第32話 三猿 其の二 縄張り
週末の土曜日、埼玉県立医療大学の学園祭である。
由衣と大樹は、上田美穂と橋田和也が所属する神楽舞サークルの公演を見た後、特に目的もなく学内をブラブラしていた。
「和也、美穂に無理やり引き込まれたけど、けっこう様になっていたわね」
「うん、美穂さんもキレイに舞ってた。由衣はサークルに誘われなかったの?」
「断ったわよ。あたしがやったら目立ち過ぎちゃうでしょ」
「えーと……」
大樹がどう答えてよいか迷っているうちに由衣が声を上げた。
「あっ! アルコールパッチテストやってる。大樹、受けなよ」
「由衣は?」
「以前、受けて陰性だった。オトンもオカンもオニイ達も、みんな大酒飲みだから当然だけどね」
テストの結果、大樹は陰性だった。
「よかった! 大樹は、酔っ払って寝てしまわないわね。オトン、喜ぶわよ」
「あと四百六十九日、待たなければなりません。由衣は四百四十九日です」
「ねえ、そういうとき、どうして一年と三か月半って言わないの?」
「ごめん」
「はあー …… 謝ることじゃないから」
翌日、由衣と大樹は、車で迎えに来た青山刑事と一緒に、大宮警察署に向かった。三人は、康太と米田刑事が待つ一室に入り、席に着いた。
康太は由衣を見据えた。
「お前のフェイク動画を牧本氏に送ったアイラの件だが、アカウントは削除されていた。牧本氏のスマホは発見できず、犯人が持ち去ったと思われる。牧本氏の携帯番号から、動画とアイラとのやり取りは一部復元できた。だが、IPアドレスを追ったが、海外のVPN経由と判明し、これ以上の追跡は断念した」
由衣はイラついた顔を見せた。
「よくわかんないけど、アイラは捕まえられないんでしょ。じゃあ、今さら何を聞きたいのよ。あたし達だって暇じゃないんだから」
青山刑事が頭を下げた。
「すいません。いや、あの実はですね。捜査が難航してまして……」
青山刑事の意図を察した大樹が口を開く。
「事件の情報を教えてください?」
青山刑事がおずおずと顔を向けると、米田刑事は大きく頷いた。
「では、最初の事件ですが、被害者は
「はい、次の事件もお願いします」
「その五日後に、第二の事件が発生しました。被害者は、
「二人の評判や人となりを分かる範囲で教えてください」
今度は米田刑事が応じた。
「川谷氏はこの四月に教頭になった。教員及び生徒の評判は至って真面目、黙々と仕事をこなすタイプ。生徒の中には授業がつまらないと言う者もいる。細川氏は、仕入れ担当の係長、口達者でそつが無く上司の評価は高く、部下の評判も良い。だが、中には、上ばっかり見て小賢しいと言う者もいる」
「見ざる言わざる聞かざるの
由衣が口を出すと、康太は苦笑した。
「クッ! 無くなった人にクソ野郎とは、いくら嫌な目にあったとはいえ言い過ぎだぞ。まあ、人それぞれ隠れた顔があるものだ。今は何とも言えん。ともかく準備万端整えた計画的犯行だろう」
青山刑事は何度も頷き、得意げに語った。
「そうですね。指紋、毛髪、皮膚片、体毛、下足痕、繊維片など、何れの現場でも採取できませんでした。フード、マスク、ビニール製の手袋や作業服、シューカバーなどを身に着け、犯行時間を出来るだけ短くしたと思われます。かなり手慣れていると思いますが、データベースには該当する者は見当たりません」
「はあー、三人の周りに共通する人物はいないか洗っているが、一向に浮かび上がらん。やっかいな事件ですなー」
米田刑事がため息交じりに洩らし、場が事情聴取というより、捜査会議のようになった。
大樹が由衣をチラ見してから、口を開いた。
「三件の殺害現場を見たいです」
米田刑事が破顔し、由衣は苦々しい顔を見せる。
「おっ! 我らがヒー」
由衣が鷹の様な眼光を放ち、青山刑事が即座に声を上げた。
「班長!」
三件目の事件現場は東武線岩槻駅から徒歩十七、八分程の牧本氏の一戸建て自宅の玄関先である。周辺は広い庭と屋敷森を持つ農家と畑ばかりだが、所々に比較的新しい住居が点在していた。
