消えたジミーペイジ

上田 由紀

消えたジミーペイジ

寝苦しい夜だった。

夜間でも室内の気温は28℃を下回らず、湿度も高い。

扇風機は室内の生暖かい空気をかき混ぜているだけで、一向に涼しくない。さっき入浴したばかりなのに、既に肌が汗ばんでいる。

なかなか寝付くことができず、私は寝返りを打つ。溜め息をつき、薄く目蓋を開く。月明かりのせいで、室内はぼんやりとしたほの暗さだ。暗がりの中でも、タンスや本棚の輪郭がおぼろげに見える。


ふと、視界の隅で何かが動いた、ような気がした。目を細め、首をそちらの方向に向ける。そこの壁には、ジミーペイジのポスターが貼ってある。ライブでギターを弾いているポスターだ。


(ん? 何かがおかしい)


私は目を凝らす。


(えっ?! 動い……てる?)


ジミーペイジの手が、あたかもギターを弾いているように、動いて見えるのだ。

イヤ、本当に動いている。


(まさか、きっと目の錯覚よね?)


一度、目蓋を閉じた。そして、ゆっくりと開く。

それは無駄な抵抗に終わった。

やはり、ジミーペイジの手は動いていた。

ネックを握っている左手は左右に移動し、右手は上下に動き、ジミーの顔も髪も揺れている。ネックは今にもポスターからはみ出してしまいそうだ。


(幽霊?! イヤ、ジミーは死んでないよ! では、幻覚か?)


見なければいいのだが、怖いもの見たさというか、ポスターから目が離せない。


ギュッ! ギュッ!


ギターの弦の摩擦音? が聴こえた。


(えっ、ど、どういうこと?!)


私の驚愕をよそに、ジミーは一心不乱にギターを弾いている。今にもギターの音色まで聞こえてきそうだ。

ポスターの中のギターは、ダブルネックギターだ。ということは、私の大好きな曲、天国への階段を弾いているのだろうか?

イヤ、そんなことより、この現象をどう捉えたらいいのか?

ギターを弾くジミーは、ポスターの中から出てきそうなほど動きが激しくなってきた。


ぐわん、ぐわん、ぐわん……。


(えっ? 何?!)


異様なノイズ音に、ビクッとした。


ん? そういえば、これは……。

聞き覚えのあるノイズだ。胸いっぱいの愛を、という曲の中でジミーがテルミンを使って出しているノイズ音に似ている。

ノイズは次第に大きくなり、部屋中に広がっていった。部屋全体にノイズが反響し、薄気味悪い。頭がガンガンする。


嫌な予感がした。金縛りに合う直前の、あの感覚。

来る、来る、まもなく私は金縛りに合うのだ。それから逃れることはできない、という諦めにも似た思い。


視界が揺らいだ。ポスターの四隅から、何かが浮かび上がる。私は目を凝らす。

       Zoso

       Zoso

       Zoso

       Zoso


(ひぇっ!?)


恐怖に襲われながらも、ひたすら考える。

Zosoって、確かジミーペイジのシンボルマークだったはず。ジミーは一時期、魔術に傾倒していた。Zosoは、その象徴だと何かで読んだ。


次第にZosoの文字がポスターから浮き上がり、宙へとゆらゆら移動していく。

立て続けに起こる超常現象に、思考力が鈍る。

同時に、全身に重圧を感じ始めた。まるで、力士にでも押さえつけられているかのようだ。


(うぅ、苦しい……)


全身が、ガチガチに固まっていく。

今やZosoの文字は増殖し、天井と壁がZosoの文字で埋めつくされている。


    Zoso  Zoso  Zoso 

    Zoso  Zoso  Zoso

    Zoso  Zoso  Zoso

    Zoso  Zoso  Zoso

 

(な、なんなの、これ?!)


私の体は麻痺し、指1本さえ動かせなくなった。

それでもまだ、ジミーが気になる。恐る恐る、ポスターの方向に視線を向ける

ジミーはバイオリンの弓をギターの弦に当てていた。


(今度は弓か?!)


