第4話
時計の針が進む。
世界が茜色から、深い群青色へと塗り替えられていく。
理科室の隅々まで夜が浸透し始めた頃。
「……ん……っ!」
栞の体が大きく跳ねた。
覚醒の合図だ。
(お、起きた)
あたしはスマホをポケットにしまい、ニヤニヤしながら待ち構えた。
さあ、ここからが第二ラウンドだ。
プライドの高い彼女が、この失態をどう取り繕うのか。
楽しみで仕方がない。
栞がゆっくりと顔を上げる。
頬には、袖の跡がくっきりとついていた。
彼女はぼんやりとした目で周囲を見渡し、そして――目の前でニッコリ笑っているあたしと目が合った。
「……おはよ、月城さん」
その瞬間。
彼女の脳内で、今の状況と記憶がリンクしたのだろう。
顔色が、青から白へ、そして爆発的な赤へと変化した。
「……っ!?!?!?」
声にならない悲鳴。
彼女はガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、後ずさった。
「な、ななな、何!? 私、今……!?」
「んー? 爆睡してたよ。ヨダレ垂らしそうなくらい」
「う、嘘よ! ありえない! 私が、こんな……学校で、しかも人の前で……!」
栞は両手で自分の顔を覆い、パニックに陥っている。
その狼狽えっぷりは、さっきまでのクールな姿からは想像もつかない。
「……アナタ、何したの!?」
「何もしてないってば。ただ、お喋りしてただけ」
「嘘! あの声……なんか、変だったわ。頭がふわふわして、体が動かなくなって……催眠術!? 何かの薬!?」
「あはは! 薬って。サスペンスドラマの見過ぎだよ」
あたしは笑い飛ばした。
でも、内心ではガッツポーズだ。
そこまで混乱するほど、あたしの声は「効いた」のだ。
「……たまたまよ」
栞は乱れた髪を整えながら、必死に呼吸を整えようとしている。
顔の赤さは引かないまま、彼女はキッとあたしを睨みつけた。
「……たまたま、意識が飛んでいただけよ! 昨日の疲れが出てしまっただけ! あなたのせいじゃないわ!」
「はいはい、りょうかいりょうかい。そういうことにしておこっかか」
「……そういうこと、なの!」
栞は鞄をひったくると、逃げるように出口へと向かった。
その足取りは、心なしか軽そうに見える。
30分ほどの仮眠だけど、質の良い睡眠は脳を劇的に回復させるからだ。
「あ、待って月城さん」
あたしが呼び止める。
栞はビクッと肩を震わせて、恐る恐る振り返った。
「……何よ」
「また明日も、寝かせてあげよっか?」
「……は?」
栞は目を丸くした。
そして、すぐに顔を真っ赤にして叫んだ。
「ふ、ふざけないで! 二度とごめんだよ! アナタになんか、絶対隙を見せないから!」
「えー、残念。気でも持ちよかったでしょ?」
「き、ききき、気持ちよくなんてないわよ! 」
ガララッ! バタン!
激しい音を立てて、栞は去っていった。
廊下に響く足音が、パタパタと遠ざかっていく。
「……あはは、可愛いなあもう」
あたしは一人残された理科室で、声を上げて笑った。
拒絶すればするほど、それは「効きました」という証明にしか聞こえない。
「……これは、ハマりそうだわ」
あたしは自分の唇に指を当てた。
あの感触。
言葉一つで、人を支配し、癒やす快感。
配信とは違う、生身の反応(フィードバック)。
「……ターゲット、ロックオンってね」
あたしは鞄を持ち上げ、軽やかな足取りで理科室を出た。
夜の帳が下りた校舎。
けれど、あたしの心は、朝日が昇ったように晴れやかだった。
不眠症のあの子は、あたしの声がないと眠れないらしい。 ころね @korone_
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