第48話 ゴーレム 其の七 拉致

 埼玉県警の科捜研で、例の盗難車で使用されたものと同型のホースを使い、指紋の付き方の実験が行われた。大樹の指摘どおり、指を押し付けた場合と握った場合では、指紋の形状が異なった。村田の指紋は前者の特徴を示し、村田は他殺を自殺に偽装されたとの結論が出た。

 茨城県警の捜査員らは、複顔写真と検出されたDNAをもとに、行方不明者データベースとの照合を行い、さらに入国管理局の協力で入国者顔写真データベースとも照合した。結果、一致する人物が見つかった。

 姓名は、ジョアン・ヤマモト・リマ、日系ブラジル人でだった。二十二歳のときに入国、神奈川県内の鉄工所で半年働いて失跡、二年後、十六年前の福光夫妻殺害に関与、その翌日に殺害されたと見られた。

 捜査本部は、直ちに村田の周辺の洗い出しと、ヤマモトの来日当時の鉄工所関係者の聞き込みと、失跡後の足取りを追った。


 遠藤警視死体遺棄事件の現場写真を見て貰う為、米田刑事と柿崎刑事が大樹を車で迎えに来た。ご多分に漏れず由衣も強引に同乗した。

 首都大学法医学教室の研究室、康太、山県刑事、柿崎刑事、所属する助教授と助手が見守る中、検視官がパソコンに写真を映し出した。

 由衣は一目で顔を背け、大樹は数十枚もの写真を平然と眺め、一枚の写真に目を留めた。

「遺体を見せてもらうことはできますか?」

「ダメ! 臭いが移る」

 由衣が慌てて止めようとするが、柿崎刑事は頷いた。

「はい、見ていただきます。そのつもりでした」

 大樹が、康太、山県刑事、柿崎刑事、検視官、助教授と一緒に部屋を出て行った後、助手の若い女性が由衣に声を掛けた。

「教授も准教授も、今日は用事があるって外出しちゃったのよ」

「彼が、もし何か見つけてしまったらってことでしょうか?」

「そう、恥かくからね。で、そのサヴァンの彼氏ってどう?」

「サヴァンかどうこうって前に、天然なんです」

「クスッ、そんな気がしてた。でも、純粋ってことよね」

「はい、ちょっと疲れるけど楽しいです」


 大樹は、遠藤の遺体の頬のあたりを見詰めた。

「死斑にしては色が薄く、まだら模様です。あと、彼の衣服を見せてください」

 助教授が遠藤の衣服を持って来ると、大樹は袖口の辺りに視線を止めた。

「白い粉がわずかにあります」

 助教授と検視官が、立て続けに声を張り上げた。

「フッ化物か!」

「フッ化水素、吸わされたんだ!」

 山県刑事は口を開けたまま動けず、柿崎刑事は康太に顔を向けた。

「凄いですね。医学部と言ってもまだ一年なのに」

「妹によると、図書室によくこもっているそうだ。論文など丸ごと記憶しちまうんだな」

 翌日、法医学教室から訂正された司法解剖結果の報告書が提出された。死因はフッ化水素吸入による低カルシウム血症を伴う心室細動であった。


 遠藤の服の袖口から採取したフッ化物の科捜研による解析結果が出た。

 千代田中央署の一室、一課長、康太、山県刑事、柿崎刑事、他六名の捜査員が並ぶ前で、科捜研の担当者が淡々と説明した。

「依頼されたフッ化物を解析した結果、国内メーカーの在庫サンプルに近い系統ではありました。ただし高純度製品で不純物は極微量、統計的に有意な一致ではありませんでした。加えて、この系統のものを製造するメーカーは国内にあと二社あります。さらに採取時と解析までの時間差、被服に残る汚れの混入、洗濯痕が信頼性を著しく低下させています」

