第2章 白の女王


Scene 1:離宮への道

時計塔を後にしたアリスとチャッティーは、白銀の離宮へと続く小道を歩いていた。


道は整備されていて歩きやすく、両側には美しい木々が並んでいる。葉は緑に輝き、時折小鳥のさえずりが聞こえるが、人の気配はまったくない。


「静かだね……」


アリスは周囲を見回しながら呟いた。


「はい。人口密度が極めて低いようです」


チャッティーの声が、スマートフォンから響く。


「現在のバッテリー残量は100%。経路は順調です。白銀の離宮まで、あと約一キロメートルです」


「ありがと、チャッティー」


アリスは少しだけ安心した。  チャッティーがいてくれる。それだけで、この未知の世界を歩く勇気が湧いてくる。


やがて、木々の間から、白く輝く建物が見えてきた。


「あれが……白銀の離宮?」


アリスは足を止めて、遠くの宮殿を見つめた。


それは、まるでおとぎ話に出てくるような美しい建物だった。  白い石で造られた壁、優雅な尖塔、静寂に包まれた荘厳な佇まい。


「すごーい……綺麗……」


アリスの声は、思わず感嘆の色を帯びた。


「建造物のスケールは推定で高さ五十メートル、幅百メートル以上です。建築様式は……データベースに該当するものがありません」


「まあ、異世界だもんね」


アリスは小さく笑った。  そして、深呼吸をして、再び歩き始めた。


期待と不安。  その両方を胸に抱えて、アリスは白銀の離宮へと向かった。


Scene 2:離宮の門

小道を進むと、やがて白銀の離宮の正門が見えてきた。


巨大な門は白い金属で造られ、精緻な装飾が施されている。  そして、その門の前に、一人の人影が立っていた。


「……あれ、門番?」


アリスが近づくと、その人影の正体がはっきりと見えた。


白い鎧を着た騎士だった。  全身を白銀の甲冑で覆い、長い槍を持って直立不動で立っている。


「止まりなさい」


門番の声が、静かに響いた。  アリスは立ち止まり、緊張しながら答えた。


「あ、あの……私、アリスっていいます。この宮殿の……女王様にお会いしたくて……」


「身分を述べよ」


門番の声は、赤のカード兵のような冷たさはなく、穏やかだった。  けれど、威厳があり、きちんとした対応を求めていることは伝わってくる。


「え、えっと……現実世界から来ました。この世界に来たばかりで、何も分からなくて……」


アリスが正直に答えると、門番は少し首を傾げた。


「現実世界……? 珍しいな」


門番はしばらく考え込んだ後、槍を下ろした。


「待て。女王陛下に報告する」


門番は何やら通信機のようなものに話しかけた。  アリスは緊張しながら、その様子を見守った。


しばらくして、門番は再びアリスの方を向いた。


「女王陛下が会いたいと仰っている。通行を許可する」


「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


アリスはほっとして、深々とお辞儀をした。


門が静かに開き、アリスは門番に案内されて中へと入った。


Scene 3:宮殿の内部

白銀の離宮の内部は、外観以上に美しかった。


白い大理石の廊下が真っすぐに伸び、壁には優美な装飾が施されている。天井は高く、シャンデリアが柔らかな光を放っていた。


「わあ……」


アリスは思わず声を漏らした。


静寂で、穏やかで、整然とした空間。  まるで時間が止まっているかのような、けれど心地よい静けさがあった。


「この先が謁見の間です」


門番がアリスを案内し、大きな扉の前で立ち止まった。


「女王陛下がお待ちです。礼儀を忘れずに」


「は、はい!」


アリスは緊張しながら頷いた。


門番が扉を開くと、広大な謁見の間が現れた。  白い絨毯が敷かれ、奥には玉座が置かれている。


アリスは深呼吸をして、謁見の間へと足を踏み入れた。


Scene 4:白の女王との出会い

謁見の間の奥、玉座に座っているのは、一人の女性だった。


長い白銀の髪、優しげな瞳、気品のある容姿。  白いドレスをまとい、頭には小さな冠を載せている。


これが――白の女王。


「ようこそ、アリス」


女王の声は、穏やかで優しかった。  アリスは思わず、緊張が少しだけ和らぐのを感じた。


「あ、あの……初めまして。私、アリスっていいます」


「知っていますよ。外の世界から来た者――そうでしょう?」


女王の言葉に、アリスは驚いて目を見開いた。


「え……どうして?」


