第6話 信用の値札

信用ってのは、値札みたいなものだ。


 目に見えないくせに、勝手に決められて。

 勝手に貼られて。

 足りなければ、入れてもらえない。


 現実の教室で、俺の額に貼られている値札は――「ゴミ」。


 だから、異世界でも同じだと思っていた。


 ……木札を読めるようになるまでは。


 ***


 朝、目を覚まして最初にやったことは、クローゼットを開けることだった。


 白い線。


 鍵穴も取っ手もない境界が、服の奥にきちんと走っている。

 消えていない。

 逃げていない。


 視界に“板”。


『HPが回復しました』

『MPが回復しました』


 俺は喉を鳴らして呟いた。


「……表示」


――――――――――

【八咫優馬】

Lv:3

HP:16 / 16

MP:5 / 5


STR:1

VIT:2

AGI:2

DEX:2

INT:3

LUK:2


スキル:

〖整頓〗Lv2

〖解析〗Lv2

〖清掃技術〗Lv4

〖言語理解(共通語)〗Lv2

称号:

〖境界に触れた者〗

〖空き家の管理者〗

――――――――――


 数字が増えた実感は薄い。

 でも、鞄が軽い。

 息が詰まりにくい。


 俺は服の下から布袋を引っ張り出して、木札を取り出した。


 昨日、村長から渡された滞在札。


 昨日までは読めなかった文字が、今は読める。


【期限:三日】

【保証:リナ】


「……保証」


 口の中が乾く。


 保証って、つまり。

 リナの名前が、俺の代わりに矢面に立っているってことだ。


 現実じゃ、誰もやってくれない。

 先生も、親も、同級生も。


 だから、重い。


 銅貨一枚より。

 俺のHPより。


 ――俺が汚したら、リナの顔に泥がつく。


 俺は木札を布袋に戻して、結び目を固くした。

 指が勝手に段取りを作る。濡らさない。汚さない。見つからない。


 隠すのも、仕事。


 そして――今日、動かなきゃいけない。


 卒業前のこの時期は、学年末の予定が崩れて、登校がない日が混じる。

 今日はその一日だった。


 現実の俺が、今日一日いなくても、誰も困らない。

 ……それが悲しいけど、今は都合がいい。


 俺は部屋をざっと掃除した。

 床のゴミを拾い、プリントを揃え、埃を掃く。


『経験値を獲得しました』

『清掃行為が“成長”として認識されました』


 現実のゴミが、俺の経験値になる。


 俺は石鹸で手を洗い、鞄じゃなく布袋だけを持ってクローゼットへ向かった。


「……行くぞ」


 白い線に手を当てる。

 境界が割れて、木の匂いが流れ込んだ。


 ***


 空き家に足を踏み入れると、空気が違う。


 湿気がない。

 鼻を刺す匂いがない。

 ここだけは、俺を拒絶しない。


 棚に置いた道具を確認する。


 布、石鹸、研ぎ石、中古の短剣。

 そして、箒。


 俺は棚の前で呟いた。


「……整頓」


 物が勝手に収まる。

 落ちない位置。

 取り出しやすい角度。


『整頓による配置が成功しました』


 便利すぎる。

 でも、便利だから生き延びられる。


 玄関の扉を開けると、森の冷気が流れ込んだ。


 同時に、視界の端に矢印――拠点方向表示。


 帰れる。

 だから行ける。


 俺は森を抜け、目印の枝と石を辿って村へ向かった。


 ***


 村の入口。


 門番が俺を見て、槍の柄で道を塞いだ。


「札は」


 俺は布袋から木札を出した。


 門番の目が裏面を滑る。


「期限、三日。保証、リナ……」


 門番は短く鼻を鳴らした。


「保証人に迷惑をかけるなよ」


「……かけない」


 言葉にして、胸が少し痛む。


 俺は村の中を通り、真っ直ぐ村長の家へ向かった。


 約束より先に、段取りがある。


 保証の値段を、俺が払う。


 ***


「ユーマか」


 村長は庭に出ていて、俺を見るなり言った。


「今日は早いな。どうした」


「……町へ行きたい。期限がある」


 俺が木札を示すと、村長は頷いた。


「三日など、あっという間だ。……だが、町は村より厄介だぞ」


「分かってる」


 俺は息を吸って続けた。


「それと。村の水、汚れてるかもしれない」


 村長の眉が動いた。


「根拠は」


「便所の掃除で、黒い汚泥が出た。解析したら“汚染”って出た」


 村長は少し黙ってから、顎で村の端を指した。


「共同の水場を見ろ。臭いが強い。腹を壊す者もいる。お前の目で確かめろ」


 ――仕事を回された。


 外の者に、信用の値札が貼られていない俺に。

 それでも、村長は“確かめろ”と言った。


 俺は頷いた。


「……やる」


 ***


 共同の水場は、泥が踏み固められて黒くなっていた。

 桶の縁にはぬめり。