思い出した。以前、ライブの映像で見たことがある。バイオリンの弓で弾くなんて、随分斬新だと思っていたが、まさかポスターの中でも弓が出てくるなんて……。


ジミーは笑みを浮かべながら、バイオリンの弓をギターの弦に当てて、リズミカルに弾いている。


(あぁ、もうイヤ! 夢なら早く覚めて!)


私は、ギュツと目を閉じる。

気味悪いノイズも、依然として部屋中に漂い反響している。頭が朦朧としてくる。

何だか時間が止まっているみたいだ。

動くジミーペイジと金縛りから早く解放してくれ。

重苦しい重圧感に絶えながら、ひたすら願った。



どれくらい時間が経ったのか。気づくと、体が押さえつけられていた感覚が無くなっていた。金縛りが解けたのだろう。部屋中に反響していたノイズは止んでいる。天井と壁を埋めつくしていたZosoの文字も消えている。私はホッとする。

ポスターの中のジミーは、まだ動いているのだろうか?

気になるが、もう怖い思いはしたくない。ポスターとは反対の方向に体を向け、眠りが訪れるのを、じっと待ち続けた。



カーテンの隙間から差し込む朝日に目蓋が反応する。部屋には既に熱気が充満し、その蒸し暑さで目覚めた。

あの後、いつの間にか眠りに落ちたのだろう。

ポスターの中のジミーペイジが気になった。私は額の汗を拭い、恐る恐るポスターの方向へと目を向ける。


(ん?! えっ?!)


ポスターは、もぬけの殻だった。

いない、のだ。ジミーペイジがいないのだ。ただ、灰色の背景があるだけ……。


(消えた?! どこへ?!)


私は半身を起こし、ベッドから出るとポスターの前に歩み寄る。

やはり、ジミーは消えた。その代わり、ポスターの中のギタースタンドに、タブルネックギターが立てかけられている。


「どういうこと?! ん? 何か書いてある」


ポスターの真ん中に、血のような赤黒い色で何か文字が書かれていることに気づいた。英語で書かれている。元々、ポスターには何の文字も書かれてはいなかったはず。

新たに芽生えた恐怖の中、文字を読む。


See you here again tonight


「また今晩、ここでね……?」


背中がゾクっとした。

今夜また、ポスターの中に消えたジミーが現れて、ギターを弾きまくる? ということ?

私は、ぶるっと身震いする。

もし、そうなったとしたら、たまったもんじゃない。また、あんな怖い目に合うのは、もうたくさんだ。

私は混乱し、後ずさる。

その時、何かを踏んだ。足もとを見る。

欠けたピックが落ちていた。手に取ると、しげしげと眺める。


(ジミーのピック?)


これって、昨夜の出来事は幻覚ではなく、現実を意味している、ということなのだろうか?


(ん?)


新たに足の裏に、何かを感じとる。

目を向けると、何かの毛のようなものがあった。しゃがんで手に取ってみる。細長い毛が束になっている。

一目見ただけでは、よく分からない。


(この長さからすると、ジミーが弾いていたバイオリンの弓の毛?)


「まさか、そんな……」


私は朝日に満たされた部屋の中で、愕然とした。


「もう、いい! 気味悪い!」


ベリッと、壁からポスターを剥がした。

本当は捨ててしまいたかったが、捨てて祟りのようなことが起きるのも嫌なので、ピックと弓の毛と一緒に、後で納戸にしまうことにする。


この不可思議な現象を、どう考えたらいいのか。イヤ、考えたって分かるはずがない。この世には、科学で説明できないことがある。仮に、誰かにこの不可思議な現象を説明しても、誰も信じないだろう。

ジミーペイジのファンだが、ジミーの幽霊もどきは見たくない。

私はその場に座り込み、しばし呆然としていた。


薄気味悪さは拭えないけど、考えてもどうしようもない。


もう、考えるな。忘れよう。そう、忘れるんだ!

こんな奇妙なこと、簡単に忘れるのは難しいだろうが、時間がかかってもいい。

忘れるしかない……。


そして、もう二度とポスターは見ない、貼らない。









       

        







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