朝の十時頃、家を訪れた近所の人が玄関先に倒れている牧本氏を発見した。
両親は既に死去、姉は結婚後、神奈川県厚木市に移住、未婚で他に兄弟は無く、牧本氏は一人暮らしだった。牧本家は農家だったが、牧本氏は農業を継がず、両親の死後、田畑を売り払っていた。
現場検証と司法解剖の結果、牧本氏は玄関の鍵を開けている最中に背後から鈍器で頭頂部を一撃、昏倒したところを
牧本氏の自宅は侵入された痕跡はなく、所持品の内、財布、免許証はあったが、携帯は見付からず、犯人が持ち去ったものと考えられた。
「もういいです」
五分程、牧本氏宅の敷地を歩き回った大樹が米田刑事に伝えた。
事件から一週間経過し、現場から事件の痕跡を見つけるのは、ほとんど期待できない状況だった。
「さすがに福光さんでも、何も見つけられなかったようですね」
青山刑事が洩らし、米田刑事も同意した。
「そのようだな。これからは直ぐに連れて来ないと」
「それはダメです!」
由衣が身震いするような強い目線を二人に投げた。
「タヌキのタメグソがありました!」
大樹が唐突に
「何それぇぇぇー!」
「タヌキはウンコを…… ん!」
大樹の口を由衣が素早く塞いだ。大樹がときどき飛んでもないことを口にして人を困惑させる為、思わず手が出たのだ。
「由衣! いいから大樹君に話を続けさせろ」
「もうっ! わかったわよっ!」
由衣は渋々従って手を放し、大樹は再開した。
「タヌキはウンコを決まった所にします。これをタヌキのタメグソと言って主に縄張りを主張する行為です。庭にはイチョウの木があって、ギンナンがたくさん落ちていました。タヌキの大好物です。東側の路地に面した垣根の近くにタメグソがあって、強烈な悪臭を放っていました。垣根は人一人が通れるほどの隙間があり、タメグソの山の一端がつぶれていました。犯人はそこから出入りし、タメグソを踏んだと思われます」
「おれ、踏んでねえだろうな?」
米田刑事は片足を上げ、前のめりになって靴底を確認する。
苦笑した康太が目配せし、大樹は続けた。
「それで、犯人がシューカバーを使用していたら、ギンナンを食べたタヌキのウンコが着いて耐えがたい悪臭を放っていたはず。犯人はシューカバーを近くに捨てて逃走した可能性が高いです」
青山刑事が嬉々とした声を上げた。
「シューカバーが見つかれば、内側から汗、体毛、皮脂など、外側から指紋などが検出できる可能性があって、メーカーも特定もできる! 班長、警察犬係を呼びましょう」
「おーっ! 急ぎ手配してくれ」
米田刑事は、大樹に笑顔を向けた。
「で、福光さん、タメグソとやらはどこにあるんだい?」
「こちらです」
皆が着いて行き、一人、取り残された由衣は、腕を組んでぶーたれた。
「まったく付き合ってらんなーい」
大樹らは家の東側に回った。
「ここです」
大樹が指し示し、皆が近くに寄った。
「くっせえぇぇぇー」
顔を近付けた米田刑事が、けたたましい声を上げた。
しばし待つと、警察犬係の滝口巡査と警察犬を乗せたワゴン車が到着した。
タメグソを嗅いだ警察犬は、よほど臭かったのか「キゃン」と泣いて由衣の方に逃げて来た。
由衣は、警察犬の顎下と首回りを撫でながら、リードに引っ張られて傍に来た滝口巡査に尋ねた。
「この子は何という名前ですか?」
「レオです」
由衣はレオの頭を撫で回す。
「お仕事とはいえ、あんなもの嗅がされてー、レオちゃん、かわいそう」
大樹が棒切れを持って来て、由衣に見せた。
「これなら大丈夫だと思います」
「何それ?」
「タヌキのウンコをチョコッとつつきました」
「キャッ!」
大樹は滝口巡査に棒切れを手渡した。
棒切れを嗅いだレオは、牧本家から七十メートルほど離れた市道まで追跡し、側溝の排水溝に鼻を近付け、滝口巡査を見上げて「ワン」と一回吠えた。
直ちに側溝のカバーが外され、シューカバーが発見された。ここ一週間、雨が降らなかったことが幸いした。
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