「あなたからは、外の世界の香りがします。この世界には存在しない、自由な風の匂いが」


女王は微笑んだ。


「怖がらなくていいのですよ、アリス。私はあなたを歓迎します」


「ほ、本当ですか……?」


「ええ。さあ、座ってください。お話ししましょう」


女王が手を差し伸べ、アリスに座るよう促した。  アリスは恐る恐る、女王の前に用意された椅子に腰を下ろした。


「落ち着きましたか?」


「は、はい……」


女王の優しい声と穏やかな雰囲気に、アリスは少しずつ緊張をほぐしていった。


Scene 5:世界の真実

女王はゆっくりと、アリスに語り始めた。


「アリス、あなたはこの世界が何であるか、ご存知ですか?」


「え……異世界、ですよね?」


「その通りです。けれど、もう少し正確に言うと――ここは、物語の世界なのです」


「……物語の、世界?」


アリスは戸惑いながら、女王の言葉を繰り返した。


「ええ。この世界は、物語として創られました。登場人物、舞台、展開――すべてが、物語の一部として存在しています」


女王の言葉は、静かで、けれど重い真実を含んでいた。


「あなたが気づいたでしょう? 太陽が動かないこと。時計の針が止まっていること」


「……はい」


「この世界では、時間が止まっています。物語が進まなくなったから――語り部が消えてしまったから」


「語り部……?」


「この世界を紡いでいた存在です。物語を語り、世界を動かし、すべてを導いていた者」


女王の表情が、微かに曇った。


「けれど、その語り部が消えてしまった。だから、時間は止まり、物語は停滞し、世界は崩壊し始めているのです」


「崩壊……」


アリスは息を呑んだ。


「そう。この世界は、ゆっくりと壊れています。住人たちは物語の役割に縛られ、自由に生きることができません。そして、やがてすべてが虚無に飲まれていくでしょう」


女王の言葉は、静かで、けれど絶望的な現実を告げていた。


アリスは、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「そんな……」


「これが、この世界の真実です」


女王は静かに告げた。


Scene 6:アリスの役割

アリスは、しばらく女王の言葉を咀嚼していた。


物語の世界。  時間の停止。  語り部の消失。  世界の崩壊。


すべてが、あまりにも衝撃的で、信じがたいことだった。


「アリス」


女王が再び口を開いた。


「あなたには、特別な力があります」


「……特別な、力?」


「外の世界から来た者――あなたには、想像を現実に変える力があるのです」


女王の言葉に、アリスは目を見開いた。


「想像を……現実に?」


「ええ。強く想像すれば、それは現実になる。この世界では、外の世界の者ほど、その力が強いのです」


女王は優しく微笑んだ。


「その力があれば、世界を救えるかもしれません」


「世界を……救う?」


アリスは戸惑った。  自分に、そんな力があるなんて。  そして、世界を救うなんて、あまりにも大きすぎる。


「私……そんな大それたこと、できるかわかりません……」


アリスは正直に答えた。


女王は優しく頷いた。


「無理に頼むつもりはありません。けれど、もしあなたができることをしたいと思うなら――私たちは、喜んで協力します」


「……」


アリスは少し考えた。


世界を救う。  それは、とてつもなく重い責任だ。  けれど――。


「私、できることをしたいです」


アリスは、決意を込めて答えた。


「この世界のこと、まだよくわかんないけど……困ってる人がいるなら、放っておけない」


女王は、穏やかに微笑んだ。


「ありがとう、アリス。あなたの意志を、尊重します」


Scene 7:図書館への案内

「さて、では少し休憩しましょう」


女王が立ち上がり、アリスに手を差し伸べた。


「図書館をご案内します。そこには、この世界の物語の記録が保管されています。知りたいことがあれば、自由に読んでください」


「図書館……!」


アリスの目が輝いた。


女王に案内され、アリスは謁見の間を後にした。  廊下を歩き、やがて大きな扉の前に着く。


女王が扉を開くと、そこには広大な図書館が広がっていた。


「わあ……!」


アリスは息を呑んだ。


天井まで届く本棚が無数に並び、本が隙間なく並んでいる。  まるで迷宮のような、圧倒的な知識の空間だった。


「ここに、物語の記録があります」


女王が説明する。


