第13話

「瑠生! 聞いて聞いてっ!」

 つい二週間前までこの世の終わりみたいな顔をしていた梅ちえが、勢いよく居間に飛び込んできた。

 着物姿のまま、化粧も落とさず、息を弾ませている。


「な、何だよ。そんな大声出して」

 台所で麦茶を飲んでいた瑠生は、もう一杯注いで梅ちえに差し出した。

 梅ちえはそれを一気に飲み干すと、陶酔したような目でため息をつく。


「実はさ、今日のお座敷で、めちゃくちゃイケメンの客がいたのよ!」

「へぇ。よかったじゃん」

「あ、ちなみに里は帰ったよ。タイプじゃないって」

 何だそりゃ。血相変えて言うことか。思わずツッコミを入れたくなる。

 でも、元気になってよかった。

 たけだ屋の件で沈んでいた梅ちえには、いいカンフル剤だ。


「いい男探しも、たまには役に立つな……」

 ボソッと呟くと、「何か言った?」と二杯目の麦茶を注ぐ梅ちえに聞かれた。

「何でもないよ」

 おざなりに返したのが気に食わなかったのか、「瑠生っ!」とまた大声。

「な、何だよ。声、デカいって」

「あんたね、自分が美少年だからって、この世に敵がいないって思ってるでしょ!」


 いやいや、敵って……誰も勝負なんてしてないって。


 呆れはしたけど、いつもの梅ちえなのは嬉しい。

 よし、それなら甘んじて敵役となって、そのイケメンとやらに挑んでやろう。


「はいはい。天狗にはなってませんから。で、どんなお客だったんだよ」

 話を戻すと、「それがねぇ」と途端に蕩けた顔になる。

「歳のころは三十前後? スラッとした長身で、目元はくっきり二重で、スーツが似合ってて、いい匂いがして……もう、とにかくいい男だったのよ。歴代一位っ」 


 いい匂い? まさかお酌と称して、いつも匂いを嗅いでるんじゃないだろうな。


 疑わしい視線を向けながらも、楽しげにする梅ちえを見ると安心する。

「ちゃんと名刺はもらった? 自分の千社札せんじゃふだも渡したのか」

 もっちろんと、こぶしでトンっと胸を叩く梅ちえが、その胸元から一枚の名刺を出した。


「へー、見せて」

 受け取った名刺を見て、瑠生はドキッとした。

『株式会社パートナーズ M&Aコンサルティング アドバイザリー多鹿神楽』って……


 まさか多鹿神楽って、あの変な人──しかも、また『M&A』って。


 瑠生の手を撫でてきたり連絡先聞いてきた、あのカッコいいのに変態っぽい人。

 瑠生はもう一度名刺に視線を落とした。

 珍しい名前だ。同姓同名の線は薄い。

 何より、お礼したいなら、たけだ屋の座敷を予約しろと言ったのは自分だ。


 あの神楽さんって人、本当にたけだ屋の座敷に姐さんたちを呼んでくれたんだ……。


 意外と義理堅い──なんて一瞬思ったけど、たけだ屋の予約はいちげんさんには無理だ。


 M&Aって、沖って人と同じ仕事だよな……


 瑠生の胸に、墨が滲んだような不安がじわりと広がった。

「姐さん。このお客、誰の紹介か知ってる?」

 どうだったかなぁと、梅ちえがうっとりした顔で名刺を眺めている。

 だめだ、完全にのぼせている。明日、椿か里菊に確かめた方が早い。

 神楽を見れば、梅ちえは歓喜の雄叫びをあげる──と言った瑠生の予想は、見事に当たった。


「当たったけど……」

 もし、沖の紹介なら、ふく里にとって神楽も油断できない相手だ。

 姐さんにこの話をしたら、きっとまた、わあわあ騒ぎ立てるかもしれない。

 じゃあ、椿に──。いや、だめだ。お座敷もあるし、何より桔梗と一緒になって、たけだ屋の件で動いてくれている。これ以上の負担はかけられない。


 里菊……は、梅ちえに話してしまいそうだ。

 咲希にはもっと言えない。不安がるし、半玉になったばかりなのに可哀想だ。


 だったら俺が──調べたらいい。神楽さんに会って、たけだ屋の買収の話を知ってるか聞いてみよう。


 腹が決まると、瑠生は名刺を写メに撮った。

「住所は、神楽坂……か」

 地名と同じ名前を持つ神楽の笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。

 ちょっと変な人だったけど、悪い人ではない──と思う。

 きっと話くらいは聞いてくれる、よな?


 そうと決まれば決行の日をいつにするかだ。

 カレンダーを眺めながら、大安を探していると、見慣れない言葉が目に留まった。


一粒万倍日いちりゅうまんばいび?」

 スマホで検索してみて、思わず声が漏れた。

 「これだっ」


 一粒万倍日──それは、新しい挑戦や始まりに最適な日。

 画面に映るその文字を見ていると、「がんばれ」と、瑠生の背中を押してくれているように思えた。

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