中編 銭河原ネロルの僭称

 沼地の街は聖女が訪れた街の一つだ。聖女の加護が残る場所では、力を持った子が産まれる。この街ではそれらは贄として処刑される習わしだ。世界にあだなす存在ではないと示すことで世界から注目を浴びないように存続しているのだ。当然家族は力を必死に隠す。だが、猜疑心で成り立つ人々の目はそう簡単には誤魔化せない。


 ネロルの大陸行脚中、文字通り沢山の村や街、国を見てきたが街の在り方として奇怪な行動を起こしているのはこの街くらいだった。肌にはりつくような不快感に満ちた湿り気と、カビの臭いがそうさせているのだろう。


「なんとまあ残酷なお話で」


 銭河原ぜにがわらネロルは両親ともども焼き払われた家の跡地で立ち尽くした。これもネロルが付与エンチャントの力を持ってしまったのが原因だ。

 夜も更け、ネロルの背景色のような薄汚れたコートは燃え尽きた家屋とよく馴染む。夜目が効くネロルは物音を立てないように中に入り、辛うじて残っていた柱の陰に隠れるようにして身を屈める。


「ただいま。今日は泊っていってもいいよね? お腹空いたな、お母さんのビーフシチューが食べたい。うん……暫くは滞在するつもり。やることがあるんだ。土産話? もちろん、山ほどあるよ。私、長い間旅してきて色んな所を見て来たんだ。どんな話から聞きたい? 綺麗な話? それとも、ドロドロに汚い話? ついさっきもね、この街の子を一人助けてあげたんだ」


 膝を曲げ抱きかかえるように腕の中に顔を埋め、囁き声でネロルは喋り始める。


 生き延びたネロルの目的は両親の墓をちゃんと建て、形見の目玉も一緒に埋葬し弔うこと。それを成すには下ごしらえが必要不可欠だった。墓を建てたところで、荒らしに襲われては元も子もない。だが、排他的で閉塞とした街で力を見せるのは危険が付きまとう。下手をすれば拘束され、結局は炎にくべられてしまうだろう。


「あし……私の力で証明してみせるから。私こそが聖女様の生まれ変わりなんす。この街を私の祝福で幸せにしてみせやす。……みんなあしの力に縋るんす。もっとくだせえくだせえって。それって素敵、だよね。お父さんが言っていた信仰心が生まれるはずだよ。聖女様の加護に祝福された街。これが新しく生まれ変わるこの街の姿」


 ごろんとネロルは横になる。分厚いコートの素地は、腕を枕にするとき丁度いい硬さになる。ふわと小さな欠伸をし、膝を丸めて五年ぶりの家のぬくもりを震えながら感じていた。


 沼の匂いが立ち込める街には、薄い霧が漂っていた。

 苔に覆われた家々、藻が生え、ぬめり気を帯びたまま動かない噴水。いつまでも乾かない水たまりが、石畳にしがみついている。

 閑散とする街は死角が多く、影の中で移動さえしていれば誰にも気づかれなかった。昨夜は何やら風の魔物が現れたとかで大騒ぎになっていて煩かったが、夜明けには静かになった。

 明るくなる前にネロルは移動し、大通りの路地裏に潜んでいた。遠慮無しに鳴く腹の虫は、公共の井戸場から汲んできた革の水筒を流し込み黙らせている。


 ここまですれ違った老人二人と子供一人に祝福を施した。本来なら願望を聞き、それに適した祝福を付与をしなければ失敗するが、この日のための経験を積んできた。大いにネロルの役に立った。人は概ね、快楽に関する欲望には忠実で、一切の差別もなく統一されているのでそこを刺激する内容にすればほぼ成功する。


 老人は途端に元気になり意気揚々と家に戻って行ったが、もう一人の方、子供への祝福付与は失敗した。


「そりゃそうです。子供なんて、汚れた大人の世界なんて知らねえんですから」

「お兄さん? ここで何してるの?」


 ネロルの隣に先ほどの子供、少女もしゃがみ込んでいた。


「……あしの後ろを取るとはおみそれしやした。お嬢さん」

「あはは! 変な喋り方! どこかの外国の人?」

「へえ、その通りです。フラフラ旅をしている流れ者です」


 ぎゅるぎゅるとお腹が鳴る。


「良かったらこれどうぞ。旅の方!」


 少女は笑みを浮かべながら、抱えていたバスケットからカチカチのパンをネロルに差し出す。少女の指はささくれやひび割れでボロボロで炎症も起こしているのか全体的に赤かった。身なりもネロルに負けず劣らずの貧相ぶりだ。ただ、薄いブロンドの髪だけは高級感が漂っていてまるで穂波のように風に揺れている。


