、敵の目は釘付けになる。敵将はお前を止めるために、予備兵力も、魔法部隊も、そして何より「輸送力」を前線に集中させざるを得なくなる。
私は帳簿を開く。次のページには、すでに準備を終えた「特別な物資」のリストが記されていた。
かさばるだけで腹の膨れない乾燥食品。自軍の規格とは微妙に合わない、鹵獲(ろかく)品の矢。見た目は立派だが、耐久性の低い鋳造剣。
私は、ガランドを檻に入れたのではない。戦場全体を、巨大な檻に作り変えたのだ。ガランドという猛獣を囮にして、敵軍そのものを「飢え」と「重さ」の檻へと誘い込む。
「檻の位置は決まった」
私は羽ペンをインク壺に浸した。次は、その檻の中に、鉛のように重い餌を撒く時間だ。
(第二章 完)
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