第37話 われても末に 其の一 支離滅裂

 日曜日、由衣と大樹は、人気アニメ「ジャジャの奇妙な日常」のシーズン三、終了記念で、東京ビッグサイトで開催されている展示会に行った。

 帰りの午後三時半頃、会場を出て歩行者デッキを歩く大勢の人達に混じって駅に向かう由衣と大樹の前に、二十代前半と思われる男が立ち塞がった。

「イエス・キリストと、お釈迦様と、天照大神あまてらすおおみかみは、どなたが一番偉いですか?」

 男は大樹を見据え厳かに質す。周囲の人々は唖然とするも興味津々の様子。

「信仰によります。人それぞれです」

 と大樹が答えると、男は首を振った。

「違います。お釈迦様です」

「どうしてですか?」

「オチンコが一番大きいからです」 

 周りの人達がドッと笑った。

「オチンチンの大きさで偉さは決まりません。そもそも天照大神にはオチンチンがありません」

 恥ずかしい言葉を平気で口にする大樹、由衣は堪らず袖を引いた。

「やめましょ」

 由衣を無視して男は応じた。

「ないから一番偉くないのです」

 取り巻く人達がまたドッと笑い声を上げ、以後、止むことはなかった。

「納得できないので一端保留にします。では、お釈迦様のオチンチンがイエスのオチンチンより大きい根拠は?」

「お釈迦様はご誕生のとき、天上天下唯我独珍てんじょうてんげゆいがどくちんと仰せになりました。何よりの証拠です」

「それは唯我独尊ゆいがどくそんです」

「我がオチンコはお釈迦様のオチンコと同じくらい大きい。”所業は滅びゆく怠ることなく務めよ”」

「それがなぜオチンチンが……」

 支離滅裂な言葉を放つ男に大真面目に応える大樹、笑い声は益々高くなり、由衣は我慢の限界に達した。

「もうっ! 大樹、いい加減にしなさいっ!」

 由衣が大樹の手を引いて歩き出すと、男はデッキの欄干に駆け上がった。

「覚悟しろ!」

 と叫んだ男は拳を突き出し、掛け声を上げて飛び上がった。

「シュワッチ!」

 口を開けて唖然とする人達、誰もが止める間もなく、男は小さな弧を描いて落下して行った。程なく車の急ブレーキ音と、ドスンと鈍い音が響いた。


 その夜、二人は康太に呼ばれ、康太・眞美夫妻のマンションを訪れた。

 席に着いた康太は、浮かない顔をしてテーブルに並んで座る由衣と大樹を見据えた。

「デッキから飛び下りた男は命だけは取り留めた。血液検査の結果、1D―LSDという幻覚を引き起こす違法薬物を摂取していた。大樹君が男と議論したこと、由衣が止めさせたことは関係ない」

「それってニュースになったマンションから飛び降りた学生が使用していた薬?」

 と由衣が質すと、康太はゆっくりと頷いた。

「そうだ。警視庁組織犯罪対策課が捜査を開始した」

「大樹、あたし達のせいじゃなかった」

 由衣がほっとした顔を向けると、大樹は僅かな笑みを浮かべた。

「で、男は、康史の中学校の同級生だった。康史に状況を伝えた。親友だったようだな」

 由衣と大樹は顔を見合わせて、再び沈んだ顔になった。

「二人とも元気出して。今晩はカレーと、卵焼き工夫してみるわ」

 眞美が後ろから声を掛けると、由衣が振り向いた。

「お義姉ねえさん、お手伝いします」

 卵焼きを一口食べた大樹は「美味しいです」と、ひと言、口にした。

 残念ながら眞美が作った卵焼きは、大樹の母の味ではなかったようである。


 大樹を議論へ巻き込み、歩行者デッキから飛び下りた男は、柏原瑛太かしはらえいた・東京都狛江市在住・二十四歳、都内の立政大学文学部国文学研究室の大学院生だった。

 警視庁の薬物担当チームは柏原氏の自宅アパートを捜索した。結果、違法薬物は発見できなかった。アパートには、数えきれないほど専門書や資料の他、三十体もの歴代ウルネコマンとカエルやトカゲなど両生類・爬虫類のフィギアが飾ってあった。

 同じ研究室の院生の話では、柏原氏は至って真面目、教授の覚えもよく、違法薬物に手を出すとは考えられないとのこと。


 事故当日、柏原氏の足取りを調べた結果、十三時三十三分に現場近くのカフェに入り、十五時十五分に出て行く姿が防犯カメラに映っていた。だが、誰かと接触した映像や目撃情報は得られなかった。

 また、午後三時二十分ごろ、事故現場に向かう歩行者デッキでは、おぼつかない足取りと、軍隊の行進めいた歩みを、交互に繰り返す柏原氏が目撃されていた。防犯カメラにも、午後三時二十五分に同様な姿の柏原氏が映っていた。

 以上の状況から、柏原氏がカフェで口にした飲み物に、違法薬物の1D―LSDが混入していたと推察できた。しかし、使用した容器は特定不能で、何れも洗浄済みで薬物の検出は不可能であった。

 大樹の自宅アパート、康太が同席の上、由衣と大樹は警視庁薬物担当捜査員から事情聴取を受けた。大樹は柏原氏との会話を全て伝えた。


 その週の土曜日、由衣の次兄、康史が高見沢家に帰って来た。

 康史は、経産省つくば研究センター量子・AI融合技術研究所に配属された。しばらくは大宮駅から電車を乗り継いで通っていた。いよいよ多忙になって先々月、現地の賃貸しマンションに引っ越し、ひと月半ぶりの帰宅だ。

「大樹君、しばらく見ないうちに大きくなったね」

 康史が大樹に声を掛けると、由衣は文句をたれた。

「オニイ、大きくなったって子供みたいに言わないで」

「いや、大人びたってことさ」

「そりゃ、あたしが日々しつけ…… あっ! しつけなくてもこうなったの」

 口を尖らせる大樹を目にして慌てて取り繕う由衣である。


「由衣、無駄口叩いてないで眞美さんを手伝いなさい。それと康史、週末は必ず顔見せなさいよ。そんなに遠くじゃないんだし。お父さん、一人だと飲み過ぎるんだからさ」

と、ローストビーフを盛った皿をテーブルに置きつつ、美代子がまくし立て、

「康太はたまにしか来られんし、大樹君は一年以上先だしな」

 宗一が頷き、キッチンに向かう由衣が振り返った。

「お母さん、オニイは週末、彼女とデートなの」

「知っているわよ。連れて来ればいいでしょ」

 返事に困っている康史に、康太が、誰もが気遣って口に出さない話題へ振った。

「康史、柏原さんの見舞いに行ったんだろ?」

「ああ、ICUに収容されて面会できる状況じゃなかった。ご両親、お兄さん、お姉さんと会った。家族の様子から、かなり危険な状態だと思う」

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