第15話

「ごめん、お待たせ」

 カフェで待っていると、「一件だけ電話してくる」と言っていた神楽が戻ってきた。

「神楽さん。すいません、俺……」

「いいよ、気にしないで」

 立ち上がろうとした瑠生の肩に、神楽の手がそっと触れる。労るように軽く押されて、瑠生は再び椅子に腰を下ろした。


 不法侵入者扱いされ、あわや警察に突き出されるところを助けてくれた神楽。

 一度しか会っていない高校生が会社まで押しかけたのに、怒るどころか、ずっと柔らかい笑顔を崩さない。


「あの、すみませんでした。いきなり会社を訪ねて……迷惑、かけて」

 テーブルすれすれまで頭を下げると、神楽が苦笑まじりに言った。

「大丈夫。頭を上げなよ。……でもびっくりしたな。まさか瑠生君が会いに来てくれるとはね」

 そう言いながら、神楽は頬杖をついて軽く首を傾げる。


「名刺、渡してなかったのに。どうして俺の会社がわかったの?」

 覗き込むような視線に、瑠生は少し目を伏せた。

 ふく里の芸者の一人──梅ちえから名刺を見せてもらったことを話す。


「なるほど。そういうことか」

 神楽が小さく笑う。

「で、瑠生君がわざわざここまで来た理由は?」

 カップの縁を指でなぞりながら、瑠生は小さく息をのんだ。

「ごめんなさい。俺、どうしても神楽さんに聞きたいことがあって」

「聞きたいこと? 何だろう。俺がわかることかな?」

 優しい笑みを向けられて、瑠生は一瞬、言葉を失った。

 その笑顔が、まるで『追及を受け流す術』のように見える。


 神楽がゆっくりと珈琲を口に運ぶ。

 カップを置く音が、静かな空間に小さく響いた。

「あの、いきなりだけど……神楽さんの仕事って、えっと、会社を売りたい人と、買いたい人の仲介……とか、ですか?」

「へえ」

 ほんの一瞬、神楽のまなざしが光った。だがすぐに笑みが戻り、軽く感嘆したように言う。


「よく知ってるね。最近の高校生はそんなことも授業で学ぶの?」

「いえ、自分で調べました。M&Aの意味を」

「ふーん。買収に興味があるのかい?」

 その二文字が、ズンッと頭にのしかかる。

『買収』──ふく里、たけだ屋、そして沖の顔が、脳裏に浮かぶ。

 言いたいことが多すぎて、どれから口にすればいいのか分からない。

 神楽がなぜ、たけだ屋の予約を取れたのか。沖という人を知っているのか。

 頭の中で言葉が渋滞して、息が詰まる。

 眉を曇らせていると、神楽が瑠生の手に自分の手を重ねてきた。

「っ……」


 な、何でまた触ってくるんだっ。


 ギョッとして神楽を見ると、にっこりと微笑まれた。

「俺の仕事は名刺の通り。M&Aのコンサルティングと、アドバイザーなんだよ」

 名称通りの言葉が返ってきた。

 もっと詳しく教えてほしい。知識を蓄えないと無知ではふく里を守れない。

「何となくはわかります……」


「アドバイザリーっていうのはね、企業の戦略立案や業務改善、リスク管理──あと、売却や買収を検討している人の背中を押す仕事だよ」

 わかる? と神楽は笑顔を崩さない。

『売却や買収』の言葉が、瑠生の胸をざわつかせる。

 所々わからない単語はあったけれど、要するに沖と同じ側の人間だ。


「大体は……わかりました。あと、もう一つ教えてください」

 瑠生は意を決して続けた。

「沖って人──おきコンサルティングって会社、知ってますか」

 瑠生の質問に神楽の片眉がピクっと反応した。けれど、すぐ親しみのある顔に戻る。

「その前に、俺からも質問」

 神楽が瑠生を見据え、柔らかく問い返す。


「瑠生君は、どうしてそんなことを聞くのかな」

 想定していた質問だった。だけど、心臓がどくんと跳ねる。

 全てを話すべきか、それともまだ探るべきか。

 敵か味方かわからない。逡巡していると、神楽が軽く笑った。


「ケーキでも食べる? 話すのは、それからにしよう」

 まるで、空気を甘く塗りつぶすような声だった。

 メニューを眺める神楽を見つめながら、瑠生は思った。 


