第5話 銅貨の重み
村に入った瞬間、匂いが変わった。
薪の煙。
焼けたパンの甘さ。
家畜の藁。
そして――人の汗と、湿った土の匂い。
“生活”の匂いだ。
俺は反射で肩をすくめた。
視線が刺さる。
買い物帰りの女。
桶を抱えた子ども。
槌を持った男。
みんな一瞬だけ俺を見る。
そして、すぐに逸らす。
……教室と同じだ。
違うのは、ここでは“理由”があること。
知らない奴が入ってきた。
だから警戒する。
筋が通ってる。
「ユーマ……平気?」
隣でリナが小声で聞いてくる。
「……平気。慣れてる」
慣れたくなかったけど。
門番は俺を前に歩かせ、槍の柄で道を示した。
「村長のところだ。余計な真似はするな」
余計な真似。
現実でも散々言われた言葉だ。
俺は言い返さない。
代わりに頭の中で“段取り”を組む。
――逃げ道。
――人の数。
――物陰。
――手元の武器。
箒と、錆びた短剣。
頼りない。でもゼロじゃない。
視界の端に浮かぶ矢印――拠点方向表示が、森の奥を指しているのを確認する。
帰れる。
それだけで、少し息が楽になった。
***
村長の家は、村の中央にあった。
柵で囲われた広めの敷地。
踏み固められた土の庭。
道具が散らかっていない。
……整っている。
掃除屋としては、こういう場所の方が落ち着く。
門番が声を張った。
「村長! 森で拾った怪しい旅人だ! リナが連れてきた!」
拾った、って言い方はやめろ。
でも今は飲み込む。
家から出てきたのは、背の高い男だった。
四十代くらい。
腕と首に古い傷。目つきが鋭い。
村長だ。
男はリナを見て、次に俺を見る。
「……リナ。無事か」
「うん。スライムに絡まれたけど、この人が助けてくれたの」
村長の眉がわずかに動いた。
一瞬だけ、俺を見る目が“獲物”じゃなくなる。
でも、すぐに戻った。
「名は」
「ユーマ」
「どこの者だ。証は」
「……ない」
言った瞬間、空気が硬くなる。
門番の槍先が上がる。
見張りの手が腰の武器にかかる。
村長は短く息を吐いた。
「身元の分からぬ者を、村に入れるわけにはいかん。森には盗賊もいる」
盗賊。
現実にもいる。
制服を着た盗賊が。
……でもここでは、ちゃんと“盗賊”って名前で呼ばれているだけマシだ。
俺はうなずいた。
「……分かる。出ていけばいい」
村長の目が細くなる。
「夜の森は危険だ。今出せば、死ぬ確率が高い」
出ていけ、でも死ぬ。
理不尽な言い方なのに、現実ほど腹が立たない。
ここには、“村を守る理由”があるからだ。
リナが一歩前に出た。
「村長、お願い。悪い人じゃないよ。私の足だって……拭いただけで痛みが引いたし」
村長がリナの足首を見る。
腫れが引いているのが分かるのか、表情がほんの少しだけ緩んだ。
「……薬師には見せたか?」
「まだ。でも歩ける」
村長は俺に視線を戻す。
「ユーマ。森でスライムを倒したのは、お前か?」
「……倒した」
「証拠は」
証拠。
俺の収納枠には、スライム核と魔石がある。
出せば早い。
でも出したら、今度は“奪われる側”になるかもしれない。
――奪われる。
胸の奥が痛んだ。
現実で、何度も何度も、そうだった。
それでも。
ここで黙ったら、結局同じだ。
俺は息を吸って、腹の底で決めた。
「……出す。騒ぐな」
村長が眉を寄せる。
「何を――」
俺は“板”を呼び出した。
『収納枠』
・魔石(小)×1
・スライム核(小)×1
“取り出す”を選ぶ。
「……取り出し」
次の瞬間、透明な珠が手のひらに落ちた。
冷たい。ガラスみたいだ。
周囲が、一段静かになった。
「今のは……」
見張りが息を呑む。
門番の槍が、さらに上がる。
リナが慌てて言った。
「ほら! スライムの核!」
村長は珠を見て、それから俺を見る。
「……収納魔法か?」
魔法。
便利な言葉だ。
俺は、うなずくしかなかった。
「……たぶん」
村長はしばらく考えてから、言った。
「リナ。お前が保証するのだな」
「する。助けてもらったから」
保証。
その言葉が、やけに重かった。
現実で、俺を保証する人はいない。
だからいつも、最初から“悪い方”に転ぶ。
