第41話 われても末に 其の五 初雪

 柏原瑛太の意識が戻った。 

 瑛太は手首、かかと、足首等四肢骨折、肋骨骨折、脊椎圧迫骨折、肝臓・脾臓損傷、脳震盪のうしんとうと、一時は、生きているのが不思議なほど深刻な状態だった。だが、その後、驚異的な回復を示し、数か月のリハビリで完全に社会復帰できる見込みになった。一旦植え込みに転落、バウンドして道路に投げ出された。柔道三段で反射的に受け身をした。以上が幸いした。


 康史、拓斗、由衣と大樹が囲む中、介護ベッドで上半身を起こされ、康史から成り行きを聞いた瑛太は、笑みをこぼした。

「みんな、ありがとう」

 瑛太は一人づつ、最後に大樹に目線を注いだ。

「僕が予想した通り、みんな動いてくれた。特に大樹君……」

 引き戸が動く物音がして、瑛太は暫時口をつぐむ。

「みんなに話さなければならないことがある……」

 瑛太の元彼女、江川澪えがわみおが飛び込んで来た。

 一瞥して、瑛大は再び口を開いた。

「クスリを飲んだのは、僕の意思だ」

「えぇぇぇぇぇー!」

 驚きの声が病室に響き渡り、「何かありましたか?」と叫びながら看護師が顔を覗かせた。


 瑛大はよどみなく話を続けた。覚醒したばかりとは信じ難い。

「ふた月前、更地になった浅田家の敷地にニヤニヤしながら立っている瀬尾を見た。瀬尾とは倉庫バイトで一緒になった。瀬尾の足元の地面が濡れていた。奴は立ちションをしてた。犯人はこいつだと思った。絶対償いをさせてやる」

 一同、息を飲んで声が出ない。

「警察に話しても取り合ってくれないだろう。瀬尾がクスリの売人だとバイト仲間の噂を耳にしていた。逮捕させれば突破口が開ける。瀬尾に声をかけて、新橋で金と引き換えにクスリを受け取った。だが、ここで通報してもあの事件までたどり着けまい。大樹君の力を康史から聞いていたので利用させてもらおう。ジャジャが大好きって聞いていたから、会場への通路が見渡せるカフェで大樹君と由衣さんを待った」

「瀬尾を待っていたんじゃなかったのね?」

 拓斗の問いに瑛太は頷いた。

「そう、奴が来るわけがない。そろそろ帰宅する時刻、遠くに大樹君と由衣さんの姿が見えた。写真は見ているし、二人はすぐに分かった。コップの水にクスリを混ぜ、伝えるべき言葉、(瀬尾隼人はクスリの売人、浅田一家殺害事件の犯人)と復唱して飲んだ。カフェを出てフラフラになりながら大樹君達の後を追い、歩行者デッキで前に立った。そこから先は覚えてない。けど、ちゃんと伝わったんだね」

「はあぁぁぁー」と皆が長い溜息を吐いた。 


 瑛太は改めで一同を見回し、頭を下げた。

「守るべき彼女はもういない。これからは世のために尽くそう。迷いは無かった。目論見通り瀬尾の犯行が突き止められた。皆のおかげだ。感謝にたえない」

 澪が金切り声を上げた。

「バカァァァー! あなた、いつもそう。勝手に決めて勝手に行動する。(別れましょ)って、そんなあなたに反省してもらうための軽い冗談だったのに、本気にして。”守るべき彼女はもういない”なんて酷い!」