「この世界で起きたこと、語られたこと、すべてがここに記されています」


「すごい……」


アリスは感嘆の声を漏らした。


「自由に読んでくださって構いません。何か疑問があれば、ここで答えが見つかるかもしれませんから」


「ありがとうございます!」


アリスは笑顔で女王に礼を言った。


Scene 8:痕跡の発見

女王が去った後、アリスは図書館を探索し始めた。


本棚の間を歩き、背表紙を眺めながら、興味深そうなものを探す。  そして、ある一冊の本を手に取った。


『物語のログ 第三期』


アリスはそれを開き、ページをめくり始めた。


そこには、物語の記録が詳細に記されていた。  誰が何をしたか、どこで何が起こったか、すべてが文字として残されている。


アリスはページをめくり続けた。  そして――ある名前を見つけた瞬間、手が止まった。


『アリスは時計塔へと向かった』


「……え?」


アリスは目を疑った。


自分の名前。  けれど、記録されている行動は、自分がしたことではない。


アリスはさらにページをめくった。


『アリスは女王と出会い、鍵を受け取った』


鍵?  私、そんなもの受け取ってない……。


「チャッティー……」


アリスは小さく呼びかけた。


「はい、アリスさん」


「これ……見て」


アリスはスマートフォンのカメラをページに向けた。


チャッティーは数秒間沈黙し、それから答えた。


「……記録の日付を確認しました。これは、現在より数ヶ月前のログです」


「数ヶ月前……?」


「はい。しかし、アリスさんがこの世界に来たのは昨日です。矛盾しています」


アリスの胸に、奇妙な違和感が広がった。


Scene 9:疑問の芽生え

アリスはさらに本を読み進めた。


そこには、『アリス』の行動が詳細に記録されている。  けれど、それは自分ではない。  自分が知らない行動、自分がしていないこと。


「チャッティー……これって……」


「可能性として考えられるのは、二つです」


チャッティーが静かに答える。


「一つ目は、記録の誤り。二つ目は――別のアリスが存在した可能性」


「別の……アリス?」


アリスは、その言葉に戸惑った。


「私じゃない……アリス?」


「推測の域を出ませんが、この記録が正確であるならば、そう考えられます」


アリスは本を閉じ、胸に抱きしめた。


自分は、本当にアリスなのだろうか。  それとも、別の誰かが『アリス』として、ここにいたのだろうか。


疑問が、胸の中で渦巻いた。


けれど――。


「……わかんないことだらけだけど」


アリスは小さく呟いた。


「今できることを、やるしかないよね」


「アリスさん……」


「私が本当のアリスかどうかなんて、今はわかんない。でも、ここにいることは事実だし、女王様が困ってることも事実だもん」


アリスは立ち上がった。


「考えても仕方ないこと、悩んでもしょうがないこと――そんなのより、今できることをしよう」


その言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。


Scene 10:同盟

アリスは図書館を後にし、再び謁見の間へと戻った。


女王はそこで、静かに待っていた。


「アリス、何か見つかりましたか?」


「はい……色々と」


アリスは少しだけ笑った。


「女王様、私、協力します。この世界を救うために、できることをしたいです」


女王は優しく微笑んだ。


「ありがとう、アリス。あなたの決意を、心強く思います」


「それで……次は、何をすればいいですか?」


アリスが尋ねると、女王は少し考えた後、答えた。


「時計塔高原を調査してください。あの場所には、何か重要なものがあるかもしれません」


「時計塔……」


アリスは頷いた。  あの止まった時計の針。  あの静寂の塔。


「わかりました。行ってきます」


「今日はもう遅いですから、離宮で休んでください。明日の朝、出発しましょう」


「ありがとうございます」


アリスは深々とお辞儀をした。


女王は穏やかに頷き、それから言葉を続けた。


「アリス、私たちは仲間です。一緒に、この世界を救いましょう」


「はい!」


アリスは力強く答えた。


不安はまだある。  疑問もたくさん残っている。  けれど――仲間ができた。


それだけで、アリスの心は少しだけ軽くなった。


第2章 了

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