でもここでは――誰かが、俺のために名前を出してくれる。
村長は決めたように続けた。
「よし。村に置く。ただし条件がある」
条件。
当然だ。
「外の者は滞在札が要る。銅貨二枚。持っているか?」
「……ない」
即答だった。
村長は頷いた。
「なら、核と魔石を売れ。この村の雑貨屋が買い取る。金ができたら、滞在札を出す。それまでは勝手に歩くな。リナの案内の範囲で動け」
門番が吐き捨てる。
「逃げたら狩るぞ」
分かってる。
逃げるのは、もう飽きた。
俺はうなずいた。
「……分かった」
***
雑貨屋へ向かう途中、リナが小声で言った。
「ごめんね。村長、怖いでしょ」
「……怖いけど、筋は通ってる」
現実の教師みたいに“見て見ぬふり”をしない。
それだけで、心が少し軽い。
店先には塩、縄、布、干し肉。
小さな店だが、生活に必要な物は揃っている。
店主は太った男で、俺を見るなり眉を上げた。
「リナ。そいつは誰だい」
「ユーマ。森で助けてくれたの。スライム核、買い取ってもらえる?」
店主の目が、俺の手の珠に吸い寄せられる。
その視線が、嫌だった。
値踏みされる感覚。
でも――今の俺には、“値札”を見る手段がある。
俺は珠に視線を落として呟く。
「……解析」
『対象:スライム核(小)』
『用途:素材/換金』
『価値:低(一般)』
……低。
数字がない。
これじゃ交渉にならない。
店主が言った。
「銅貨一枚。そんなもんだ」
一枚。
低いのか、高いのか分からない。
分からないまま頷いたら、また奪われる。
俺は歯を食いしばった。
――知りたい。
その瞬間、板が割り込む。
『スキルポイント:2』
『スキルレベルを上げますか?』
……今かよ。
でも、今しかない。
俺は選んだ。
「解析。上げる」
『スキル〖解析〗:Lv1 → Lv2』
『追加効果:値札表示(簡易)/相場参照(近隣)』
視界が、ほんの一瞬だけチカッと揺れる。
俺はもう一度、珠を見る。
「解析」
『対象:スライム核(小)』
『価値:3銅貨(相場:2~4)』
『備考:乾燥良好』
……三枚。
店主の提示は一枚。
俺は息を吐いて言った。
「……三枚が相場だ。乾燥も良い」
店主が目を丸くする。
「は? 何言って――」
「三枚」
短く繰り返した。
現実なら、声が震えた。
反論した瞬間に殴られるから。
でもここは、殴られない。
殴れば、村長案件になる。
だから――言える。
店主は舌打ちして、銅貨を三枚、机に置いた。
「ほらよ。三枚だ。これ以上は出さん」
俺は銅貨を受け取った。
――重い。
たった三枚。
でも掌の中に、ちゃんと重さがある。
続けて、俺は言った。
「魔石もある」
店主の目がギラついた。
「小さい魔石だろ? 銅貨五枚が――」
俺は取り出して、先に解析した。
「解析」
『対象:魔石(小)』
『用途:魔力資源/換金素材(一般)』
『価値:10銅貨(相場:8~12)』
『注意:衝撃で破損注意』
「……十が相場。今のは安い」
店主が顔をしかめる。
「商売ってのはな――」
「なら、売らない」
言ってみた。
言えた。
店主は俺の顔を見て、ため息をついた。
「……九。これでどうだ。こっちも商売だ」
相場の範囲内。
俺は短くうなずいた。
「九でいい」
銅貨が積まれていく。
三枚と九枚。
合計十二枚。
――滞在札、払える。
俺は銅貨を握りしめた。
重さが、心を落ち着かせる。
***
村長の家へ戻ると、村長は銅貨を受け取り、木札を渡した。
薄い木の札に紐がついている。
表に村の印。裏に文字が刻まれていた。
……読めない。
俺は自分の無力さに、舌打ちしそうになる。
その時、板がまた出た。
『スキルポイント:1』
『スキルレベルを上げますか?』
……残り一つ。
俺は迷わず言った。
「言語理解。上げる」
『スキル〖言語理解(共通語)〗:Lv1 → Lv2』
『追加効果:読み書き(簡易)/語彙拡張(小)』
視界の中で、木札の文字が“意味”になる。
【期限:三日】
【保証:リナ】
……読める。
村長が言った。
「首から下げろ。三日間は村の中を歩いていい。ただし、保証人の顔に泥を塗るな」
泥。
