第6話:ブラックカードの正しい使い道、または店員の掌返し

 放課後。

 俺は西園寺さんを連れて、市内にある最高級百貨店『ロイヤル・ヒルズ』を訪れていた。

 理由は単純。彼女の着ている制服以外の私服が、あまりにもボロボロだったからだ。

 没落した時にほとんどの荷物を差し押さえられ、手元に残ったのは数着のファストファッションだけらしい。


 俺は彼女の「投資価値」を冷静に分析していた。

 美貌、知性、品格。これらは確実に存在する。

 だが、現在の「外装」がそれらの価値を十分に表現できていない。

 

 これは投資における「アンダーバリュー」の典型例だ。

 本来の価値に見合わない低い評価を受けている状態。

 適切な「リブランディング」により、市場価値を大幅に向上させることができる。


 俺の「妻」として対外的な活動をするなら、それなりの装備(スキン)が必要だ。

 これは浪費ではない。必要経費(CAPEX)だ。


「あ、あの……こんな高級なお店、今の私には……」

「気にするな。俺の信用に関わる」


 俺は彼女の不安を理解していた。

 かつて「お嬢様」として育った彼女にとって、現在の経済状況は屈辱的だろう。

 プライドが傷つくのも当然だ。

 

 だが、投資家として俺は「感情」よりも「効率」を重視する。

 彼女の価値を最大化するための投資は、必要不可欠だ。


 俺たちはVIP専用外商サロン『The Salon』の入り口に向かった。

 空調が効きすぎている。人工的な無臭の空気が、逆に居心地の悪さを際立たせる。肌寒い。

 重厚なマホガニーの扉の横には、隙のない笑顔を貼り付けたコンシェルジュが立っている。

 彼女は俺たちの姿――特に俺のヨレたTシャツと、西園寺さんの少し草臥れたローファー――を見た瞬間、笑顔を氷点下まで凍らせた。


 俺は彼女の反応を予想していた。

 外見による「第一印象」は、人間の判断に大きく影響する。

 これは行動経済学でも証明されている現象だ。

 

 高級店の店員は特に、顧客の「支払い能力」を瞬時に判断する訓練を受けている。

 俺たちの外見は、明らかに「低所得者」のそれだった。


「……お客様。配送業者の受付は裏口となっておりますが」


 あからさまな門前払い。

 まあ、そうなるよな。

 このサロンは、年間購入額が最低でも300万円を超える「上客」しか入れない聖域だ。

 俺のような貧乏高校生が迷い込んでいい場所ではない。


 ま、そうなるよな。

 ここは年収数千万クラスの「上客」専用サロン。

 俺みたいな貧乏高校生が迷い込んでいい場所じゃない。


 隣の西園寺さんが恥ずかしそうに俯く。

 その表情に、かつての「お嬢様」としてのプライドが傷ついているのが見て取れた。


「配送じゃない。買い物に来た」

「はあ。……失礼ですが、当サロンは完全会員制となっておりまして。一般のお客様は……」

「会員証があればいいんだろ?」


 俺は財布から一枚のカードを取り出した。

 プラスチックではない。チタン製だ。

 黒く鈍い光を放つそのカードを、大理石のカウンターに放る。


 このカードを取得するまでの道のりを、俺は思い返していた。

 3年前、海外不動産への投資で一括5億円の決済を行った時。

 アメリカン・エキスプレスから「特別なご案内」が届いた。

 

 センチュリオン・カード。

 世界で最も取得困難とされるクレジットカードの招待状だった。


 カキンッ。


 重たい金属音が響いた。

 コンシェルジュが眉をひそめてカードを手に取り――次の瞬間、悲鳴を上げそうになって口を押さえた。


「ア……アメックス……センチュリオン……!?」


 彼女の手が震え出す。

 ブラックカードの中でも最高峰。完全招待制の幻のカードだ。

 入会金55万円、年会費38万5000円。

 それだけで、新卒社員の手取り数ヶ月分が消し飛ぶ代物だ。


 コンシェルジュの手が震えてる。

 ブラックカードのさらに上。幻のセンチュリオン。

 入会金だけで新卒の年収が吹っ飛ぶ、正真正銘の「王者の印」だ。


 もちろん、俺の父のではなく、俺自身の力で手に入れたものだ。

 数年前、海外の不動産を一括購入した際に発行のインビテーションが来た。


 俺は当時の状況を鮮明に覚えていた。

 ロンドンの高級住宅街、ケンジントンにある物件。

 築100年の歴史的建造物を、5億円で一括購入した。

 