「何を言っとるか分からん」

 山県刑事が口を尖らせ、柿崎刑事はため息を吐いた。

「はあ…… 要するに、福光さんが見つけた白い粉の出どころは不明ってことですね」

「じゃあ、犯人までたどり着けねえじゃねえか」

 ざわつく会議室の中、康太が声を上げた。

「補足します。被害者から採取したフッ化物は、高純度ではありますが汚れが混入しており、メーカーは特定できず追跡は困難、ということです」

 一課長が口を開いた。

「残念な結果になった。ただし、この件を知るには、この場の者と刑事部長など一部に限る。くれぐれも口外しないように」

 康太の助言で、他に内通者いると一課長は判断したのである。


 翌朝、寛太の予防注射のため、由衣と大樹は動物病院に向かって歩いていた。大樹が抱えるキャリーバックから寛太のニャーニャーと鳴く声が聞こえる。大嫌いな動物病院に連れてゆかれるのが分かっているのだ。

 由衣が隙間から寛太の背を撫でながら声を洩らす。

「大樹がまた見つけたそうね。裏切り者の死因は何だったの?」

「フッ化水素の吸入」

「ふーん …… そこから犯人追跡できるの?」

「汚れなんかが混じっているだろうから、あまり期待できない …… あっ、逃げて!」

 大樹が突然、由衣の肩に自分の肩をぶつけた。

 横に止まったワゴン車から黒づくめの二人の男が降り、両脇から大樹を抱え上げた。キャリーバッグが歩道に転がって扉が開き、大樹はそのまま車に押し込まれる。キャリーバッグから飛び出した寛太も後を追って飛び込み、車はドアを開けたまま急発進して立ち去った。

 あっという間の出来事に由衣は呆然と座り込んだ。車のナンバーは見ていない。やがて我に返り、携帯を取り出した。


 大宮警察署の由衣と康太が待つ一室に青山刑事が飛び込んで来た。

「GPS発信器の信号を捕えました。場所は秩父群」

 由衣が泣き腫らした顔を上げた。

「お兄ちゃん!」

「よし、すぐ行くぞ!」


 警察車両の中で画面を眺めている青山刑事が首を捻った。

「何か変です。福光さん、動き回っているようなんです」

 由衣の目が大きく開いた。

「無事ってことですよね?」

「そうですね」

 米田刑事が口を挟んだ。

「まだ車に乗っているんじゃねえのか?」

 青山刑事が首を振った。

「いや、十五秒おきに信号が届いているんですが、移動距離が歩く速さ程度なんです」

「広い部屋に監禁されている?」

「違います。半径二百メートルほどの地域を動き回っています」

 康太が声を上げた。

「ともかく、そこへ急げ」

 SITの隊員を乗せた大型車と警察犬係の車両を含む八台の警察車両は、動く発信源のほぼ中心に向かった。だが、到着する前にGPS発信器からの信号は途絶えてしまった。

 由衣は泣き崩れ、青山刑事が声を掛けた。

「大丈夫、きっと電池が切れたんです」

 そこは埼玉県秩父郡両神山のふもと、廃屋となった平屋の別荘で、大樹を拉致したワゴン車があった。


 赤外線カメラで人の姿が確認され、SITの隊員が廃屋を取り囲んだ。四か所の窓ガラスを同時に割って閃光弾を放り込む。

 隊員らは打ち破ったドアと窓から一斉に踏み込んだ。程なく二人の男がSITの隊員に両脇を拘束されて廃屋から出てきた。だが、大樹の姿は無かった。

 由衣が康太に抱えられて車両を降りると、森の中からニャーニャーと猫の鳴き声が聞こえ、寛太が由衣に走り寄ってまとわり着いた。


「GPSの信号がまた届きました」

 青山刑事が車両の窓から大声を上げ、流れ落ちる涙を拭いもせずに寛太を抱いていた由衣が目を輝かせた。

「発信源は?」

 康太が声を張り上げる。

「ここから二キロほど先です」

 受信機を抱えた青山刑事が車両から降りる。

「こっちです」

 SITの隊員に取り囲まれ、康太、由衣、米田刑事、青山刑事らは発信源に向かった。

「もうすぐです」

 青山刑事が声を上げると、由衣が指刺して叫んだ。

「あっ! あそこ」

 笹の葉が揺れ、男の唸り声が聞こえる。

 駆け出そうとする由衣を康太が制し、SITの隊員達がアサルトライフルを構えながら近づいた。笹薮の中、大樹が縄で縛られた両手で、腕ひしぎ十字固めで目出し帽を被った男を押さえつけていた。


