第3話:キャッシュで、一括で
「……は?」
「だから、口座番号だよ。早くしろ。蚊に刺されるのは御免だ」
俺がスマホを片手に淡々と言うと、男たちは顔を見合わせた。
呆気にとられている。当然だ。
ボロボロのユニクロを着た高校生が、5000万円を「今すぐ払う」と言い出したのだから。
「ギャハハハ! おい聞いたか? このガキ、頭沸いてんのか?」
「万引きした金でも恵んでくれるってか? あぁ?」
男たちが嘲笑う。
だが、俺は至って真面目だ。
時間は金だ(Time is Money)。こんな下らない脅迫劇に付き合っている暇はない。
スマホで口座を確認。
キャッシュで8億ある。
5000万? 端した金だ。
暴落した優良株を底値で拾う。投資の基本だろ。
「……チッ。いいぜ、そこまで言うなら恥かかせてやるよ。ほら、番号だ」
リーダー格の男が、半信半疑でスマホの画面を突き出してきた。
俺はその番号を、『MarketAccess』の送金タブに入力する。ヒビ割れた画面に親指が引っかかって、少しイラつく。
金額、50,000,000。
手数料、数百円。
承認ボタン、タップ。
『送金手続きが完了しました』
「送ったぞ。確認しろ」
「あぁ? そんな一瞬で……」
男が鼻で笑いながら自分のスマホを確認する。
その瞬間。
「…………あ?」
男の目が点になった。
画面を二度見、三度見し、さらに再読み込み(リロード)を連打する。
「お、おい……どうした兄貴?」
「……入って……やがる……」
「は?」
「5000万……マジで、着金してやがる……!!」
路地裏に静寂が落ちた。
男たち全員が、化け物を見るような目で俺を凝視する。
西園寺さんも、涙を忘れて俺を見つめている。
俺は彼女の表情を観察した。
驚愕、困惑、そして……希望。
絶望の淵から救い上げられた安堵感が、彼女の瞳に宿っている。
「て、テメェ……何者だ!? 高校生じゃねえのか!?」
男が詰め寄ってくるが、さっきまでの威圧感は消え失せ、明らかに声が震えている。
得体の知れない「力」に対する恐怖だ。
「ただの高校生だよ。……親父が少し、金にうるさい人でね」
俺は冷ややかに男を見返した。
親父がうるさかったからな。
『金に色はないが、重さはある』
そう叩き込まれて育った。
だから、お前らみたいな軽い金には興味がない。
「それに、お前らのその口座……ペーパーカンパニーの名義だな? 租税回避地(タックスヘイブン)を経由してるが、スキームが古すぎる」
俺は父譲りの知識で、男たちの痛い腹を探った。
「国税局(マルサ)が動けば一発だぞ。……俺が今から通報して、その5000万ごとお前らの口座を凍結させてもいいんだが?」
「ひっ……!?」
男たちが青ざめて後ずさる。
金を持っているだけではない。金の「裏側」まで知っている。
それが、彼らにとって最大の脅威となったようだ。
俺は追い打ちをかけた。
先月の金融庁の業務改善命令、見たか?
お前らの銀行、監視対象だぞ。
男たちの顔が、さらに青ざめた。
「……ちっ、覚えてろよ!」
男たちは捨て台詞を吐いて、逃げるように高級車に乗り込み、去っていった。
エンジン音が遠ざかり、路地裏に再び静寂が戻る。
俺はスマホをポケットにしまい、へたり込んでいる西園寺さんに向き直った。
「……立てるか?」
「あ……う、はい……」
彼女は震える足で立ち上がろうとしたが、よろめいて俺の胸に倒れ込んできた。
甘いバニラの香り。さっきの男の安酒の臭いとは大違いだ。
触れた肩は華奢で、今にも壊れそうだ。心臓の音が、Tシャツ越しに直に伝わってくる。
俺は彼女の体温を感じながら、冷静に状況を分析していた。
これで、西園寺栞という「銘柄」の債権者は俺になった。
5000万円の投資で、50億円の価値を持つ可能性のある「資産」を手に入れた。
投資効率で言えば、1000%のリターンが期待できる。
「あ、あの……久遠、くん……?」
「なんだ」
「どうして……5000万なんて……」
「言っただろ。通りすがりの気まぐれだ」
俺は彼女の体を支え直し、冷たく言い放った。
「勘違いするなよ。俺は慈善事業家じゃない。……借金の債権者が、あのヤクザから俺に変わっただけだ」
「え……?」
「あの5000万、きっちり返してもらうぞ。お前の人生(すべて)を使ってな」
そう告げると、西園寺さんは一瞬呆気にとられ――次の瞬間、その大きな瞳に強い光を宿した。
彼女はその場に跪き、俺の手を取った。
「……はい。承知いたしました」
「は?」
「あの男たちに売られるくらいなら……あなたに買われた方が、ずっといい」
彼女は俺の手の甲に、誓いのキスをするように唇を寄せた。
「私の命も、誇りも、すべてあなたのものです。……旦那様(マスター)」
……旦那様?
俺は眉をひそめた。
どうやら、とんでもなく「重い」不良債権(ヒロイン)を抱え込んでしまったらしい。
だが、投資家としての俺の直感は、この取引が「大当たり」になることを告げていた。
西園寺栞。
この「銘柄」は、想像以上に面白い値動きを見せてくれそうだ。
(つづく)
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