第14話
担任の頭上にある時計を見上げながら、瑠生は頭の中で路線図を描いていた。
三時に学校が終わって、駅までダッシュ。乗り換えは二回、所要時間は三十分ちょっと。
よし。五時で終わる会社なら、間に合う。
出てくるまでビルの前で待つか……いや、受付の人に聞いた方が早いか。
時計の針が進むたびに、心臓が早馬のように高鳴っていく。
緊張で冷たくなった手を、瑠生は祈るように机の上で握りしめた。
「じゃあ今日はここまで」
担任の声でホームルームが終わる。瑠生は誰よりも早く帰り支度を始めた。
すると、そこへ昇真がにこやかな顔で近づいてくる。
「何だよ昇真。いいことでもあったのか」
中学のときよりさらに背が伸びて、硬派に箔がついた男を見上げながら言った。
剣道の推薦が早々に決まっている昇真とは、志望校が同じだった縁で、今も親友を続けている。
「なあ瑠生。今日って稽古ない日だろ? ラーメン食いに行こうぜ」
少し釣り上がった目を下げて、柴犬みたいにじゃれついてくる。
「あー、ごめん。今日は帰りにどうしても行くところがあるんだ。……でも剣道は?」
「今日は臨時で休み。先生が出張で、三年は補習。で、休みになった」
「それでニコニコしてたのか」
「ソレダケジャナイケド……」
ゴニョゴニョと口の中で言うから、「何て?」と聞き返した。
それなのに「何でもない」と、ひょっとこみたいな顔で拗ねている。
強豪校の部活がない日は貴重だもんな。羽を伸ばしたいのもわかる。
瑠生は少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
「ごめんな。マジで今日は無理なんだ。一緒に帰るの、久しぶりなのに悪い」
残念そうな昇真の顔を見ると、胸がちくりと痛む。
でも、今日は『最強の日』だ。今、行かないと決心が鈍る気がする。
「いいよ。また今度付き合ってくれよな」
いつもよりしおらしい雰囲気が気になったけど、心の中で「ごめん」とつぶやき、瑠生はカバンを手に教室を出た。
予定通り乗り継ぎ、スマホを頼りにたどり着いたオフィスビルは、首が痛くなるような高さだ。
思わず口をぽかんと開けて見上げていると、ちょうど入り口から出てきたビジネスマンと目が合った。
わざとらしく咳払いをひとつして、ネクタイを締め直す。
……本当に、来ちゃったな。
自分の心臓の音が、街の喧騒に紛れず耳のそばで響いている気がした。
しばらくの間、少し離れた場所で入り口を見ていたけど、神楽が現れる気配はない。
「神楽さん、出てこないな。残業かな……もしかして、見逃した?」
時間が経つごとに、焦りが胸の奥でじわじわと膨らんでいく。
中に入ってみようか──
そう思った瞬間、足が勝手に動いた。
自動ドアのセンサーが反応して、静かに開く。瑠生はそっと足を忍ばせ、エントランスに入った。
神楽が勤める会社が五階にあるのは確認済み。
広々としたロビーに圧倒されながらも、エレベーターを探して数歩進む。
視線の先に目的の場所を見つけ、駆け出そうとしたそのとき──
「君っ」
背中から、鋭い声が飛んだ。
明らかに自分に向けられた、不審者をあしらう声音に今すぐ逃げたくなった。
「子どもが何の用だ。ここは学生が来るところじゃない。帰りなさいっ」
心臓に十万ボルトの電流を受けたように、足先から震えが走る。
恐々、後ろを振り返ると、今にも首根っこを掴んできそうな警備員が睨んでいた。
ヤ、ヤバい……
瑠生の頭に、警察に連れて行かれる自分の姿が浮かんだ。
走って逃げるか──
足裏に力を込めたとき、ふと、梅ちえたちの顔がよぎった。
チラッとエレベーターを見ると、ちょうど扉が開く一機が目に入った。
瑠生は警備員にペコリと頭を下げると、全速力で駆け出した。
「こら、君っ! 待ちなさいっ!」
追いかけてくる気配と怒声が怖い。でも、振り返った方がもっと怖い。
エレベーターの手前まで来たとき、扉はもう閉まりかけていた。
慌ててボタンを押す──けれど、無情にも扉は目の前で閉じてしまった。
しまった、間に合わなかった!
他の箱を見上げると、どれも上の階で止まっている。
瑠生はすぐ階段を探そうと振り返ると、目の前には凄まじい形相の警備員が立っていた。
「どこへ行こうとしているっ。保護者に──いや、警察に連絡するぞ!」
がなりごえ声がエントランスに響く。
「け、警察! それはやめてください!」
警察に連絡なんかされたら、桔梗に迷惑がかかる。助けたいのに困らせてどうする。
バカだ、俺は。ちゃんと話せばよかった。
後悔が胸を締めつけた、そのとき──
「あれ、瑠生君?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには驚いた顔をしている神楽がいた。
「……かぐら、さん」
よかった、神楽さんだ……
神楽が瑠生のもとへ駆け寄ると、警備員の前に立ちはだかった。
「この子、俺の知り合いなんです」
その一言で、張りつめていた全身の強ばりがふっとほどける。
振り返った神楽の笑顔にホッとすると、瑠生は全身の骨が抜かれたようにその場にへたり込んだ。
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