 木の樋から落ちる水の匂いが、どこか酸っぱい。


 遠巻きに、村の女たちと子どもが見ている。


「外の人が触って大丈夫なの……?」

「変な魔法じゃないよね……?」


 囁き。

 現実の教室と同じ“距離”だ。


 俺は布と石鹸を取り出し、桶を洗った。

 樋の下の苔を削ぎ、泥を掻き出す。


 順番を間違えない。

 汚れを広げない。


 段取りは、俺の武器。


『経験値を獲得しました』

『経験値を獲得しました』


 板が淡々と出る。


 俺は手を止めず、最後に布を濡らして拭いた。


「……清掃技術」


 言葉にした瞬間、布が少し温かくなる。


『スキル〖清掃技術〗の効果が適用されました』

『簡易除菌/消臭(微)』


 酸っぱい匂いが薄くなった。


 ――だが。


 樋の内側、木の継ぎ目から、黒い粘りがにじんだ。


 泥みたいで、油みたいで。

 触ると嫌な冷たさが指に残る。


 俺は呟いた。


「解析」


『対象:汚泥』

『状態:汚染(微)』

『備考:水源由来の可能性』

『危険:低(接触)/中(摂取)』


 やっぱり、ただの汚れじゃない。


 俺は石鹸を足して、黒い粘りを布で包むように拭った。


『スキル〖清掃技術〗の効果が適用されました』

『汚染を中和しました(微)』


 “中和”。


 その文字を見て、背筋が冷えた。


 掃除が、汚れを落とすだけじゃなくなる。

 悪いものを、片付ける。


 板が続けて光った。


『スキル〖清掃技術〗:熟練度 4 → 5』

『効果:簡易除菌/消臭(微)→(小)』

『追加効果:汚染中和(微)』


 周囲のざわめきが大きくなる。


「水の匂い……変わった?」

「臭くない……」


 子どもが恐る恐る近づき、桶の水を指で触って鼻を寄せた。


「……へんな匂い、しない」


 その一言が、胸に刺さった。


 現実で俺がやってきた掃除は、誰かに“罰”として押しつけられるだけだった。

 でもここでは――“使える”って言ってもらえる。


 俺は汚泥を包んだ布を水で洗い、しっかり絞った。

 絞った布は、乾く場所に広げておく。


 汚れは、残さない。


 ***


 村長は水場の様子を聞くと、顔を硬くした。


「水源……か」


「汚染は微。今は中和できた。でも、また出る」


 村長は門番に命じた。


「上流を見ろ。家畜の死骸でも流れていないか確認しろ。腹を壊した家も聞け」


 村が動く。


 それを見て、俺は喉の奥が熱くなった。

 現実で、俺が何を言っても誰も動かないのに。


 村長は机の上に銅貨を置いた。


「報酬だ。銅貨四枚。……それと、これを持って町へ行け」


 差し出されたのは封のされた紙束――紹介状だった。

 封蝋の跡に、村の印。


「町の治療院と、商人組合に渡せ。汚染の話も伝えろ。村だけで抱えるのは危険だ」


 治療院。

 商人組合。


 町は怖い。

 でも、必要だ。


 俺は紹介状を受け取り、深く頭を下げた。


「……分かった」


 村長は俺を見て言った。


「信用は、買えると思うな。稼ぐものだ」


 俺は頷いた。


「……掃除で稼ぐ」


 村長が一瞬だけ目を細めた。

 笑ったのかどうかは分からない。


 俺は村長の家を出た。


 ***


 門の近くで、リナが待っていた。


「ユーマ! 今日、町に行けるの?」


「行く。紹介状ももらった」


 俺が封の紙を見せると、リナは真剣な顔になった。


「水、汚れてるんだよね……。町の人なら、薬師さんとか詳しい人がいるかも」


 リナは頷いて、道の方を指した。


「じゃあ、急ごう。日が落ちる前に着きたい」


 俺たちは村を出た。


 歩きながら、俺は村長から受け取った銅貨を掌に転がす。

 四枚。


 昨日、木札の結び目に隠した一枚がある。

 合わせれば五枚。


 ――でも、今それを見せる必要はない。


 俺は周囲に人影がないのを確認して、板を呼び出した。


『収納枠』


「……収納。銅貨、四枚」


 掌の銅貨が消える。

 手の中が軽くなる。


 リナはそれを見て、少しだけ眉を上げた。


「それ、ほんと便利だね」


「便利じゃないと……生きられない」


 リナは何も言わず、歩幅を合わせてくれた。


 ***


 草原の道は、森より開けている。

 見通しがいい分、逃げ場が少ない。


 ――だから、段取りが要る。


 歩いてしばらく。

 道端に、倒れた荷車が見えた。


 車輪が外れ、荷物が散らばっている。

 男が一人、頭を押さえてうずくまっていた。


「助けてくれ……! 盗賊に――」


 リナが足を止める。


 俺は反射で呟いた。


「解析」


『対象:倒れている男』

『種族:人間』

『状態:外傷なし』

『危険:中』


 外傷なし。


 ……嘘だ。


 俺が息を呑んだ瞬間、草むらが揺れた。