「あしにこんな施しを……いいのです? 遠慮なくいただいちやすぜ」

「うん! それにお兄さんすっごく臭いよ! ロロの家でお風呂に入る?」


 フードを少し上げ、ネロルは少女の顔を見る。疑いを知らない純真無垢な瞳に触れるとすぐにフードで遮りパンに噛り付いた。


「ありがたいお話でやすが、あしみたいなみすぼらしい浮浪者に優しくしちゃあいけやせんぜ。親切心は素晴らしいことですが、仇で返す輩も多く存在しやすから。特に、あしみたいなのには声をかけちゃあいけねえです。あしだって、実はとんだ悪者だったりするかもしりゃあせんぜ」

「あのお爺ちゃんたちを元気にしたんだもん、お兄さんは悪者じゃないよ」


 ネロルはぎょっとした。慌てて少女の口を押える。誰かに聞かれてないかと見回すが幸い人はおらず「はあ」とため息を漏らした。口に手を触れた瞬間、ネロルも理解した。手のひらから少女に流れる力が伝わってくる。


「……お言葉に甘えさせていただきやす。ただ、あしのこのことはくれぐれも内密にお願いしやすよ」

「うん! ロロは、ロロルイ! お兄さんのお名前は?」

「あしは、……アンナと申しやす」 


 ロロルイ。少女の名は、この街に訪れた聖女の名前と同じだった。



 少女は足が不自由だというお爺さんと二人暮らしだった。家は老朽化が激しく、木造の壁も床も所々が腐っておりネズミの足跡が模様のようになっている。ネロルは家の裏の雑草が生い茂る小さな庭に案内される。大き目な桶には水が張られていて、少女から使い古した布を渡される。


「お洋服、ロロが洗ってくるから脱いで脱いで!」

「いやあ、あし、人様の前で脱ぐのはどうにも苦手でして、服はこのままで結構でやす。ありがたく体の汚れだけ落とさせていただきやす」


 少女が居なくなったことを確認すると、ネロルはずっしりと重いローブを脱いで近くの枝に掛ける。内ポケットが多くはネロルの小道具などで膨れ上がっている。革のロングブーツを脱ぐと素足が現れると、ネロルの細身で華奢な体を隠すのは、よれよれのチュニック一枚だけだ。


 木の格子の向こうからブロンドの髪と興味津々に目を輝かせた少女の顔が見え隠れしている。一部始終観察するつもりなのだろう。ネロルは肩をすくめると、チュニックの裾を捲り上げ、桶の水を頭から被った。


「それに綺麗な金色の髪!」

「お嬢さんのと比べたら、あしのなんでボサボサで艶なんてありゃしやせんがね」

「真っ白い肌も妖精さんみたい!」

「こんな醜くてただれた皮膚が妖精さんですかい」


 濡れた布が肌に張り付き、隠していた体のラインと火傷の痕が浮き彫りになる。滴る水は茶色く濁っていた。


「アンナ。それ重くない?」

「重い? ああ、沢山詰め込んでやすからね、このローブは」

「違うよ。アンナの肌の跡のことだよ。すごく熱くて重い鎖が見えるよ。ロロの【解放】で解いてあげようか? そうすればきっと楽になれるよ」


 解放。とんでもない言葉が出てきたもんだとネロルは僅かに顔をしかめた。真実なら、解放スキルを所持したロロルイは聖女に次いで世界で二人目となる。


「その力は、この街の人たちは知ってるんで?」

「うん。ロロは来月の贄になるんだ。聖女様から預かった力を返そうとしてるの。そうすれば、聖女様からお許しがでて街は繁栄していくんだよ」

「……なんとも胡散臭い話で」


 ネロルは細い腕で力いっぱいギュッと布を絞り、髪の汚れを落としていく。


「うん。聖女様はそんなこと望んでない。だからね、ロロの力でこの街を解放してあげるんだ。ロロが贄になるとき私ごと解放してこの街を包んであげるの。そうしたら、もうこんなことやらずに街の人たちはみんな仲良く過ごしていける。これは聖女の生まれ変わりであるロロの役目なんだ」


(聖女の生まれ変わり……? それはあしです。あなたじゃありやせん)


「そうだ、ねえアンナ! もし泊るところがないならここに泊ってよ! ロロ、アンナの力のこととか色々聞きたいし!」


 ロロルイの提案に考える素振りをするがネロルの中では既に返事は決まっていた。


「ではお言葉に甘えて」


 軽々しく聖女の生まれ変わりなどと口に出した時点で敵対心を抱いていた。近くに入れるならネロルにとって好都合でしかない。痙攣するようなネロルの愛想笑いの裏に、殺意に似た感情が芽生えていた。

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