第19話

「る、瑠生。い、今、なんて言った?」

 居間にとどろく——は大袈裟だったけど、梅ちえの雄叫びがあまりにも大きくて、桔梗も、椿も手で耳を覆っていた。

「だから、この先、三ヶ月間の売り上げを倍って……」

「ば、倍って。二カケル二、ノ、アノ、バイ?」

 なぜカタコトで話すんだ、とツッコミを入れたくなったけど、梅ちえのことだ、話が脱線するかもしれないのでそれはやめておこう。


「そう。三ヶ月間売り上げを倍にできたら、買収の話はなかったことにしてくれるって」

「本当に? 売り上げをこれまでの倍にするって簡単なことじゃないけど、本当にそれで、たけだ屋の件を水に流してくれるのかしら」


 さすが椿姐さん、勘がいい。


「実はもう一つ、条件を出されたんだ……」

「やっぱり。おいそれと引き下がってはくれないわね」

 頬杖をつく椿が深いため息を吐くと、もう一個の条件は? と聞いてきた。

「そ、それは……」

「それは?」


 ベテラン芸者を前に言いにくい。

 口内で文字を渋滞させていると、焦ったくなったのか、梅ちえが座卓をバシッと叩いた。

「瑠生っ。男だろっ、はっきり言いな」と、凄み付きで。


「わ、わかったよ。言うよ。あの……さ。えっと、沖って人が座敷を予約するときは、半玉を必ず呼ぶようにって……」

 瑠生の発言に、椿も梅ちえも、なんだ、そんなことかぁと、ホッとした顔をしている。

 おまけに、沖はロリコンかとも。


 おいおい、そんなこと、芸者が言っていいのかっ。


 いいと男でもロリコンはムリねとか、マザコンよりマシよ。なんて話している。

 本題はこれからなのに……。


「それは蓮香のことだろ」

 瑠生が口にしかけたとき、さっきから黙っていた桔梗が、言下に言った。

 居間が一瞬、しんっと静まり返り、全員の視線が瑠生に集まる。

 開口一番は、やっぱり梅ちえだった。


「そ、それって、あ、あんたのことだよね、瑠生っ」

 立ち上がって指を刺された。

 瑠生はコクンと、小さく頷いて身を縮める。

 現役の芸者を差し置いて、男の瑠生を求めるなんてきっと姐さんたちのプライドを傷つけた。

 申し訳なく思っていると、横に梅ちえが座ってきた。

 機嫌を損ねてしまったと、瑠生は固く目を閉じて制裁を浴びる覚悟をする。


「さっすが瑠生だ。ふく里の切り札っ」

 背中を思い切りバシッと叩かれ、梅ちえから制裁ではなく洗礼を浴びた。

「ほんと、さすがだわ、瑠生。やっぱり、蘭子さまの孫ね」

 感嘆のため息をこぼす椿が、凄い、凄いと、テストで満点を取った子どもを褒めるように頭を撫でてきた。

 一人面食らっていると、「瑠生」と、桔梗に名前を呼ばれた。

 怒られると思ったのに、そこにあったのは静かな決意の顔だった。


「……はい」

「沖さんは、売上のことと、蓮香を呼べば買収は考え直す。そう言ってくれたんだね」

「ああ、確かにそう言った」

「そうか。だったらやるしかないね。あんたたちはもちろんだけど、瑠生。これは勝負だ。引き受けてくれるかい」

 バレればふく里は終わりの大勝負。

 男の半玉で客の相手をしていたとなると、赤っ恥もいいとこだ。それでもこの賭けは受けるべき。桔梗はそう、判断したのだ。


 それほど、たけだ屋とウチは崖っぷちなんだ……。


「とにかく、やるって決めたなら瑠生は特訓だ」

「え? 特訓って、踊りも笛もずっとやってるじゃん」

「違うよ、女に見せる特訓だ。でしょ? お母さん」

 鼻の穴を膨らませ、仁王立ちする梅ちえが桔梗に言うと、ふく里の主人は深く頷いた。

 椿も一緒になって、それは必要だわ、と満面の笑顔だ。


 なんだか、彼女たちが楽しそうな顔に見えるのは気のせいだろうか。けれど、みんながやる気に満ちているから、瑠生も不承不承に腹を括った。


 ただ、この『半玉になる特訓』が、まさかあんな地獄の始まりだとは──。

 このときの瑠生は、まだカケラも知らなかった。

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