 SITの隊員二人が男を拘束し、青山刑事が大樹の手首の紐を解くと、由衣は抱き着いた。

 大樹は、由衣の肩越しに指を差し、康太に顔を向けた。

「さっきの爆発音で、男二人があっちの方に逃げました」

 SITのリーダーが康太に声を掛けた。

「二人残して我々は奴らを追います」

「了解した。もう少し待てば警察犬係が到着するが?」

 一組の警察犬と警察犬係と共に、三猿事件で活躍したレオに引かれ、滝口巡査が息せき切って現れた。

「追跡準備完了しています」

「あっ! レオちゃん」

 由衣が弾んだ声を上げると、レオがワンと一声上げ、大樹は笑みをこぼす。

 レオと滝口巡査他、警察犬と警察犬係の先導で、SITはその場を後にした。


 青山刑事が男に手錠をかけ、米田刑事が目出し帽をはぎ取ると、大樹が声を上げた。

「あっ! 僕と杉浦を見ていた男です」

「やった!」

 米田刑事と青山刑事が破顔し、康太が何度も頷いた。

「これで一連の事件が繋がる」

「あたし、動物病院が近かったから米田さん達へ連絡しませんでした。ごめんなさい」

 由衣が涙をこぼしながら謝ると、大樹は首を振った。

「僕も連絡するの忘れました。ご心配かけてすみません」

「俺もだ。(村田の周辺を洗った結果、容疑者が特定できそうだ〉と、ウソの情報を流した。何らかのリアクションを起こすと考えたのだが、ここまでは予想できなかった。済まない」

 康太が頭を下げると。米田刑事が手を細かく振った。

「いやいやいや、我々も連絡ミスで、お二人の監視体制に隙を作ってしまった。たいへん申し訳ない」

「私もつい……」

 青山刑事が頭を下げると、大樹が大声で割り込んだ。

「青山さん、済みません! 痒くてたまらないんです」

 大樹はズボンの中から発信機を取り出して青山刑事に手渡した。

「どこにしまっていたの?」と由衣が質す。

「オチンチンに輪ゴムで留めていました」

「ええぇぇぇー!」

 大樹を取り囲む全員が同時にのけ反り、続いて脱力した。

「はあぁぁぁー」

「触られても気づかれないようにオチンチンの裏側に発信器を…… ウプッ」

 由衣は大樹の口を塞いだ。

「今ここで、そんなこと詳しく説明しなくていいから」


 大樹は青山刑事から受け取ったGPS発信器を、外出時は必ずパンツの中に入れた。さらに検知器に探知されないようにアルミ箔で包んだ。

 拉致直後に大樹は携帯を奪われ、検知器で発信機をチェックされた。廃屋に到着してトイレに行かせてもらった大樹は、着いて来た寛太と一緒に入った。そして、裸にされたときに備え、発信器を寛太の首輪に着けて窓の格子から逃がす。

 廃屋から出発する直前、大樹は再びトイレに行かせてもらい、外でときどき鳴いている寛太を呼んだ。寛太の首輪から発信機を外し、アルミ箔に包んでまたパンツの中に隠した。

 男二人を残し、三人の男は大樹の手を縛って廃屋を後にした。

 やがて廃屋の方から爆発音が聞こえたとき、大樹は「SITが来た。お前ら撃ち殺されるよ」と声を上げた。

 男らが逃げ出すと、拘束された両手をズボンに突っ込んで発信機を包むアルミ箔を外した。かくして信号が再び放たれる。

 大樹は、逃げ遅れた男に、後ろからふくらはぎを激しく蹴って仰向けに転ばせ、素早く両脚を胸にかけ、縛られた両手にもかかわらず片手を取って腕ひしぎ十字固めを決めた。

 警察犬の活躍により、SITの隊員らが逃走した二人の男を、当日の日暮れ前に捕えた。

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