第51話 ゴーレム 其の十 朝日が昇る
渕上を鈴掛と思い込んでいた湯口は、取調室で米田刑事から明かされると、しばらく口を開けて呆然とした。そして、渕上と大樹の会話を聞かされた湯口は、口を閉ざす意味はないと悟り、「すべて渕上の命令だった」と自供を始めた。
以下は、渕上と湯口の供述を基に、福光夫妻殺害事件から始まる一連の事件の概要である。
首都大学医学部に入学した淵上は、学業成績は優秀だった。しかし、医師国家試験は二度落ち、三度目にようやく合格した。その後、首都圏で渕上を研修医に採用してくれる病院はなく、仕方なく同大学では希望者が少ない法医学研究室の助手になった。
やはり、渕上の人間性に疑問が持たれ、生身の人間への接触が懸念されたのだ。
二十六歳のとき淵上は湯口と場末の飲み屋で再会する。湯口は、東京池袋を根城にするハングレグループの構成員だった。以後、湯口は渕上を鈴掛と勘違いしたまま、命じられるままに動くゴーレムになっていく。
湯口は金の亡者だが、渕上はさらに地位と名声を渇望していた。
渕上は自分の出世の妨げになりそうな同僚や上司を、湯口を使って違法薬物を送り付けたり、家出少女を使って
また、渕上は、湯口が所属するハングレ組織の幹部らの悪事を諸畑に密告して逮捕させる。湯口を組織のトップまで押し上げて利用価値を上げた。
ここまでが彼らが二十九歳のときまでに成し遂げたことである。
渕上は地位と大金を得る手段として、利用できそうな研究報告を探した。
そして、目に留まったのは、科学雑誌に掲載された福光夫妻の医薬品に関する共同論文だった。成分を改変すれば、新しい合成麻薬が作れる可能性があり、遺体の血液鑑定で死因特定に応用でき、一挙両得と考えた。
渕上は湯口を介し大樹の父親に、多額の報酬を示して合成方法の提供を求めた。だが、偏った社会経験しかない渕上の大きな勘違いだった。世の中、渕上や湯口のように、金銭で悪事に手を染める者は極少ない。直ぐに意図を見抜かれた。しかも、告発される危険性が高い。
渕上は福光一家の抹殺を、逆らえば組織を壊滅させると脅し湯口に命じた。
湯口は信用できる仲間の村田と日系ブラジル人のヤマモトを加えて実行に移した。湯口と村田とヤマモトは福光一家の寝込みを襲った。大樹を抱えたヤマモトの姿に、夫妻は身動きが取れず、そこへ村田が背後から頸動脈を切りつけて殺害した。
だが、大樹を殺害する役目のヤマモトは、いざとなると大声で泣き叫んだ。近隣住民が騒ぎ出し、湯口と村田は車で逃げ出し、ヤマモトは大樹を残して逃走した。
大樹の記憶に残った映像は、鏡に映る”自分を抱えるナイフを持ったヤマモト”だった。
路上を走って逃げるヤマモトは、村田の運転する車に引っ掻けられて転倒、右半身打撲と脳しんとうを負った。湯口と村田は、出来るだけ現場を離れるため村田を圏央道でつくば市まで運んで殺害した。
その後、湯口と村田は、大樹に警察が接触しないか交替で二年もの間、監視を続けた。
だが、伯母の保護下、徐々に元気を取り戻す大樹に危機感を抱く。そこで、傘下の闇金融に、多額の負債を抱える
一方、当時警視に昇格していた諸畑は、渕上に隠蔽を強要され、強く希望して福光夫妻殺害事件の管理官になった。捜査方針を”居直り強盗”へ誘導し、事件捜査は膠着。徐々に捜査本部は縮小され、諸畑は管理官を外れた。
その後、山口が交通刑務所で自殺したことを持って、淵上は大樹の殺害を留保した。
十五年の歳月が流れ、渕上は例よってライバルを貶め、准教授になり、昨年、退官が近い教授の後任候補にまで上り詰める。教授になった後は、蓄財を選挙資金にして都議会議員に立候補の予定で、さらに国政を狙っていた。
諸畑は、湯口から競合する反社組織の情報を得て、次々に壊滅させて実績を積む。加えて、立ち回りの巧みさから警視長に昇格し、行動分析課の課長になった。
湯口は、諸畑への密告の引き換えに組織の安寧を得る。そして、渕上が福光夫妻の論文を元にどうにか開発した合成麻薬を海外生産し、ダークウェブで販売して大儲。渕上に儲けの六割を渡すも、左うちわで贅沢三昧。
すべてが順調…… しかし、大樹が記憶を取り戻し、ヤマモトの似顔絵を描いたことで事態は急変した。
渕上は大樹の拉致を目論む。監視のうえ拉致可能な場所と時刻を割り出す為、湯口の指示の下、新入りの杉浦が中心となって見張り、古参の村田も時折加わった。
