悟りの成美さんは、今日もサービスカウンターを回す

小鳥遊

プロローグ

 フレッシュバスケット若葉店。通称、フレバ若葉店。


 住宅街の角に、いつもの顔で建っている。

 春は玄関先に花粉と特売のチラシが舞い、夏は冷ケースの霜がやけに強くて、秋は鍋つゆの山が季節の到来を宣言し、冬は出入口のマットが雪を吸って重くなる。

 買い物かごのガラガラという音と、焼きたてパンの匂いと、タイムセールの呼び込み。暮らしの真ん中に置かれた、いかにも平和な場所だ。


 スーパーマーケットは穏やかな顔をしている。しているように見えるだけで、実態はほとんど戦場だ。


 値札の一円で人は怒り、列の長さで人は壊れ、期限切れのクーポンで世界線が分裂する。「前の店ではやってくれた」という幽霊がふらつき、「お客様第一」という旗が、ときどき店員の背中に刺さる。

 誰もが余裕をなくしたとき、矛先として一番ちょうどいいのは、制服を着て笑っている人間だったりする。


 中でもサービスカウンターとレジでは、毎分小さな事件が起きている。


 ポイントの後付け、返品の線引き、袋の有無、セルフレジの沈黙、セミセルフの機械音、並び方の正義。

 怒鳴り声が上がるほどではないのに、確実に心が摩耗する種類の出来事が、薄く、広く、途切れなく降り続く。雨みたいに。しかもその雨は、なぜか人の言葉の形をしている。


 そしてここに一人の女性がいる。

 五十嵐成美いがらしなるみ。二十五歳。サービスカウンター兼レジのチーフだ。仕事が超できる。だからこそ、この年齢でチーフというポジションにいる。

 判断が速く、言葉が短く、動きが無駄なく、どんな状況でも声の温度が変わらない。

 なのに、本人はその自覚があまりない。たまに、なぜそうなるのか説明できない角度でボケる。しかも真顔で。周囲が息をのむ局面で、ふっと場の空気が抜ける。


 この物語は、その成美が、戦場みたいな日常を、ちゃんと日常に戻していく話だ。誰かの理不尽を飲み込むのではなく、飲み込まれないための境界線を引き、言葉を選び、手順を守り、店を回す。


 今日もフレバ若葉店は穏やかな顔をしている……たぶん。少なくとも、そう見えるようにしている人がいる。

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