第4話:タワマンという名の「倉庫」、あるいはミニマリストへの誤解
「ど、どうぞ……お入りください、旦那様……」
「いや、俺の家だぞ。なんでお前が案内してるんだ」
俺たちは駅前の超高層タワーマンション、その最上階(ペントハウス)の前に立っていた。
オートロックを顔パスで抜け、専用エレベーターで昇ること数分。
俺は重厚な扉を開けた。
このマンションは、俺が2年前に現金一括で購入した物件だ。
購入価格は8億円。
当時、俺の資産が30億円を突破した記念に買った「記念品」のようなものだった。
不動産投資としての利回りはカスだけど、セキュリティだけは最強。
現金一括なら審査も身元確認もユルユルだしな。
俺みたいな「隠れ金持ち」には都合がいい。
「お邪魔しま……えっ?」
後ろについてきた西園寺さんが、絶句して固まった。
無理もない。
広さ200平米のリビングには、家具が一つもなかったからだ。
ソファも、テーブルも、テレビもない。
あるのは、部屋の隅に転がっている寝袋ひとつと、床に直置きされたハイスペックPCが3台だけ。
PCは全て最新のゲーミング仕様で、一台あたり100万円を超える代物だ。
トレーディング用、情報収集用、バックアップ用と、それぞれ異なる役割を持っている。
モニターは合計で12枚。まるで証券会社のディーリングルームのようだ。
「……あの、これは……?」
「俺の部屋だ」
「強盗に入られたんですか?」
「違う。家具なんて邪魔なだけだろ」
俺は靴を脱いで、そのままフローリングに上がった。
言っとくけど、ここ生活空間じゃないから。
ただの「倉庫(ストレージ)」兼「サーバー室」。
俺がここでやることは、チャートを見るか、ニュース読むか、寝るかだ。
家具なんて置いたらルンバが詰まるだろ?
非効率の極みだ。
「……なるほど。これが『持てる者』の余裕……究極のミニマリズム……!」
西園寺さんが何やら勝手に感動して震えている。
いや、単に興味がないだけなんだが。
彼女は部屋の中を見回し、壁に掛けられた一枚の絵画に目を止めた。
ピカソの『ゲルニカ』のレプリカだ。
「あの……これは……?」
「ああ、それか。父の形見だ」
俺は振り返らずに答えた。
父が生前、「投資の本質は破壊と創造だ」と言って、この絵を愛していた。
俺にとって、唯一の「感情的価値」を持つ物品だ。
「さて、と」
俺はPCの前にあぐらをかき、彼女に向き直った。
彼女はビクッと肩を震わせ、決意を固めたような悲壮な顔をした。
「……覚悟は、できています」
彼女はおもむろに、制服のリボンに手をかけた。
そして、震える手でブラウスのボタンを外し始めた。
「は?」
「5000万もの大金を払っていただいたのです。……この体で償う以外、私には何もありませんから」
スルスルとスカートのホックにまで手を伸ばす。
白い肌が露わになりかけ――。
「ストップ! やめろ! 通報される!」
俺は慌てて彼女の手を止めた。
危ない。もう少しで俺が社会的信用(クレジット)を失うところだった。
「……お気に召しませんか? 確かに私は、胸も慎ましいですし、経験もありませんが……」
「そういう問題じゃない。言っただろ、体はいらないって」
はあ……これだから元・お嬢様は。
マンガの読みすぎだろ。
発想が昭和の昼ドラなんだよ。
「俺が求めているのは、もっと別のアセット(資産価値)だ」
「アセット……?」
「ああ。今の俺には『金目当ての有象無象』が寄り付きすぎて鬱陶しい。特に元カノとかな」
俺はPCのモニターを指差した。
画面には、今日の取引結果が表示されている。
プラス2800万円。
亜理紗が東条と高級寿司を食べている間に、俺は彼女の年収を軽く超える利益を上げていた。
「だから、お前には『虫除け(ファイアウォール)』になってもらう」
「虫除け……ですか?」
「そうだ。俺には『西園寺栞』という最高級ブランドの妻がいる。だから他の女には興味がない――そう周囲に思わせるための、完璧な『妻』を演じろ」
要するに、カモフラージュだ。
俺の隣に「西園寺栞」っていう最高級ブランド品を置いておけば、有象無象のハエ(金目当ての女)は寄ってこれない。
5000万の初期投資で一生もののセキュリティソフトを買ったと思えば、安いもんだろ。
それを聞いた西園寺さんは、ポカンと口を開け――次の瞬間、パァッと顔を輝かせた。
「つまり……政略結婚、ということですね!?」
「……まあ、当たらずとも遠からずだが」
「承知いたしました! 西園寺の娘として、旦那様の『盾』となることは本望です!」
彼女はブラウスのボタンを留め直し、凛とした姿勢で敬礼した。
「家事全般、身の回りの世話、そして対外的な社交……すべて完璧にこなしてみせます。それこそが、私の『返済』ですね?」
「ああ。頼むから服は着たままでやってくれ」
俺は立ち上がり、キッチンに向かった。
といっても、キッチンも最低限の設備しかない。
冷蔵庫には栄養ドリンクとミネラルウォーターしか入っていない。
「あの……お食事は?」
「コンビニ弁当かウーバーイーツだ」
「……!」
西園寺さんが愕然とした表情を浮かべた。
「そ、そんな……! 旦那様ほどの方が、そのような粗末な食事を……!」
「効率的だろ。料理なんて時間の無駄だ」
「いえ! それは違います!」
彼女は突然、強い口調で反論した。
「食事は人間の基本です。きちんとした食事を摂らなければ、判断力も鈍ります。投資家にとって、それは致命的なリスクではありませんか?」
……確かに、一理ある。
最近、集中力が続かないことが多かった。
栄養バランスの問題かもしれない。
「明日から、私が食事を作らせていただきます。西園寺家に伝わる料理の心得、お見せいたします」
彼女の瞳に、強い決意が宿っていた。
こうして、俺と「買われたお嬢様」との奇妙な同居生活が始まった。
……それにしても。
「盾になります!」と張り切って掃除を始めた彼女が、何もない部屋でルンバと追いかけっこをしている姿は、正直ちょっと面白かった。
広いフローリングに、彼女の足音だけがパタパタと響いている。生活感のないこの部屋に、変なノイズが混じり始めた。
俺は再びPCに向かい、明日の投資戦略を練り始めた。
西園寺栞という「新しい投資先」が、どんなリターンをもたらしてくれるのか。
それを確かめるのが楽しみだった。
(つづく)
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