第39話 われても末に 其の三 瀬を速み

 三日後、康太が大樹の自宅アパートを訪れ、由衣と大樹の前に座った。

「お前ら、いい加減首突っ込むの止めろ!」

「オニイとタクちゃんがやったんだから、あたし達だっていいじゃん。それに大樹のおかげで反社の連中も逮捕できたし」

「だから、お前ら危なっかしいんだ。奴らは何れ逮捕できた」

 由衣はニッと笑みをこぼしてスマホの画面を見せた。

「これ、お兄ちゃんでしょ? 大樹は、お兄ちゃんに気づいたからあんなこと言ったの」 

「ブッ! お前いつの間に…… 消しとけよ! あと一つ、柏原さんから検出した1D―LSDと奴らのものは成分が違った。柏原さんが摂取したのは、奴らが扱っているブツではない」

「えっ!」

 由衣と大樹は顔を見合わせた。


 取調べの結果、したセイア、本名;雨宮光喜あまみやこうきは、柏原氏の薬物摂取については、関わりは無いと結論が出た。

 雨宮は平たく言うと売れないホストだ。

 ホストの稼ぎだけでは生活ができず、昼間は東京ビッグサイトのカフェでバイトをしていた。

 柏原氏から検出された薬物は、反社組織で扱っているものと別物。他の逮捕者の供述では、セイアの役割では、薬物を手にする機会はないとのこと。

 雨宮の供述内容は以下である。

 さっき出て行った男がフラフラしたり、シャキッとしたりして店の前を歩く姿が見えた。LSDを飲んだのかも知れないと思った。店長に断って店を出て後を着けた。助ける気は毛頭無く興味本位だった。


「結局、あたし達、骨折り損のくたびれ儲けだったのね」

「そんなことない。反社組織を一つ潰せた」

 土曜の午後、カフェアプロで愚痴る拓斗を康史がなだめていると、由衣と大樹が店に入って来た。

「あっ! あの子達よ。ケーキ頼んであげましょ」

 二人が席に着くと、拓斗がメニューを開いた。

「好きなの頼んでいいわよ」

 康史が、ケーキを食べ終えた由衣と大樹を見据えた。

「で、大機君、見せたいものって?」

「残像を再生すると、カフェの窓を通して瑛太さんが見えました。三時十三分に、近くを通ったときです」

「残像って大樹の頭に記録された映像よ」

 由衣は大樹のオデコをチョコッとつついた。

 大樹は、スケッチブックをカバンから出し、一枚のイラストを見せた。

「確かに瑛太ね。いつものジャケット着ているわ」

「瑛太さんは左利きですか?」

「そうよ。よくわかったわね」

「欄干から飛び上がったとき、左手で拳を突き上げたので」

「瑛太、ラーメン屋とかで左に座ると、俺の水、よく間違えて飲んでいたな」

「あっ!」

 拓斗、康史、由衣が同時に声を上げた。コップが柏原氏の左に置かれており、水が半分以下に減っていた。


 三人から話を聴き、大樹が描いたイラスト受け取った康太は、早速、捜査本部に出向いた。柏原氏の左隣に座った者がコップの水のLSDを混ぜ、柏原氏の左側に置いたものと推定できた。

 だが、コップはとっくに洗浄され、薬物の検出は不可能。店内を防犯カメラは出入り口を映すのみ。目撃情報はなく、その後、一週間経過するも有力な情報は得られていない。


 土曜日、康史、拓斗、由衣と大樹は再びカフェアプロに集合した。

「瑛太さんが展示会に行った理由は何ですか?」

 大樹の問いに、まず拓斗が応えた。

「そうねえ…… そのイベント”ジャジャのエッチな日常”でしたっけ?」

 由衣が吹き出す。

「ブッ! タクちゃん、”奇妙な日常”ですよ」

「冗談よ。瑛太、ジャジャに興味はないし。康史、何かない?」

「思い当たることはない。けど、飛び上がる前に瑛太は、(覚悟しろ)って叫んだんだろ? その言葉がどうにも気になる」

「五年前、瑛太のアパートの近所の一家四人が、奥多摩のキャンプ場で惨殺される未解決の事件だけど。殺された姉弟は、清掃ボランティア活動に瑛太と一緒に参加していた。瑛太、涙を浮かべて犯人を許さないって言っていたわ]

