第2話:路地裏の債務不履行(デフォルト)

 学校からの帰り道。俺は駅前の繁華街を抜けて、わざと人通りの少ない裏路地を選んで歩いてた。大通りは騒がしい。東条みたいな成金や、亜理紗みたいなブランド志向の人間が闊歩してる場所は、今の俺には「ノイズ」が多すぎる。


 昨日の別れ話以来、学校での俺の立場は微妙に変化してた。亜理紗が東条と付き合い始めたことは、もはやクラス中の知るところとなってる。廊下ですれ違う時、同級生たちの視線が俺に向けられる。


 『あー、久遠って振られたんだ』『まあ、仕方ないよな。東条の方が金持ちだし』『貧乏人じゃ、亜理紗ちゃんは満足できないでしょ』


 そんな陰口が聞こえてくる。だが、俺にとってはどうでもいい雑音だ。彼らは知らない。俺が昨夜、寝る前の30分間で彼らの親の年収を軽く超える利益を上げてることを。


 日が落ちて、路地裏は湿っぽい闇に包まれてた。飲食店から排出される生ゴミの酸っぱい臭いと、室外機の熱風。足元の水たまりには、雑居ビルの安っぽいネオンが歪んで映り込んでる。


 俺はスマホを取り出して、今日の取引結果を確認してた。ユーロ円のスキャルピングで300万、日経先物のデイトレードで800万。合計1100万円のプラス。悪くない一日だった。


「……ん?」


 俺は足を止めた。路地の奥、行き止まりになってる駐車場の前に、場違いな高級車が止まってた。黒塗りのセダン。レクサスLS、最新モデルだ。ボディは鏡みたいに磨き上げられて、周囲の薄汚れた景色を拒絶してるようだ。


 その車の周りに、数人の男たちが立ってた。仕立ての良いスーツを着てるけど、その着こなしや立ち振る舞いからは、カタギじゃない独特の威圧感が漂ってる。俺は投資の世界で、こういう「裏の金融業者」を何度か見たことがある。


 そして、男たちの中心に、一人の少女がいた。


「……嘘だろ」


 俺は目を疑った。あの制服は、うちの高校のものだ。透き通るような白磁の肌に、腰まで届く艶やかな黒髪。薄暗い路地裏でも発光してるかのような、圧倒的な気品。


 西園寺(さいおんじ)栞(しおり)。西園寺財閥の令嬢であり、我が校の生徒会長。「高嶺の花」って言葉がこれほど似合う人間もいない。亜理紗みたいな「自称・イケてる女子」が束になっても敵わない、本物のお嬢様だ。


 俺は彼女のことを、遠くから見てただけだった。同じ学校にいながら、まるで別世界の住人みたいな存在。生徒会での挨拶、文化祭での司会、卒業式での答辞。いつも完璧で、隙がなくて、近寄りがたいオーラを纏ってた。


 そんな彼女が、なんでこんな場所に?


 俺は物陰に身を隠して、状況を観察した。投資家の習性で、まずは情報収集だ。


「……ですから、父は行方不明なんです。私に言われても分かりません」


 栞の凛とした声が聞こえた。だが、その声は微かに震えてる。いつもの完璧な生徒会長の仮面の下に、恐怖と絶望が隠されてるのが分かった。


「知らねえよ。親の借金は子が返す。当たり前の道理だろうが」


 男の一人が、煙草を投げ捨てて凄んだ。

 

「西園寺建設は倒産したんだよ。社長はトンズラ。残ったのは50億の負債と、連帯保証人になってるお前だけだ」


 倒産。その単語を聞いた瞬間、俺の中でいくつかのニュースが繋がった。そういえば、地元の名門企業が資金繰りに詰まってるって噂を、経済ニュースで見た気がする。あれが西園寺の実家だったのか。


 5000万で、50億の価値がある女(ポテンシャル)を買える?

