紗幕 咲いていた華を追い求めて

 夕焼けに染まって淡い赤色に彩られた砂浜には、もう誰の足跡もなかった。かつて足跡が付けられたとしても、それは打ち寄せる白い波に掻き消されてしまうのだ。かつてそこにいた二人がどこから来てどこへ行くのか、それは完全に包み隠されていた。その誰もいない浜辺から夕陽が沈みつつある海まで、一筋の光の道が揺らめきながら通っている。やがて太陽が水平線にその姿を隠すと、既に消えつつあったその道をなぞるようにして浜辺に近付いてくるものがあった。それは舟のようにも見えるが、舟にしては大きい。それは平たくて大きなゴムボートであるらしかった。その上には顔の見えないガスマスクを付けた男たちが数十人は乗っている。彼らを乗せた舟は音もなく、打ち寄せる波に乗りながら浜辺へと近付いてきていた。ゴムボートの上に乗った彼らの間に会話はなく、ときどきマスク越しの呼吸音が聞こえるだけである。彼らの息がようやく落ち着き始める頃には、既にゴムボートは浜辺に乗り上げて無数の足跡を刻む手助けを始めていた。

「全員、整列。これより標的が潜伏している可能性のある拠点に突入し、その確保を目的とする作戦を実行する。安全装置解除を復唱せよ」

「「安全装置解除、復唱」」

「よし、これからは三班に別れて行動する。味方を撃たないように注意せよ」

 ガスマスクを被り、戦闘服に身を包んだ男たちはその手に持った突撃銃の引き金に指をかけ、前方に構えながら三手に別れて近くの林の中に姿を消して行く。彼らが付けた足跡も、そのうち波によって掻き消されるだろう。乗ってきたゴムボートだけは別だが。

 所々から夜空の星による光が降り注ぐ林の中を歩く男たちの塊の一つに、奇妙な男がいた。その男も周りの者たちと同じようにマスクで顔を覆っているわけだが、その形が違っている。ただのガスマスクではない。鳥の嘴の形をしたマスクをしているのだ。そう、まるでかつてのペスト医師が取り付けてきたようなものだ。そのマスクをした男だけは突撃銃も持っていたなかったし、他の者たちのように整列もしていなかった。つまり、その男だけがその集団と共にいながらその集団の一員ではないような行動を取っているのだ。整列して林を進む男たちもそれに対して反応を示すことはなかったし、そもそも私語を許されていなかった。列の隣を自由に歩くペストマスクの男に見向きもしないし、声をかけることもない。そんな男と同行する班に選ばれた男たちは不運であるかもしれなかった。

「先生、お足元にご注意を。もうすぐのはずですから」

「うむ……イノセンスを確保できるかもしれないからといって、転んで怪我でもしたら笑いものだからな。しかし、ここで確保できれば奴はワンワンと泣いて悔しがるだろうな」

「……情報を信じましょう。既に逃げられているかもしれませんが」

 戦闘員らしき男たちを率いている灰色のガスマスクと、ペストマスクはこのような会話を繰り広げながら進行方向が判らなくなりそうな林を進んで行った。そうして一〇分ほど進んだときだった。突然林の中に草木が何一つ生えていない空間が出現する。ギャップだった。そこにはその空間を埋めつくすかのように、黒いログハウスが建っている。向こう側が見えない曇ったガラスからは、室内の灯りが点いているのが確認できた。

「しめた! まだ中にいるぞ!」

 ペストマスクはその内側から少し上擦っている掠れた声を上げた。灰色のガスマスクは無線機を取り出し、別れて行動していた他の班を呼び出す。忽ち、ログハウスの周囲は突撃銃を構えた戦闘員たちの姿で埋め尽くされた。灰色のガスマスクは各班の代表たちに攻撃方法を伝え、それが全員に伝わると間もなく行動が始まった。

 まず、石が投げ込まれて窓ガラスが割られる。そこから催眠ガスを放出する発煙弾が投げ込まれ、視界を奪うほどの煙を吐き出し始めた。これなら全く眠気を感じていなかろうとも昏倒してしまうだろう。そうなれば、標的の確保はかなり容易になる。

「先生、それでは突入致します。よろしいですね? 報酬を期待してますよ」

「ああ、頼んだよ。くれぐれも標的を傷つけないようにな……儂は離れて見ているよ」

 灰色のガスマスクと注意事項を確認すると、ペストマスクはさっさとログハウスから離れ始めた。彼が取り付けているペストマスクはガスマスクよりも構造が粗いため、これ以上ここにいると催眠ガスを吸って眠ってしまうかもしれないからだった。標的を無力化させるためのガスで自分が眠ってしまっては、確保された標的を抱き抱える機会を逃してしまう。そんなことが伝われば、それこそ笑いものになってしまうだろう。

 後は良い結果を待つだけだったが、それよりも先に背後から凄まじい音と熱、それと風が襲ってきてペストマスクは軽く吹き飛ばされた。地面に打ち付けられて痛めた体をどうにか起こして振り返ると、つい先ほどまでそこにあったはずのログハウスが木っ端微塵に吹き飛んでいるのが解った。煙も上がっている。戦闘員たちの姿も見えない。いや、黒焦げになった破片の中に戦闘員たちだったものが散乱しているのかもしれなかった。

 作戦は失敗に終わったようだったが、自身が無事であったため、ペストマスクに動揺はない。寧ろ、ペストマスクを付けていて良かったとさえ思うのだった。空を見て呟く。

「それにしても、厄介な奴だな……『神の子殺しのアドゥワ』め!」

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THE YASKALAW (ヤスカロウ)《春カナル杯》編 大屋易門 @Yasukado0079

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