第16話

 瑠生はふく里に戻ると、スマホを眺めてため息をついた。

 そのままメモを読み返すと、今度は頭を抱えて座卓に突っ伏す。

 神楽が教えてくれた、これまでの沖の実績が凄すぎて、目の前が真っ暗になった。


 冷静沈着で、どんな複雑な案件もスムーズにまとめ上げる。交渉から契約締結まで、隙のない仕事ぶりは業界でも一目置かれている。そう、神楽は言っていた。


 無理だ……相手が立派すぎる。

 高校生の自分でも、すごい人だと分かる。どうしたらいいんだ……


 座卓の端にスマホを追いやり、腕の中に顔を埋めた。

 たけだ屋を狙っているのは、神楽坂にある老舗旅館『九重』。

 常連でも中々予約が取れないほど敷居が高く、花柳界では名高い店らしい。

 客のほとんども政治家や、財政界、芸能関係の偉いさんだなんて、向島と全然違う。

 芸者仕事が減っている今でも、九重は勢いがあるらしい。

 向島では有名なたけだ屋でも、沖って人や九重相手じゃ太刀打ちできないかも。


 九重にも贔屓にしている置屋や芸者はいるはずだ。もし、買収されれば、ふく里の芸者に声なんかかからない。


「神楽坂だけで商売してればいいのに、どうして向島にまで手を伸ばすんだっ」

 ドン、と座卓をこぶしで叩いた。

 湯呑みが倒れ、お茶が溢れる。慌てて布巾を取る手も虚しく、悔しさだけが胸に残った。

 梅ちえの言うとおりだ。このままじゃ、たけだ屋も、ふく里も終わる。


 まずい。非常にまずい。──何が何でも阻止しなきゃ。


 溢れたお茶を拭きながら、何か手立てはないかと考える。

 動物園のクマみたいに部屋をウロウロしていると、ふと目に入ったのは沖の名刺だった。

 頭をよぎる。神楽のときと同じ方法──

「……こうなったら、直談判に行くしかないか」

 名刺の住所を確認すると、ここから小一時間の場所。

 居間のふすまに手をかけたところで、ふと、胸の奥に不安がよぎった。


 俺、神楽さんに話してしまってよかったのかな……


 もし、彼が沖と組んでたけだ屋を買収しようとしていたら?

 自分は、敵に手の内を明かしたも同然だ。

 勝手なことをして、桔梗が悲しむかもしれない。

 姐さんたちにも呆れられるかもしれない。

 考えれば考えるほど、悪い方へと気持ちが傾いていく。

 けれど、行くしかない。直接、沖に会って頼んでみるしか。


 瑠生は壁のカレンダーに目を向け、縁起のいい日を探した。

「二週間後……か。でも、本当にいい日なのかな」

 小さく息を吐き、こぶしを握る。

「よし。今度はお参りしてから行こう」

 一縷の望みを胸に、瑠生は二週間後の『決戦の日』を心に刻んだ。

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