幕間 風の気配(第1.5話)



※第1話と第2話の間の幕間です。



 ドリエンの言葉が、まだ耳の奥に残っていた。


「村の外れに家を与える。大暗森へもすぐ出られる場所だ。……小さいが、居心地のよい小屋だ」


 茶の香りと、古書の匂い。高い書架。羊皮紙の擦れる音。

 そして――胸の“印”を見た瞬間に、杯を落としたあの目。


(……俺は、本当にここに居てもいいのか)


 自分で選んだはずの道なのに、足元だけが妙に軽い。落ち着かない。

 俺はローブの前を整え、図書室の外へ出た。


 廊下は静かだった。外の喧騒が、木の壁越しに遠く響く。

 誰かの笑い声。荷車の軋む音。石を敷く槌の音。

 この村は、まだ“作られている途中”だ。だからこそ、生きている。


 入口のカウンターにいたハーフエルフの娘――イリエナが、こちらを見て軽く会釈した。


「……お待ちくださいね、ドリエン様がすぐに――」


「いや。大丈夫だ」


 短く返すと、イリエナは少しだけ困ったように笑った。

 言葉を続けようとして、やめる。俺の胸の印を見ていない彼女に、何を言えばいい。


 扉の外へ出ると、空気が変わった。

 潮の匂い――南の海は二日ほど先だと聞いたが、風がそれを運んでくる。温かい。柔らかい。


 広場では人々が忙しそうに動いていた。

 エリオンの季。風の儀の準備らしい。木片や布を“太陽”の形に切り抜き、紐で吊るしている者もいる。

 幼い子どもたちがそれを追いかけ、笑いながら走り回っていた。


(平和だな……)


 その一言が、喉に引っかかった。


 平和は、いつも脆い。

 だから俺は、逃げてきた。守るために。守れなかったものの重さからも。


 胸の奥が、少し痛む。


 その時だった。


「ヴァルドール・ドレイヴン」


 背後から、落ち着いた声が呼んだ。

 振り返ると、扉の陰にドリエンが立っていた。パイプを指で弄びながら、こちらをまっすぐ見ている。


「……落ち着かぬ顔だな。無理もない」


「俺は……」


「言い訳は要らん。お前はここへ来た。それで十分だ」


 ドリエンは小さく頷き、建物の中へ戻るように顎で示した。


「お前の住処へ案内させる。娘を呼ぼう」


 その言葉に、胸の奥がまた妙にざわつく。

 娘――マレナ・アルドゥル。あの鋭い目と、儚さの同居した気配。


 俺は黙って建物へ戻り、入口の脇で待った。


 しばらくして、奥の扉が開く音がした。


 黒い髪。青い瞳。

 マレナが静かに姿を現す。


 ドリエンは娘に向けて、いつもの調子で言った。


「……ああ。こっちへ。少し頼む」


 そして、淡々と告げる。


「この若者を、探索者に与える小屋へ連れて行け。必要なものがあれば整えてやれ」


 マレナは一度だけ頷き、こちらに視線を向けた。


 ――そこで、俺は知った。


 この村での“新しい始まり”は、もう動き出してしまったのだと。

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2026年1月5日 21:00
2026年1月6日 21:00
2026年1月9日 21:00

コロッサス大戦 ジェーシー・ベガ @Jcvega

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