第6話

    中学生の私は絵を描くことを純粋に楽しんでいた。美術部に入り、絵に没頭した。顧問の熊倉先生は、名前の通り熊みたいに体の大きなおじさんだった。その巨体からは想像もつかない繊細な絵を描く先生だった。彼の的確な指導によって私の絵はメキメキ上達した。美術部が存続の危機レベルで部員が少なかったため、先生も気合を入れて教えてくれたのだ。一年は私一人。二年の先輩は三人いて、うち二人が幽霊部員だった。三年は早田先輩という物静かな男の先輩が一人。美術室は広い割に、人が少ないので、静寂という言葉がよく似合った。グランドから響く体育会系の威勢のいい掛け声や先生の怒鳴り声、窓から射す日の光にきらめく埃。どれも透き通っていた。私は美術室という空間が大好きだった。

 二年の先輩たちは優しかった。峯沢先輩はおっとりとした物腰の柔らかい女の先輩。先輩のイラストはカラフルで、かっこいいとかわいいが同居していて、素敵だった。いつも私のことを「かわいいおハナちゃん」と呼んで、かわいがってくれた。幽霊部員の二人は男子。奥先輩と榎田先輩。二人はいつも熊倉先生がいないタイミングを察知して現れた。なぜか二人は幽霊部員であることを誇りに思っているらしかった。奥先輩は餌付けと称して私によく購買のパンを買ってくれた。榎田先輩は私の絵を黙って眺めて俺よりうまいとボソッとつぶやいて去っていくのが常だった。

 三年の早田先輩。彼のことが私はどうしても好きになれなかった。普段は物静かで黙々と自分の作品に打ち込んでいるのだが、一度話しだすと結構饒舌だった。運動部みたいに日焼けした肌と一重の細い目、口角がいつも片方あがっていて、意地悪く笑っているように見えた。先輩は私の絵が嫌いだとはっきりと言った。

「お前の絵は新しくないんだよ。いいか。今のアートってのは価値を求められてるんだよ。それも新しい価値。お前のは誰かの引用でしかない。どっかで見たことある絵なんて描いても何の価値もない」

 誰かの引用でしかない。この言葉は後々まで続く、私にとっていや、れでぃ・冥土にとって呪いの言葉となった。早田先輩はいつも『価値』という言葉を口にした。どんな絵を描いても私の絵は彼にとって無価値だった。当時の私は生意気だったから言い返した。

「じゃあ、先輩の作品には価値があるんですか」

「お前そんなこと訊いてるからダメなんだよ。お前が自分の作品に価値を見出してない証拠。作品って自分との対話だろ? お前は想像力で描いてない。技術で描いてるだけ。もうちょっと自分を見つめた方がいいよ」

 今思えば何の実績のない中学三年生に何がわかると言い返せただろうけど、当時私の中で先輩というのは絶対的な存在で、間違ったことを言うなんて考えたことがなかった。間違っているとしたら生意気なことを言った私の方だと考えてしまった。早田先輩は卒業するまで私の絵を認めてくれなかった。それでも、私はいくつかのコンクールで賞を取って、自分の絵に自信をつけて中学を卒業した。

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