しかし、杉浦が由衣に懸想して逮捕され、さらにヤマモトの似顔絵が公開されて警察の警備が強化されると、渕上は一旦拉致を断念。口封じのため杉浦の殺害を湯口に命じ、村田が実行した。捜査が村田に及ぶと、長年尽くしてきた村田を渕上は迷いなく切り捨て、湯口に自殺偽装での殺害を命じた。
事件隠蔽を求められた諸畑は、部下の遠藤を管理官に推した。上には媚びへつらうのが性分の遠藤は、諸畑の意向通り”村田単独犯”で片づけようとした。だが、康太の仕掛けた罠にかかり、特別監査が実施されることになった。
遠藤の口封じを決意した渕上は、諸畑と湯口に殺害方法を伝授した。
湯口はフッ化水素をダークウェブで購入し、遠隔操作式の噴射装置を車両の荷室に設置。諸畑は「重大な相談がある」と深夜に遠藤を呼び出し、人稀な公園脇で車を停めて「トイレに行く」と偽り、遠藤を車内に残してロックをかけて立ち去る。湯口が遠隔操作でフッ化水素を噴射して遠藤を殺害し、死体を多摩川河川敷へ遺棄した。
しかし、大樹が殺害方法を見抜き、湯口にも捜査が及んでいると諸畑から聞いた渕上は、再び大樹の拉致を決断する。だが湯口に実行させた拉致は失敗し、湯口は逮捕された。大樹を山越えさせ、車で待つ渕上らが受け取り、フッ化水素で殺害の予定だった。
以上が、渕上が大樹を標本室に誘い出して殺害しようとするまでの経緯である。
渕上が大樹の拉致にこだわったのは、彼の猟奇的な収集癖のせいだ。鈴掛氏の骨格標本のほか、司法解剖で私的に収集した各種臓器、脳、眼球、鼻、耳、生殖器などが多数あった。いずれも渕上が(美しい)と感じたものだった。
三月も残り少ない。昼前、大樹の自宅アパートに名和健志郎が訪れた。
由衣と大樹を前にして、健志郎が言いにくそうに口を開いた。
「実はね。渕上の国選弁護人に選出されちまった。誰がやっても極刑は免れまいが、僕としては絶対やりたくない」
「えっ!」
由衣と大樹はあっけに取られて開いた口が塞がらない。
「で、困っていると、先週、妻の知り合いの長谷川という弁護士が、事務所に尋ねて来た。渕上の弁護をやりたいという。これ幸いと引き受けてもらったよ」
「ふうぅぅー」
由衣と大樹は顔を見合わせて大きく息を吐いた。
「良かったー! 大樹とあたしは、検事から証人要請されているんです。でも先生、なぜ話してくれたんですか? 黙っていたってよかったのに」
「あとで気になって長谷川弁護士のこと、いろいろ調べたんだ。そしたら……」
「そしたら?」
「……済まない。やはり今は言えない…… 久しぶりに醤油ラーメン食べたくなった。一緒に行かないか? おごるよ」
渕上が拘留されている東京拘置所に、長谷川弁護士が面会に訪れた。
「これで、あなたの身体は医学の発展に貢献きますね」
長谷川弁護士が、渕上が署名した献体同意書を受け取りながら笑みをこぼすと、渕上は首を捻った。
「どうでもいいが、俺はいたって健康だ。あと何十年も経って老衰した身体なんか、何の役に立つんだ?」
「あなた、心神喪失で医療施設に収容されるって本気で思ってるの? あなたは間違いなく死刑よ」
「なっ、なに言ってんだ! 心神喪失に持っていけるって言ったろ!? だから献体に同意したんだ!」
「ウソに決まっているでしょ! 今、明かすわ。あたしの元の姓は鈴掛」
「えっ!」
「あたし、鈴掛の妹よ。成人して両親から聞いたの。(あなたは養子で、十歳上の兄がいる)って。妹ってことは伏せてあんたに会いに行った。覚えてないの? あんた、助手や学生を小突いたり暴言吐いたりして、あたしを見るとイヤらしい目付きをして近づいてきた。信じられなかった。あんなのが実の兄だなんて。二度と会わないって決めたわ」
渕上は顔を引きつらせ、言葉を失った。
明美の爛々と輝く瞳から放たれた光が、震えが走る渕上の顔面に降り注いだ。
「兄が殺された後、あんたに背乗りされた上に標本にされたって、高見沢って刑事から聞いた。同じ目に合わせてやろうと思った。で、あんたの弁護を申し出たの」
「もも、もういい、やめろ!」
長谷川弁護士はニッと白い歯を見せる。
「あんたの昔の写真見たわよ。酷い顔だったのね。やぶ医者の整形は、定期的にメンテしないとどんどん崩れるんですって?」
「ふふ、ふざけたこと抜かすなっ!」
「あんたよく通ってたみたいだけど。目の下のたるみが目立つから、そろそろ行かないとダメね。標本になる頃は、あちこち崩れた泥人形みたいになるわね。アハハハハ」
「おお、お前を解任するー!」
