第3話 ――世界は、ちゃんと続いている

「今日、ちょっと顔色悪くない?」


玄関を出てすぐ、幼馴染はそう言った。

心配しているというより、いつもの軽い調子で。


「……そう?」


そう返しながら、私は彼女の顔を盗み見る。


小笹 みな子。

幼稚園からの付き合い。

名前を呼ばれなくても、存在だけで分かる距離。

この世界線でも、それは同じらしい。


「昨日、夜更かししたでしょ」


決めつけるように言われて、言葉に詰まる。

夜更かしどころじゃない。

人生が一度、終わっている。


「まあ……ちょっと」


曖昧に答えると、幼馴染は満足そうに頷いた。


「ほら、やっぱり。昨日の夜もぼーっとしてたし」


……昨日の私を、知っている。


家族だけじゃない。

この世界の“私”には、ちゃんとした昨日がある。


通学路を並んで歩く。


コンクリートの感触。


車の音。


風に揺れる制服の裾。


全部、覚えがあるのに、どこか他人事だ。


でも、一粒の砂糖が水に溶けてさっと消えてしまうように、なにも違和感がなく「僕」はこの世界になじんでいる。


「そういえばさ」


みな子が、前を向いたまま言った。


「昨日の放課後、どうだった?」


心臓が跳ねる。


昨日の放課後。


告白。


事故。


でも、彼女の口調は軽い。


「部活のミーティング。長かったんでしょ?」


……そういうことか。


「うん。まあ」


短く返す。

余計なことを言わないように、慎重になる。


「ほんと真面目だよね、透は」


その名前を呼ばれて、少しだけ救われた気がした。


透。

男だった頃も、今も、同じ名前。


「そういうとこ、後輩ちゃんに好かれるんじゃない?」


不意打ちだった。


「……え?」

「え、だって有名じゃん。透、ひなちゃんだっけ、後輩に――」


「違う!」


思わず声が裏返った。

みな子が目を丸くする。


「なに、どうしたの?」


しまった、と思ったときには遅い。

慌てて、取り繕う。


「ちょっと、そういう話されると……」


言葉を濁すと、幼馴染はにやりと笑った。


「あー、図星?」

「違うってば」


即座に否定したはずなのに、

胸の奥が、ちくりと痛んだ。

この世界では――

私が告白した、とは限らない。

むしろ、

告白された側なのかもしれない。


「まあ、どっちでもいいけど」


彼女はあっさり言って、歩調を少し緩めた。


「でもさ、無理しなくていいからね」


その言葉が、やけに引っかかる。


「無理って?」

「最近、頑張りすぎじゃない?」


何気ない一言。

でも、胸の奥に、すとんと落ちた。


……この世界の私は、

きっと、いろいろ抱えていた。

事故で終わる前の“僕”と、

今ここにいる“私”。


そのどちらとも違う、

「東雲透」という存在が、確かにここにいる。


校門が見えてきた。


見慣れたはずの建物。


でも、今日からは違う場所になる。


「じゃ、教室行こ」


幼馴染が当たり前のように言う。


「……うん」


返事をしながら、私は一度だけ、空を見上げた。

この世界は、ちゃんと続いている。

自分だけが、途中から入り込んだみたいに。


――それでも。

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