 その決済履歴を見たアメックスが、「特別顧客」として俺を認定したのだ。

 17歳でセンチュリオン・ホルダーになった日本人は、おそらく俺が初めてだろう。


「か、確認いたします! 少々お待ちを!」


 数分後。

 奥から、百貨店の総支配人が顔面蒼白で走ってきた。

 額から滝のような汗を流している。


 俺は彼の心理状態を分析していた。

 センチュリオン・ホルダーは、百貨店にとって「最重要顧客」だ。

 一回の買い物で数百万円、年間では数千万円を消費する可能性がある。

 

 そんな顧客を「門前払い」してしまった責任は重大だ。

 下手をすれば、本社からの処分もありうる。


「く、久遠様! 大変失礼いたしました! まさかセンチュリオン・ホルダーご本人様がいらっしゃるとは!」

「いいよ、いつものことだから。……外商を呼んでくれ。彼女に合う服を」


 西園寺さんがポカンとしてる。

 悪いな、今まで貧乏人のフリしてて。

 これが本来の「俺」なんだよ。


「予算は?」

「上限なし(アンリミテッド)。……彼女のポテンシャルを最大化できるものを、適当に見繕え」


 俺は投資における「集中投資」の概念を適用していた。

 分散投資でリスクを下げるのではなく、価値ある対象に集中的に資金を投入する。

 西園寺さんは、そんな「集中投資」に値する人材だ。


「かしこまりましたあああっ!!」


 そこからは戦場だった。

 一流のスタイリストたちが集められ、西園寺さんは着せ替え人形のように次々とハイブランドの服を試着させられた。


 俺は彼女の変化を注意深く観察していた。

 最初は戸惑っていた彼女が、徐々に「本来の自分」を取り戻していく過程。

 これは投資における「バリューアップ」の実例だった。


 『シャネル』のツイードジャケット。

 『ディオール』のシルクドレス。

 『エルメス』のスカーフ。


 次々と提示される金額は、数十万から数百万。

 総額が軽く500万円を超えていく。

 だが、俺の表情筋はピクリとも動かない。


 500万円。

 高い? まさか。

 俺の総資産の0.1%だぞ?

 自販機でジュース買うのと変わらない感覚だ。


 リスクなんてない。

 全額ドブに捨てても痛くも痒くもない金額で、西園寺さんの「市場価値」が上がるなら、費用対効果は抜群だ。


 一時間後。

 試着室のカーテンが開いた。


「……あの、どうでしょうか……旦那様?」


 そこには、真夜中の星空のような深い群青色のシルク・シフォンのドレスを纏った、女神が立っていた。

 定価128万円。

 宝石なんてつけていないのに、彼女自身が発光しているようだ。

 滑らかな生地が彼女の白磁の肌を引き立て、華奢な鎖骨のラインを美しく浮かび上がらせている。


 俺は彼女の「変身」に驚愕していた。

 これは単なる「着飾り」ではない。

 彼女の内面にある「本来の価値」が、適切な外装により顕在化したのだ。

 

 投資用語で言えば「アセット・エンハンスメント」。

 既存資産の価値向上施策だ。


 店員たちが溜息を漏らす。

 「美しい……」「素材が喜んでいるわ……」


 俺は腕組みをして、じっくりと彼女を査定した。

 素材よし。デザインよし。

 そして何より、彼女の自信を取り戻させたことによる「顔つき」の変化。

 路地裏で見た時の「薄汚れた元・お嬢様」の影は消え、かつての「高嶺の花」としてのオーラが完全に復活している。

 いや、一度底を見た分、以前よりも凄みが増しているかもしれない。


 俺は彼女の「投資価値」を再評価していた。

 

