Shingo's Story (Gt., Vo.)

第1話 味噌汁を浴びせて鍵盤を釣る

 思えば、天才を見抜ける奴こそが天才なんじゃねぇかと。仮にあのキーボーディストを天才と称して良いのだとしたら、そいつに初対面で味噌汁をぶちまけた俺も天才の仲間入りを果たしたってことで良いか?


 4月の大学の学食なんて、一番混雑しているに決まっていた。


「2限空きコマ勢にすっかりやられてるねー」


 こないだバンドサークルの新歓で知り合った高岡たかおか直哉なおやがだるそうにつぶやく。空席探して三千里。1人分の席ならまだしも、2人座れる席となるとかなり限られてくる。

 ふいに、窓際の、陽の当たる明るい席が目に入る。


「あそこなら、2名分空いてる――わっ」


 少し急いだせいか。それとも、背後にいた高岡に気を取られていたせいか。いずれにせよ、俺は席の真ん前でつまずいてしまったのだった。

 そして、トレイからフライアウェイする、俺の味噌汁。綺麗に放物線を描き、それは、空席の隣で「基礎現代化学概論」の教科書を片手にカレーライスを食べていた男の頭の上に着地し。


「あああごめんなさい!!!」


 頭のてっぺんから、味噌汁をかぶった基礎現代化学概論の男は、俺のことを見上げたまま、ただただフリーズしていた。何やってんだよ、という呆れ声が後ろから聞こえてくる。 


「あああ! 本当に! ごめんなさい! あああ」

「……えええ! なんで? めっちゃ熱い! えええ」

「輪唱してる場合か? 早く拭いてやれよ」


 ようやくリアクションを見せ始めたその男。高岡が少しいらっとした様子で、席に備え付けの紙ナプキンを男に渡す。――しかし、そいつはのろのろとナプキンを受け取り、やはり固まる。


「ごめんなさいお怒りはごもっともで、もちろんクリーニング代等は支払いますのでどうかお許しを……」

「大丈夫? やけどしてない?」


 高岡の気遣いに、そいつは小さく頷いた。

 前髪が味噌汁に濡れ、ワカメと共に額にぺたりと張り付いている。そんな滑稽な状況にもかかわらず、陽の光に照らされた髪がこげ茶色に透ける様子とか、線の細い印象を受ける長身だとか、少し眠そうな瞳に宿った柔らかい光とか、そういったものが妙に目を引いた。


「顔は、自分で拭いてもろて」


 高岡と俺で彼の服や持ち物をひたすら拭く。男も、ゆっくりとした動作で髪と顔を拭いていた。怒ってる? 怒ってるよな。大変なことになってしまった……

 おおむね拭き終わり、落ち着いたタイミングで俺は改めて男に頭を下げた。


「本当にごめんなさい。俺、教養学部総合文科1年の佐伯さえき慎吾しんごと言いまして」

「……えっ、あっ、奇遇? ですね。俺も1年です、教養学部総合理科1年の浜辺はまべ耀太ようたと申します」


 どうぞよろしくお願いいたしますと丁寧に頭を下げる男――改め、浜辺の様子を見て初めて理解した。こいつ、怒っていない。ただひたすらに、驚きすぎていたのだ。


「クリーニング代払いますので。もしよろしければ連絡先交換しませんか」

「そ、そんな……大丈夫ですよ、家の洗濯機でどうにかします」

「……怒って、ますよね?」

「いえ? よくある事故ですから」


 浜辺と名乗るその男は困ったように笑った。お人好しなのかもしれない。「よくある」事故ではないだろ。






 昼飯を食べ終えたくらいのタイミングで、浜辺はそういえば、と首を傾げた。


「どこかでお会いしたことがあるような気がするのですが」

「えっ? どこで」

「……新歓だろ? バンドサークルの」


 高岡がクールに言い放つ。浜辺が、ああ! と小さく叫び、ぽんと手を打った。


「それかもしれないです」

「……よく覚えてるな、あの人数で」

「人の名前と顔を覚えるのは得意なもので?」


 高岡がふふんと得意げに鼻を鳴らす。彼は小柄で快活な印象を与える見た目とは裏腹に、話すとどことなく落ち着いた雰囲気がある。あまり余計なことは話さないが、少しナルシスト気味な部分が透けて見えるところや、たまーに発言に毒が混じるところがちょっと面白い。学食前で偶然会ったので、一緒に食べようという話をしていたのだった。