 うずくまっていた男が顔を上げる。


 目が笑っていない。


「おいおい。女連れかよ。運がいいな」


 草むらから、別の男が二人、立ち上がった。


 盗賊。


 リナの顔が青くなる。

 俺の喉が鳴る。


 現実なら、ここで固まって終わっていた。


 でも今は。


 俺には箒がある。

 整頓がある。

 段取りがある。


 俺は足元の石をいくつも拾って、道に転がした。


「……整頓」


 石が、盗賊の足元に“ちょうどいい”間隔で並ぶ。

 踏めば取られる位置。

 回り込む隙間を潰す配置。


『整頓による配置が成功しました』


「……何だそれ!」


 盗賊が突っ込んでくる。


 足が取られて、男が転ぶ。


「ぐっ――!?」


 俺は箒で乾いた砂を掻き上げた。


 目潰し。

 埃。

 汚れ。


 俺が一番慣れてる武器。


「今だ、リナ。下がれ!」


 リナが咄嗟に後ろへ飛ぶ。


 盗賊が目を擦って呻く。

 俺は中古の短剣を抜いた。


 殺す気はない。

 でも、奪われるのも嫌だ。


 狙いは胴じゃない。

 手。


 短剣の腹で、握っている腕を叩く。


 鈍い音。

 ナイフが落ちる。


「っ、この――!」


 別の男が回り込もうとする。

 俺は箒の柄で距離を固定し、石の配置で足を止める。


 殴り合いじゃない。

 段取りで、動線を奪う。


 盗賊が舌打ちした。


「チッ……面倒だ。引くぞ!」


 男たちは荷車の荷物をいくつか掴んで、草むらへ消えた。


 残ったのは、散らばった荷物と、落ちた革袋。

 そして――荷車の陰から、震えた声。


「……た、助かった……」


 陰から出てきたのは、別の男だった。

 顔色が悪い。

 こっちは本当に怯えている。


「俺は商人だ。連中に襲われて……荷車を倒された」


 ……本物。


 俺は革袋を拾って、呟いた。


「解析」


『対象:革袋』

『内容:銅貨/乾肉』

『価値:12銅貨(推定)』


 金。


 喉が鳴る。


 現実の俺なら、欲しい。

 でも、ここで持って帰ったら――“盗賊と同じ”になる。


 そして、町の門で疑われる。


 信用は、稼ぐもの。


 俺は革袋を握ったまま、商人に言った。


「……町の衛兵に届ける。あんたも一緒に来い。証言がいる」


 商人が目を見開く。


「……いいのか?」


 俺は頷いた。


「俺も、町に入る理由が欲しい」


 リナが隣で小さく息を呑んだ。

 それから、少しだけ笑った。


「……ユーマ、すごいね」


 すごい、じゃない。

 生きるための段取りだ。


 でも――その言葉は、嫌じゃなかった。


 ***


 夕方、町の城門が見えた。


 高い壁。

 人の数。

 鎧の音。


 村よりずっと、息が詰まる。


 門番が俺たちを止めた。


「身分証は?」


 俺は木札を出し、紹介状を続けて差し出す。


 門番は封蝋を見て、表情を変えた。


「村長の印か……。よし。だが、町の手続きは必要だ。まず詰所へ――」


 俺は革袋を持ち上げた。


「盗賊が落とした。被害者の商人もいる。届けに来た」


 門番の目が鋭くなる。

 周囲の衛兵が動いた。


「案内する。……変な真似はするなよ」


 俺は頷いた。


 変な真似なんて、したくない。

 俺はただ、ここに“入れる”値札が欲しいだけだ。


 ***


 詰所の中は、汗と鉄の匂いが濃かった。


 革袋はすぐに衛兵に渡した。

 中身を改められ、商人が震えながら状況を話す。

 俺は俺で、村長の紹介状と滞在札を見せ、名前を書かされた。


 ――信用ってのは、手続きで増える。


 俺が現実で一番嫌いだったやつだ。


 でも、ここでは逃げない。


 待たされる間、ふと壁を見ると、木札がいくつも貼られていた。


 依頼。

 報酬。

 期限。


 その中に、ひときわ目につく文字があった。


【下水清掃 報酬:銀貨一枚】


 俺は、思わず口の端が上がりそうになって、慌てて押さえた。


「……結局、掃除かよ」


 でも、悪くない。


 剣でも魔法でもない。

 俺の武器は、掃除だ。


 信用の値札だって――拭いて、稼げる。


 視界に板が割り込む。


『新規依頼を確認しました』

『推奨:下水清掃(町)』

『備考:清掃行為は成長として認識されます』


 俺は息を吸って、木札の紐を指で確かめた。


 期限、三日。


 今日だけで、どれだけ進めた?

 ……まだ足りない。


 現実の俺は、今日一日いなくても誰も困らない。

 ……なら、明日も。


 俺は掲示板の木札を見上げた。


 町の汚れも。

 村の汚れも。

 そして、俺の人生の汚れも。


 片付ける場所が、また一つ増えた。

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