 外見的価値:A+(ドレス効果により大幅向上)

 知的価値:A(変わらず高水準)

 希少性:S(世界に一人だけの存在)

 成長性:A+(まだ伸び代がある)

 

 総合評価:S級投資案件


「……悪くない」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。これなら、俺の隣に置いても資産価値を毀損しない」


 俺の素っ気ない言葉に、西園寺さんは花が咲くような笑顔を見せた。

 その笑顔は、今まで見た中で最も美しかった。

 

 俺は彼女の「感情的価値」についても考えていた。

 投資には「定量的価値」と「定性的価値」がある。

 数字で測れる価値と、数字では測れない価値だ。

 

 彼女の笑顔は、明らかに後者に属する。

 だが、その価値は決して軽視できない。


「ありがとうございます! ……一生、このドレスが擦り切れるまで尽くします!」

「いや、擦り切れたらまた買えよ。……減価償却(デプリシエーション)が終わる前にな」


 俺は会計を済ませることにした。

 支払い方法は、もちろんセンチュリオン・カード一括払い。

 ポイント還元率1%なので、5万円分のポイントが貯まる計算だ。


 俺は決済システムについても詳しく理解していた。

 クレジットカード会社は、加盟店から手数料を徴収している。

 通常のカードなら2-3%だが、センチュリオンクラスなら1%程度。

 

 つまり、百貨店側は売上の1%をアメックスに支払う。

 500万円の売上なら、5万円の手数料だ。

 

 だが、それでも百貨店は喜んで受け入れる。

 センチュリオン・ホルダーは「リピート顧客」になる可能性が高いからだ。


 決済が完了すると、支配人が深々と頭を下げた。


「久遠様、本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」


 あー、気持ちいい。

 この「手のひら返し」の音を聞くために金持ちやってるようなもんだ。

 

 ネット通販じゃ味わえない、リアル店舗ならではのエンターテイメントだな。


 俺は店を出た。

 支配人と店員たちが、俺たちが見えなくなるまで90度の最敬礼で見送っていた。


 掌を返す音が心地いい。

 

 この百貨店での「上客」としての扱いは、金だけでは買えない。

 圧倒的な「信用(クレジット)」があって初めて成立する。

 

 これもまた、金という「力」がもたらす最高のエンターテイメントだ。


 俺は西園寺さんの横顔を見た。

 彼女の表情には、自信と誇りが戻っていた。

 これが俺の「投資」の成果だ。


「栞」

「はい?」

「今日の買い物、どうだった?」

「……夢のようでした。まるで、昔の生活に戻ったみたい」


 彼女の声には、感謝と安堵が混じっていた。


「でも、これは夢じゃない。これが今の俺たちの『現実』だ」

「現実……」

「ああ。お前は俺の『資産』だ。資産は適切にメンテナンスしなければ、価値が下がる」


 俺は投資における「資産管理」の重要性を説明していた。

 どんなに優良な資産でも、適切な管理を怠れば劣化する。

 定期的なメンテナンスが必要だ。


「私は……旦那様の資産……」

「そうだ。そして、俺はお前という資産を、最大限に活用する」


 俺と栞は、夜の街を歩き出した。

 彼女のヒールの音が、以前よりも高く、誇らしげに響いていた。


 俺は今日の「投資成果」を総括していた。

 

 投資額:500万円

 期待リターン:西園寺さんの市場価値向上、俺の社会的地位向上

 リスク:ほぼゼロ(総資産の0.1%未満)

 

 これは間違いなく「成功投資」だった。


 そして、俺は気づいていた。

 この投資の真の価値は、金銭的なものではないということを。

 

 彼女の笑顔、自信、そして俺への感謝。

 これらは「プライスレス」な価値だった。


 金で買えるのは「服」と「態度」だけ。

 でも、その効果で彼女がこんなに輝くなら……悪くない。

 

 数字には表れないリターン(笑顔)、プライスレスってやつか。


(つづく)

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貧乏人とは付き合えない」と俺を振った元カノ、実は俺が【資産50億円】の投資家だと知って復縁を迫るがもう遅い 月下花音 @hanakoailove

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