「犯人を探し当てたとしたら(覚悟しろ)とは犯人に対する言葉だ」

「ジャジャには、LSDを敵対者に飲ませる話があるわ。犯人はジャジャにのめり込んでいてイベントに来た。犯人は、瑛太さんに見つかって逆襲した」

 大樹の問いに、康史、拓斗、由衣が次々と意見を述べ、事件の背景が見えて来たように思えた。


 康史から話を聞いた康太は、奥多摩一家四人殺人事件の捜査本部に連絡した。結果、康史ら四人が直接、情報提供することになった。

 翌日の日曜日、警視庁新宿署の一室、警視庁捜査一課の山県刑事、柿崎刑事、康太、康史、拓斗、由衣と大樹が席に着いた。大村の事件が解決後、山県刑事と柿崎刑事は、奥多摩の事件の捜査本部に加わっていた。


 目を閉じて瞑想か居眠りか判断のつかない大樹を除き、三人がそれぞれ話し終え、柿崎刑事がまとめた。

「被害者の姉弟と柏原さんは親交があった。犯人はジャジャのマニアでイベントに来た。(覚悟しろ)とは犯人に対するもので、柏原氏は目撃した。犯人は、左側の飲料を間違えて飲んでしまう柏原氏の癖を知っている。カフェでコップの水にLSDを仕込んだ。ということですね。班長、まずは、これらの情報を元に、捜査資料に挙がっている全員の洗い直しと、イベント会場と周辺の防犯カメラを全てを確認しましょう」

「うむ、本部に進言する。狛江の事件と違法薬物事件が一挙に解決するかもしれんな。皆さん、ありがとう」

 休憩に入るところで、大樹が恐る恐る手を上げた

「済みません、あのー…… あのときの柏原さんの視線は、信号機にとまるトカゲを咥えたカラスに向いてました。柏原さんはトカゲやカエルが大好きです。(覚悟しろ)とは、ウルネコマンになった柏原さんがカラスに発した言葉だと考えます」

「えっ……!?」という驚きと、「はぁ……」と漏れるため息が重なり、高揚した場の空気は瞬く間に雲散霧消うんさんむしょうした。

 この場には、大樹の並外れた観察眼に疑いを持つ者はいない。

 由衣が大樹の頬をギューッとつねる。

「早く言えぇぇぇー! この天然小僧!」

「アイテテテテテ」


 十分程の休憩後、沈んだ空気の中で、大樹がポツリと洩らした。

「……よけいなことかも知れませんけど」

 全員の視線が集まると、大樹はさらに縮こまった。

「カフェの窓から見えた柏原さんは、唇が……〈セ・オ・ハ・ヤ〉って動いていました。前後は見ていないので、それだけです」

 誰も言葉を発せず、首を捻るばかり。

「それ、(瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う)でしょ!」

 由衣が沈黙を破り、得意げにまくし立てた。

「小倉百人一首、崇徳院の恋の歌。未練を断ち切れない思いを詠んだやつよ」

「そういや瑛太…… 彼女と別れて落ち込んでいたわ」

 拓斗が何度か頷き、康史は苦笑しながらも目を潤ませた。

「そんな時でも国文学者だな。せめて、彼女が見舞いに来たって伝えたい」

 和歌など露ほども知らず、首を捻っていた柿崎刑事が口を挟んだ。

「セオハヤって…… セオという名字に、名前がハヤ何チャラってことは?」

 康太が反射的にテーブルを叩いた。

瀬尾隼人せおはやと…… 奥多摩の事件で容疑者の一人に上がっていた男だ。アリバイがあるって外されたんじゃなかったか?」

 康太は未解決凶悪事件の捜査資料を全てを、目を通していた。

 瀬尾隼人は、三十六歳・東京都足立区在住・職業不詳である。

 山県刑事の目が鋭く光った。

「奴を洗い直すよう捜査本部に伝える」

 椅子を引く金属音が響き、山県刑事が立ち上がって出口に向かい、柿崎刑事も慌ただしく続いた。

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