 バラエティ番組みたいに、ケーキを顔に投げつけることにでもなったら……

 あー、もう。聞いちゃえ! 責任は自分で取ればいいんだ。


「もし、神楽さんが沖って人を知ってたら──」

「たけだ屋って料亭のことかな」

 神楽の言葉に、瑠生は石膏で固められたように止まった。

「おきコンサルティングって聞けば、瑠生君がここまで来た理由もわかっちゃうな」


 ああ、やっぱり神楽さんは知っていたんだ。


 問題は、彼も関わっているか、だ。

「……そっか。やっぱり同じ仕事だから、知ってて当たり前なんですね」

「そうだな……。あいつは有能だから、きっとたけだ屋は持ってかれるぞ」

 決定的な言葉に息を呑んだ。

 たけだ屋が持ってかれる……やはり神楽は買収のことを知って、たけだ屋のお座敷に行ったのだ。


「俺がたけだ屋に行ってと言わなくても、神楽さんはいずれ——」

「行く予定だったね。客じゃなく、視察としてだけど」

 パタンと、メニューを閉じた神楽が、店員を呼んで注文をしている。

「そう……ですか。じゃもう、たけだ屋が買収されるのは確定なんですね……」

 瑠生はテーブルに手をついて、体重を少し前に乗せたまま愕然とした。

 テーブルを見つめていると、いちごのショートケーキが目の前に置かれる。


「な、なんで。ケーキ?」

 神楽はにっこり笑い、人差し指で瑠生の眉間をぐりぐり押した。

「それでも食べて眉間のシワをほぐせよ。美人なのにもったいないぞ」

「そんなにしかめっ面してましたか」

 神楽の指を払い除けると、上目遣いで眉間を気にした。


「やっぱり瑠生君は色っぽいな。それに幸運のしるしは君を出世させるよ」

 払い除けたはずの指が瑠生の手を掴んでくる。人差し指のほくろをまた撫でられた。

「ちょ、ちょっと。この間といい、何ですか。指なんて触って、俺は男ですよ」

 今度は思いっきり振り払うと、神楽が楽しそうな顔をしている。


 この人、何を考えているのかわからない。早く沖って人のことを聞いて帰ろう。


「俺、占いが趣味なんだ。人差し指のほくろはね、努力家で出世する証なんだ。理想の恋人と巡り会うのも早い。そしてそれは長続きする。で、その相手は俺だけどね」

 神楽がフォークでいちごを刺すと、あーん、と言って、瑠生の目の前に差し出してきた。


「な、何を言ってるんですかっ。ただのほくろでしょ。それに相手って──」

「俺は瑠生君の恋人候補だよ。初めて会ったときも言っただろ? 君がタイプだって。俺は君を口説くことにしたからね」

「口説くって、俺は男——」

「いいや、君は俺のお仲間だ」


 その一言に、心臓がドクンと跳ねた。

 自然とカップを持つ手に力がこもる。視線を逸らしたくても、神楽の目はまっすぐ瑠生を見つめている。

 違う──と反論する言葉が出てこない。否定したくても、その言葉が思いつかず、瑠生は俯くことしかできなかった。


 瑠生が震えていると、神楽に顔を起こされて頬を摘まれた。

「わかるんだよ。俺くらいの歳になるとね。笑顔から素顔に戻る瞬間、何かを取ろうとする指の動き、振り向くときの瞳の色。そういう細かい変化で、だいたいわかるんだ」

 当てずっぽうじゃないのが伝わる。真顔でそう言われたら、反論する余地はなかった。


「沖のことを知りたいなら教えてあげるよ。何たって俺は君の恋人候補だからね。だ・か・ら、教える代わりに瑠生君の個人情報を教えてよ」


 大人って、こうやって事を進めるんだ……交換条件を、当たり前のように口にするんだ。


 でも、背に腹は替えられない。

 たけだ屋さんを守るためなら、自分の個人情報くらい安いものだ。桔梗や姐さんが困る姿を思えば、ためらう理由はない。

「わかりました……」と、瑠生は小さな声で答えた。

「オッケイ。交渉成立だな。じゃ、乾杯」

 笑顔で珈琲カップを差し出され、瑠生も仕方なく自分のカップを持ち上げる。

 言われた通りにしないと、教えてもらえなかったら元も子もない。

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