 テンバガー(10倍株)どころの話じゃない。

 こんな美味い案件、見逃したら投資家失格だろ。

 うわ、エグッ。


 17歳の女子高生が、50億円の借金を背負わされてる。法的には有効だけど、倫理的には最悪だ。おそらく、父親が娘の名前を勝手に使ったんだろう。


「お嬢ちゃん、分かってるよな? 現金がないなら、別の方法で返してもらうしかない」


 男がいやらしい目つきで、栞の華奢な体を値踏みするように舐め回した。


「顔もいい、血筋もいい……いい商売道具になるぜ。海外の富豪なら、没落した名家のお嬢様なんて大好物だからな」


 人身売買まがいの脅しだ。栞の顔から血の気が引いてくのが見えた。彼女は小さな拳を握りしめて、ガタガタと震えてる。それでも、彼女は涙を見せなかった。


「……ふざけないでください」

「ああん?」

「私は西園寺の娘です……どれだけ泥に塗れても、誇りまで売るつもりはありません。借金は……私が働いて返します」


 気丈な言葉だった。だが、現実は非情だ。高校生が働いて返せる額じゃない。相手もそれを分かってて、楽しんでる。


「ハハハ! 働く? コンビニのバイトでか? 時給千円で50億返すのに何年かかると思ってんだ?」


 男たちが下卑た笑い声を上げる。

 

 コンビニバイトで50億?

 計算するまでもない。

 2500年かかるわ。縄文時代から働いてやっと完済かよ。


 栞が唇を噛み締めて、俯いた。その目から、ついに堪えきれなくなった涙が一雫、アスファルトに落ちた。


 ……見てられないな。


 俺は溜息をついた。関わるべきじゃない。これは他人のトラブルだ。俺の平穏な「擬態生活」を脅かすリスクしかない。


 だが。俺は「損切り」は早いけど、「有望な投資先」を見逃すこともしない。


 あの状況で、まだ「誇り」を失ってない彼女の瞳。亜理紗みたいに安易に他人に寄生せず、自分の足で立とうとする姿勢。それは、今の腐った世の中で最も希少価値の高い「資産」だ。


 でも、あの目は死んでない。

 泥まみれになっても誇りだけは捨てない、その根性。

 今の腐った世の中じゃ、ダイヤより希少だ。


 50億円の借金を背負った没落令嬢。普通なら「不良債権」として切り捨てられる案件だ。だが、俺には見える。彼女の本当の価値が。


 西園寺栞って「銘柄」は、確かに今は暴落してる。だが、その本質的価値(ファンダメンタルズ)は健全だ。むしろ、この暴落は絶好の「買い場」かもしれない。


「……おい」


 俺はポケットに手を突っ込んだまま、路地の闇から踏み出した。


「誰だ、お前」


 男たちが一斉に振り返る。俺はボロボロのユニクロを着たまま、退屈そうにアクビをした。


「通りすがりの貧乏人だよ……さすがにうるさくてな」

「あ? 貧乏人が何の用だ。怪我したくなかったら失せろ」

「五月蝿いって言ってるんだよ……で、いくらなんだ?」


 俺は男たちの威圧感を完全に無視して、栞の隣に立った。近くで見ると、彼女の震えが伝わってくる。バニラみたいな、甘くて上品な香りがした。亜理紗の安物とは違う、本物の香りだ。


「……久遠、くん?」


 栞が驚いたように俺を見上げた。クラスも違う俺の名前を知ってるのか。さすが生徒会長、記憶力がいい。

 

 間近で見る彼女は、想像以上に美しかった。陶器みたいに白い肌、長い睫毛、薄いピンクの唇。だが、その美しさの中に、深い絶望が宿ってるのが痛々しい。


「いくらなんだ、その端した金は」


 俺はもう一度聞いた。


「端した金だと?……テメェ、ナメてんのか」


 リーダー格の男が、俺の胸倉を掴み上げた。鼻先に、男の吐く紫煙とアルコールの臭いが漂う。安い煙草と、昼間から飲んでるらしい焼酎の匂いだ。


「5000万だ。まずは利子と手付金でな……高校生のガキに払える額じゃねえんだよ!」


 男が怒鳴って、俺を突き飛ばそうとする。俺はされるがままになりながら、心の中で冷笑した。


 5000万?たったそれだけか。


 今日のデイトレードの利益と、昨日の為替の含み益を合わせれば、お釣りが来る。俺の総資産の、わずか1%だ。


 むしろ、この程度の金額で西園寺栞って「優良銘柄」を手に入れられるなら、これほど美味しい投資はない。


「……なんだ。そんなもんか」


 俺は埃を払うように胸元を叩いて、ポケットから例のボロボロのスマホを取り出した。


「口座番号、教えろよ……今すぐ耳を揃えて払ってやる」


(つづく)

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