第35話 三猿 其の五 二つの人格
翌日の月曜日、刈谷英真君の事件で、お世話になった埼玉県立医療大学脳神経内科・医学博士武藤教授の研究室に、康太、由衣と大樹、弁護士の名和健志郎が訪問した。
康太が武藤教授に事件の概要を説明後、大樹は、千佳が由衣のフェイク動画の元になった女性だと明かした上で、気になった千佳の様子を描いたイラストを見せながら、昨日、会話した内容を寸分たがわずに伝えた。
何度も頷きながら聞き終えた武藤教授が口を開く。
「間違いない。彼女はDID、解離性同一性障害だ。彼女が話す彼氏は、彼女が恐怖を感じたときに現れる人格で、彼女は彼氏が物理的に存在してないことを認識していない。トラウマ体験への適応として形成された別人格だろう。また、彼氏の妹も、彼氏の支配下のもう一つの人格で、物理的に存在しない」
「えーっ! 千佳は彼氏のこと楽しそうに話してました。信じられないです」
由衣が声高に反論すると、武藤教授は根拠を示した。
「福光君が彼氏に関する具体的なことを聞いても、彼女は答えられなかった。手を繋いだときの感覚とか、匂いとか。また、彼女以外の誰も彼氏の存在を認識していない。彼氏が現れたときの記憶があやふやで、会っている最中の記憶が飛んでいる、別れたときの記憶もない」
「こんなことって…… トラウマ体験って男から暴行されたとか?」
「そんなところだろうが、彼女はその記憶を封じ込めたと思う。念のため言っておくが、その記憶を無理やり引き出そうとすると、彼女は壊れてしまう可能性が高い。決してやってはいけない」
由衣は両手で顔を覆い、康太が舌打ちした。
「塩谷千佳に関する記録はない。即ち警察は事件として把握していない」
武藤教授が、大樹に探るような視線を向けた。
「君は凄いねー! 彼女に何か違和感を覚えて質問したんだろ?」
「千佳さんがフェイク動画の元になった女性か確かめるために会いました。仕草や表情から間違いないと思いました。でも、清楚な印象だったので変だと思い、動画を作った別の人格が存在するかどうか、いろいろ質問しました」
「なるほど! 将来、僕の研究室に来ないかい?」
「彼は外科志望なんです」
由衣が慌てて割り込み、大樹は不思議そうに首を捻った。
「塩谷千佳が、彼氏がいると思い込んでるなら、フェイク動画を牧本に送った理由がわからん。胸をギリギリまで開いて見せる動画もあった…… イテッ」
由衣が康太の向こうずねを蹴った。
「エッチ! …… あっ! フェイク動画を送ったのは、妹!」
武藤教授が頷いた。
「そうですね。彼氏の妹の人格に違いない。支配的な人格である彼氏に何か魂胆があると思われますね」
「牧本氏は塩谷千佳がDIDになった原因に関わっているかも知れない。彼の過去を徹底的に洗おう。武藤先生、ありがとうございました」
「事件の解決に、お役に立てれば何よりです」
康太に礼を返した武藤教授は、名刺を見ながら健志郎に顔を向けた。
「弁護士先生がお見えになるってことは、彼女の弁護を考えてらっしゃる?」
「はい、そんなところです」
健志郎は自信ありげに大きく頷いた。その実(厄介なことを持ち込んで来たわい)とばかりに由衣と大樹に顔を向け、「フッ」と軽くため息を吐いた。
康太から報告を受け、捜査本部は、殺害された牧本氏と千佳が、過去に関わりがあった可能性が高いとし、捜査を進めた。
一方、康太は、被害者に相応しい最後を演出するという岡安と風間の共通した行為が気になり、担当検事に頼んで再捜査の指示を出して貰った。
米田刑事が同席の上、康太は岡安に対して、適法ぎりぎりの尋問を始めた。
「やはり、お前が、牧本氏も殺したんだろ?」
「いや、絶対やってないです」
「なら、これからの質問に全て正直に答えるなら信じてやる。二人以上やると死刑か無期の可能性が高いからな、では、川谷氏に相応しい最後を演出するというのは、お前自身の考えか?」
「SNSで知り合ったコトハさんの言葉に共感して思い付きました」
「どんな言葉だ?」
「人の最後は、生前の行いに相応しい姿にするべき、という考え方です」
「なるほど。コトハは、どこの誰だか知っているか?」
「知らないです。ネットだけの仲です」
「いつ頃から付き合い始めた?」
「二年ぐらい前」
「コトハの写真は見たか?」
「はい、顔と身体も」
同席している米田刑事が二枚の写真を出した。由衣に似せたフェイク動画の一場面と、千佳の写真だ。
「両方ともコトハではないです。スマホに動画を保存してある」
康太は、保管していた岡安のスマホを取り寄せ、手渡した。
「この人です」
動画を見た康太は違和感を覚えた。(これはフェイク動画だろう)
「コトハとはどんなやり取りをした?」
「殺したいほど憎い奴がいると伝えたら、殺害方法を教えてくれた」
「その方法は?」
「捕まらないようにナイロン製の手袋、足袋、上下、フードを身に着け、濡れタオルを巻いた鈍器で頭を殴って昏倒させて、とどめをさせなど、いろいろ」
康太は風間に対しても同様な尋問をし、同様な供述を得た。異なる点は風間がコトハとやり取りを始めたのは一年半前だった。
ちなみに岡安と風間のスマホには、特定のダークウェブに接続していた痕跡が確認されたが、接続先は存在しなかった。細川氏と川谷氏の殺害が
SNSで岡安と風間に接触したコトハは牧本氏に接触したアイラと同一、さらに牧本氏の殺害については、千佳の彼氏の人格が関与しているに違いないと、康太は考えた。
そこで、塩谷千佳の男性人格に尋問しようと目論み、合法的に千佳の男性人格を出現させる方法を、武藤教授に相談した。
結果、次のような回答を得た。
「威圧的な取り調べをすれば出現するだろう。だが、ご承知だと思うが、これは故意に再トラウマ化を促す非人道的行為で違法捜査になる。精神科医と弁護士が同席し、あくまでも医療的・倫理的枠組みの中で慎重かつ、本人の保護を最優先にする面接を行い、特定の刺激や言葉への反応を共有し、気長にやるしかないですな」
康太は、由衣と大樹を自宅に招いて夕食を共にし、捜査状況を話してから独り言のように呟いた。
「今、こういう状況なんだが、早く報告上げなきゃいかんし、困ったなー」
「簡単じゃん! 怖い顔の刑事が、千佳を怖がらせる芝居をすればいいのよ」
と由衣が返すと、康太は軽く舌打ちして忌々しそうに顎を摩った。
「だから、それは違法捜査になるんだって」
「ふーん」
由衣は、大樹を見据えたが、知らぬ顔でリンゴを食べている。
「大樹君、康太さんが恥を忍んで相談しているんだからさ」
眞美が促すと、大樹は斜め上に目線を向け、少々考えてから口を開いた。
「彼氏の人格を出すのは武藤先生のおっしゃる通り慎重にやる必要があって難しいです。それより積極的で、お喋りで、エッチな妹の人格を出し、由衣さんが世間話をすれば、色々喋ってくれると思います」
「妹の人格はどうやって出すの?」
由衣の問いに大樹は口をつぐむ。分かっているくせに言いたくないのだ。
眞美が大樹に顔を向け、笑みをこぼした。
「大樹君が、千佳さんに積極的にアプローチすれば、きっと出て来るわ!」
「そうか!」
康太は破顔するが、由衣と大樹は細かく首を振った。
「ダメ!」
「イヤです」
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