「えっ! そうだったの? ボク達、別れなくてよいの?」

「もうっ! この唐変木!」

 澪は瑛太の肩を撫でるように二度叩き、瑛太は澪のこめかみにそっと触れる。見詰め合う二人の頬にスーッと涙が流れ落ちた。

 康史、拓斗、由衣が、満面の笑みを浮かべて二人の様子を眺めていると、大樹が真顔で口を開いた。

「あのですね。柏原さんが口にされた言葉は、”瀬尾隼人うんぬん”じゃなくて、”オチンコ”…… アイテテテテ」

 由衣が大樹の頬を思いっ切りつねる。

「少しは空気を読めっ! この天然小僧!」

 この後、瑛太は警察に罪を告白する意向を示した。


 翌日、大樹から連絡を受けた名和弁護士が柏原瑛太の病室を訪れた。

「反社組織壊滅と奥多摩一家四人殺害事件解決の協力、薬物依存はなく初犯、以上、明記した意見書を検察に提出する。医師の診断書を添えて自首扱いにしてもらう。不起訴は確実だ」と、康史、拓斗、鈴、由衣と大樹、家族が立ち会う中、名和弁護士は明言した。


 その週末の夕食前、高見沢家のダイニングに家族と大樹が揃った。

「犯人が捕まったそうだな。どんな奴だ?」

 宗一が康太に尋ねる。

「実力はないのにプライドだけ高い男です。瀬尾のようなタイプが凶悪事件を起こす例は多い」

 康史が顔を向けた。

「兄貴、暇さえあれば過去の事件資料読んでんだろ?」

「最近は暇がないけどな」

「エッチな犯罪をするのは、どういう人? ただのエッチじゃないよね?」

 キッチンのカウンター越しに由衣が口を挟むと、美代子がキッと睨んだ。

「くだらないこと言ってんじゃないの。ところであんた、卵焼きに何入れたの? 変な味」

 一切れ食べた眞美も頷く。

「ほんと! なんか生臭い」

「ウソー! じゃあ、食べさせてみる。大樹、こっち来て」

 由衣は卵焼きを一切れ箸でつまみ、大樹の口に運んだ。

 一口含んだ大樹は、ハッと息を飲む。

「どうしたの?」

「これ、母の味にどこか似ている。臭いけど」

「えっ! あんた何入れたの?」

 目を丸くした美代子が由衣を見詰める。

「ん…… 忘れた」

 一瞬、由衣の瞳が左に揺れた。その先にはネコ缶があった。

 眞美が目を細める。

「由衣ちゃん、寛太のゴハンをツナ缶と間違えたでしょ?」

「えへへ、バレちゃった」

「えぇぇぇぇぇー!」

 皆が一斉にのけ反る。

「これ、血合いの臭みね」

 ネコ缶を嗅いだ美代子の言葉に、由衣と眞美が続けて反応した。

「冷蔵庫にブリの切り身あったわ。血合いを取って混ぜれば」

「臭みを消すにはー……」

「パクチーを刻んで入れなさい。トリガラスープの素も」

 美代子の指示の元、眞美と由衣がキャッキャッと騒ぎながら、あっという間に卵焼きを作り上げた。


 一同が固唾を飲んで見守る中、大樹が、目の前に置かれた卵焼きを一切れ口に含む。窓の外には、ちらちらと初雪が舞い始め、大騒ぎの余韻が残る食卓に静寂が訪れた。

 窓の外で舞う初雪を見詰めながら、大樹の表情が固まる。手が小さく震え、瞳孔が雪に吸い寄せられるように開いた。

「母の卵焼き…… あの日も雪が……」

 かすれた声に、皆が息を呑んだ。

 大樹は立ち上がると、出窓にあったメモ帳と鉛筆を取った。手を走らせるたびに呼吸が荒くなる。鉛筆の芯が折れそうな勢いで、線が刻まれた。

 誰も声を掛けられない。宗一も美代子も、由衣は半身を乗り出し、康太は唇を噛み、康史と眞美も目が離せない。

 やがて紙の上に浮かび上がったのは、人の顔だった。

 あのとき夢だと思っていた、鋭い眼光と歪んだ口元。

 大樹の記憶の奥底に、理解できないまま沈められていた断片が、今、一つの像として結ばれた。

 鉛筆を握る指先は白く力み、涙が紙に滲む。

「……この人です」

 大樹の震える声が、重い沈黙を切り裂いた。

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