掃除屋の俺には、分かりやすい脅しだ。
俺は木札を握ってうなずく。
「……分かった」
村長は俺をじっと見て、続けた。
「ユーマ。森で生き残れる顔をしていない」
刺さる。
現実でも散々言われた。
“お前は生き残れない”って。
村長は言った。
「だが、目は死んでいない。なら、やり方を覚えろ。村で生きるやり方だ」
俺は返事ができなかった。
代わりに、胸の奥で答えた。
――覚える。
段取りで覚える。
掃除で覚える。
人生を片付けるために。
***
雑貨屋に戻って、俺は最低限を買った。
石鹸。
布。
それと、乾いた黒パン。
怪我をした時のため。
そして、帰ってからの飯のため。
店主が木箱から短剣を取り出す。
「武器も要るだろ。中古だがな。銅貨五枚」
俺は手に取って解析した。
『対象:中古の短剣』
『攻撃力+1』
『耐久値:5 / 10』
『価値:4銅貨(相場:3~5)』
……一枚、下げられる。
俺は言った。
「……四」
店主が鼻で笑う。
「いきなり交渉かよ。……まあいい、四だ。代わりに研ぎ石も買え」
研ぎ石は一枚。
結局、合計は五。
でも、この一往復が“奪われる側”から“選ぶ側”に変わった証拠だ。
俺は研ぎ石も買って、残った銅貨を数える。
……まだ一枚、残ってる。
ゼロじゃない。
その一枚を、俺は木札の紐の結び目に押し込んだ。
誰にも見えない場所に。
隠すのも、仕事だ。
リナが言った。
「ユーマ、今日はうちで休んでいって」
一緒。
温かい言葉。
でも、俺は首を振った。
「……今日は戻る。俺、森に拠点がある」
嘘じゃない。
“空き家”がある。
本当の意味では言えないけど。
リナは少しだけ寂しそうに笑って、それでも頷いた。
「じゃあ……これ、持ってって」
彼女は布に包んだパンを、もう一つ渡してくれた。
「明日、町に行くなら途中まで案内する。約束」
約束。
現実では、約束なんて守られる前に壊された。
でも俺は、うなずいた。
「……約束する」
***
村を出て、目印の枝と石を辿って森を歩く。
夜の森は怖い。
でも矢印がある。段取りがある。
空き家に辿り着いて、玄関の内側に入る。
ここからなら、戻れる。
廊下の壁――白い境界は沈黙している。
俺は手を当てた。
「……再展開」
『境界通路:再展開しますか?』
『消費MP:1』
「……する」
『MP:5 → 4』
『境界通路が安定しました』
白い線が走り、割れる。
向こう側に、俺の部屋のクローゼットが見えた。
俺は境界をくぐる。
瞬間、冷たい空気が肺に刺さる。
薄い壁。弱い暖房。
ここは俺の部屋で、俺の現実だ。
……でも。
手の中には、布の袋がある。
石鹸と布と短剣と研ぎ石。
パン。
そして、木札。
俺はクローゼットを閉めて、床に座り込んだ。
パンを一口かじる。
硬い。素朴。
でも、腹に落ちる。
視界に板。
『食事を行いました』
『HPが回復しました』
回復する。
俺は息を吐いた。
笑いそうになって、喉の奥で止めた。
笑ったら、泣きそうになるから。
最後に、板を呼ぶ。
『ステータスを表示しますか?』
「……表示」
――――――――――
【八咫優馬】
Lv:3
HP:14 / 16
MP:4 / 5
STR:1
VIT:2
AGI:2
DEX:2
INT:1
LUK:1
スキル:
〖整頓〗Lv2
〖解析〗Lv2
〖清掃技術〗Lv4
〖言語理解(共通語)〗Lv2
称号:
〖境界に触れた者〗
〖空き家の管理者〗
――――――――――
下に表示。
『ステータスポイント:3』
俺は迷わず振った。
殴り返すためじゃない。
奪われないために。
理解して、生き残るために。
『INT:1 → 3』
『LUK:1 → 2』
数字が変わる。
頭の中のモヤが少し晴れる。
“段取り”が組みやすくなる感覚。
俺は木札を握りしめた。
期限、三日。
保証、リナ。
そして――銅貨一枚の重み。
誰にも奪われない形で、俺の手元に残った重さ。
明日も掃除する。
現実の廊下も。
異世界の森も。
俺の人生も。
片付け直すために。
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