長谷川弁護士は献体同意書をかかげた。
「どうぞご自由に。あたしは、これが手に入ればいいの。あんたがいた研究室の教授が受け入れるって。あと、別の研究室があんたの脳が欲しいってさ」
「けけ、献体はやめだ! そそ、それ返せ!」
「一応、伝えておく。あんたの脳を使って実験するとき、意識があるんだって。五感全部感知できるから、あれこれ刺激与えてデータ取るそうよ。高所から転落死するとか、焼け死ぬとか、いろんなシュミレーションするって。死を迎えるときの脳神経系の状態なんて今までデータ取れなかったからね。極限の恐怖や激痛を体験するだけで、脳死するんじゃないから安心して。良かったじゃない。脳は寿命以上に生きるんだから」
「かかか、返せぇぇぇー!」
渕上は強化ガラスを何度も叩き、刑務官に拘束されて面会室から連れ出された。
彼女が最後に言った「あんたの脳を使って実験……」は、”口から出任せ”だ。現在の医療技術では無理がある。
だが、淵上は医学部の准教授だったとはいえ、専門は生きた人間は対象外の法医学。しかも人を陥れ、繰ることばかりにかまけ、最新の医学知識に乏しい。
淵上は、最後まで恐怖に震えることになろう。
一連の事件の収束を経て、康太・眞美夫妻は先延ばしにしていた新婚旅行へ旅立った。スペイン、南仏、イタリアと南欧を巡り、帰庁するときには、康太は正式に警視へ昇格し、管理官に任命される。
埼玉県警の米田刑事は警部に、青山刑事は巡査部長に、滝口巡査は巡査長に、警視庁の山県刑事は警部に、柿崎刑事は巡査部長にそれぞれ昇格が決まった。
由衣と大樹は北海道帯広市の伯父の家に向かい、大樹の両親と伯母の墓参りに行く。上田美穂と橋田和也も同行し、春休みの終わりまで滞在する。
福光家には祖父母、伯父夫婦、農家に嫁いだ長女一家、後継ぎの長男一家、そこへ大樹ら四人が加わり、計十五名が集った。当然、その夜は大宴会となった。
「お前、散々心配かけて。そっちへ行こうとすると、こいつらが止めたんだ」
大樹に顔を向けた伯父・健一が一同を見回すと、伯父の妻・百合子が吹き出した。
「ブッ! あんたが行ったって役に立たないどころか、迷惑かけるだけじゃない」
「まあ、一杯やれ」
誤魔化すように健一が徳利を大樹に差し出すと、息子の光一が横から猪口を突っ込む。
「オヤジ、まだ大ちゃんは十九だぞ」
「一杯ぐらいいいだろ」
「お酒は苦手です」
大樹が頭を少し下げると、由衣が笑みをこぼした。
「ワイン少しなら大丈夫ですよ」
「そうか!」
健一が嬉しそうにグラスへワインを注ぎ、百合子は由衣へ注ぐ。
美穂と和也は心配そうに見守ったが、二人は互いに注ぎ合い、ほどなく目が据わってきた。
「おい、天然小僧、いい加減本性出せ! ほんとはエッチなくせに」
「だから天然小僧は止めろって! エッチなのは由衣の方だろ」
突然、言い合いを始める二人に、皆がポカーンと口を開けて眺めた。
美穂と和也は同時にため息をつく。以前、和也の家でワインを飲んだときと同じ展開だった。
「はあー、やっぱりこうなると思ったわ」
「うーん、止めればよかったなー。二人とも酒が入るとタガが外れるんだ」
健一が大笑いした。
「ワハハハハ、そういうことかい! お似合いだ。よかったよかった」
光一は徳利とワインを手に、美穂と和也へ笑顔を向けた。
「君らもタガを外しなよ。どっちにする?」
このあと、しばらく賑やかな宴が続いた。
翌日は大樹の両親の命日、福光家の家族と由衣達は墓地に向かった。
夜明けの光が雪の牧草地を薄い金色に染め、吐く息がきらめく。垣根に囲まれた墓所の一角、福光家の墓前に十五人が並んだ。墓碑には両親と伯母の名。供えられた赤・黄・青・白の花の上、線香の煙が朝日に照らされ、金の糸のように揺れている。
中央に立つ大樹は手を合わせ、静かに息を吸って吐く。
「犯人は捕まりました。これからは、前を向きます」
隣で由衣が呟く。
「大樹は、もうずっと前を向いてるから。これからも一緒にね」
大樹はわずかに笑みを浮かべ、目尻の涙を指で拭った。
風が雪面をかすめ、線香の煙が二人の頭上を通り、ゆっくり空へ溶けていく。一同が手を合わせた。
正面にはエゾ松、トド松の樹林、向こうに日高山脈の峰々が連なり、最高峰・
サヴァン君の事件記録 了
サヴァン君の事件記録 カンタロウ @ysmt17937621
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