 そして、今回の事故である。


「そういえば浜辺くんって、なんの楽器希望なの?」


 高岡が身を乗り出して、質問する。


「えと、キーボード」

「おっ。……もしかしてずっとピアノやってた系の」


 浜辺はニコッと微笑むと首を縦に振った。


「高岡くんは」

「あ、俺はピアノとかやってないよ。楽器自体はほぼ未経験。ドラムやりたいなって思って、ちょっと習い始めたところ」

「行動力エグーい」


 浜辺が少し目を丸くする。


「俺は高校時代からギターやってる。あと最近、ボイトレ始めた」

「えー、いいね! 王道ギタボ」

「……というわけでこのとおり、我々全員異なる楽器希望なんですよ」


 高岡が少し演技がかった調子で状況を整理する。そして俺を見上げ、「言うことあるよな?」と言いたげな表情。


「もしよろしければ、バンド組みませんか? ……って、いやいやおかしいだろ、味噌汁ぶっかけておいてこんなこと頼めるほど面の皮分厚くねえって俺」

「えー嬉しいです、よろしく! キーボードって、なんかあんまり要らないよってところ多くて、寂しくて」


 はにかみながら、提案をあっさりと引き受ける目の前の男は、相変わらず味噌汁にまみれていた。








 我が大学のバンドサークルは、「オールラウンド音楽サークル」を謳っていて、ジャンル、あるいはオリジナルか否かを問わずどんな楽曲を扱っても、どんな楽器を扱ってもよい。ポップスやロックが好きな人が多く集まっているものの、新歓コンサートでの先輩の演奏を聴いている限りだと、ジャズやフュージョン、洋楽、時としてヒップホップまで演奏しているグループもあった。

 バンドの組み方も様々で、固定メンバーで複数楽曲を演奏するところや、曲を決めてから演奏希望者を募る形式の即席バンドもあり、ある程度自由度が高い。

 大学1~2年の、時間があるうちに、固定メンバーとの演奏経験を積んでみたい。そんなふうに思っていた俺は、新歓の集まりでいろんな1年に声をかけていたのだが、単なるうっすい知り合いを増やすのみに留まっていたのだ。高岡には「よっ友を統べる者」と呼ばれている。よっ友とは、「よっ」という軽い挨拶を交わす程度の関係ではあるものの、深い会話ができるほどには至っていない友人のことを指す。

 しかし期せずして、3人メンバーが集まってしまった。


「もしかして、もうメンバー足りてる?」

「いや、ベースは居た方がいいと思うけど……めどはついていて」


 高岡がにやりとする。


「奴の演奏を聴いたらちょっと、びっくりすると思うよ」


 昼飯を終え、そんな会話をしながら次の講義のある教室に移動している最中。――何やら浜辺の様子がおかしい。まあ、味噌汁を頭からかぶせられて、怒りもせず、ひたすら固まっていた男なんて最初からおかしさの塊であることには間違いないのだが、なんというか、たったこの10分やそこらであからさまに元気がなくなっているのである。


「浜辺? どした、大丈夫か」

「あ、えーと」


 彼は気まずそうに頬を掻く。


「……いきなりこんな話で申し訳ないんだけど、実は俺、彼女が居て」

「解散」

「集合。――んで、さっきそこを通りかかったのに気づいたから手を振ったんだけど、無視されちゃって」

「気づかなかったんじゃねーの」

「いや、目が合ったつもりなんだけど」


 一体俺は何を聞かされているのだろう。


「……あと、ちょっと耳の調子がおかしいというのもあって、絶不調。味噌汁が耳ん中入っちゃって」


 そう言って浜辺は首を傾け、側頭部を少し乱暴に叩く。なんかマジでごめん。







 本日の放課後は、大学生としてとても大事なイベントがある。――そう、カラオケ企画。これは同じクラスの友人が企画したもので、音楽好き同士で仲良くなろうという名目の元、我が大学の各種音楽サークルに所属する男女が集められたものである。それこそ、俺のようなバンド系から、吹奏楽、室内楽、そしてなんと雅楽サークルからも人が集められている。男女5人ずつ、夕方の安い時間帯のカラオケルームを予約しているのだが、概ね合コンと思っていいか?


「佐伯に言ってあったっけ? 今日、男子の方、1名参加できなくなっちゃってさ。代わりのヤツ呼んでるから」

「へえ、今度はどこサー? あれか、アフリカ民族音楽研あたりか」

「や、ちょっと申し訳ないんだけど、お前んとこのバンドサークルよ」

「うちか。別に申し訳ないこたぁないよ」


 主催者はごめんねぇと謝ってみせる。――なにやら、こんな遊びの会ひとつとっても中心人物というものにはそれなりの苦労が付いて回るようだ。わざわざ俺に義理立てするということは、なるべく、同じサークルからは1人ずつの参加ということにしてあったのだと踏んだ。だからこそ、やたらとマニアックな音楽サークルメンバーが登場するわけであるが……。


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