第31話 三猿 其の一 フェイク動画

 十一月、大安吉日の日曜日、由衣の長兄、康太が結婚した。

 相手は、高見沢眞美たかみざわまみ、旧姓;今田いまだ、二十七歳、埼玉県庁保健衛生部勤務、獣医師である。

 二人が知り合ったのは、高校へ電車通学を始めて間もない頃。康太が大宮駅で、真美が次の駅で乗車し、降車駅は二人とも浦和駅。互いに気になって同じ電車、同じ車両に乗るようになった。

 きっかけが無くそんな状態が一月程続いたある日、康太は彼女に異常に接近している中年男を目にした。彼女の助けを求める目付きに気付いた康太は、男と彼女の間に割って入る。睨み付ける康太に男は舌打ちをして引き下がった。

 二人が浦和駅で降車し、彼女が礼を言って互いの姓名を名乗った。以来、電車の中で言葉を交わすようになり、自然と付き合いが始まった。以後、高校、大学、就職後も交際は続き、本日、めでたく結婚に至った。

 康太・眞美夫妻は、新婚旅行を先延ばしにした。現在、世間を騒がせている連続殺人事件の捜査支援の為だ。眞美夫人は元より覚悟は出来ていて承知の上。康太は、事件が片付いたら埋め合わせに長い休暇を取る予定だ。

 結婚式の二次会には大樹も出席した。由衣は、式場の壁際の椅子で居眠りを始めた大樹を引っ張り、康太・眞美夫妻に挨拶してホテルの式場を出た。

 大樹は、たくさんの知らない人達に話し掛けられて疲れ切ってしまった。大樹が幾つもの事件の解決に大きな役割を果たしたことは、警察関係者の多くが知るところである。


 その週の土曜日、買い物に出た由衣と大樹は、一休みしようと参道沿いのコーヒーショップ、カフェアプロに入った。

 大樹がトイレにたち、由衣がコーヒーを飲んでいると、中年男がテーブルの脇に立った。

「アイラさん、やっと会えましたね。牧本です」

「ん? 人違いしていませんか?」

 由衣は不定するが、男は由衣の前に勝手に座った。

「いやーっ! この動画よりすっとカワイイじゃないか!」 

 男は動画が流れるスマホを由衣の前に置いた。

「まばたきと眼球の動き、肌の質感、表情の変化などが不自然で、頭と背景の境界がぼやけています。これはフェイク動画です」

 由衣の隣に座ってスマホを覗き込んだ大樹が口を出すと、男は声を荒げた。

「耳障りだ! お前は口を出すな!」

「だから人違いですって。あたしはアイラという女性ではないです」

 由衣がはっきり不定しても、男は聞く耳を持たない。

「今日はたくさん用意して来た。これで生活は楽になるぞ」

「いい加減にしてください!」

「いいから、いいから、こんなとこ出てホテルに行こう」

 とうとう堪忍袋の緒が切れ、由衣は一気にまくしたてた。

「いい加にしろっ! どこの誰だか知らねーが、薄毛腹ボテ短足中年ブ男には用はねえんだよっ! ヨレヨレのシャツに薄汚い上着にパンツ、使い古した買い物袋下げて、そんな格好でよく若い子に声かけられるもんだ! バーコードみてーな頭しやがって! スマホで読んでやろうか? ピッて音がして(僕は勘違い男の勘助でーす)なんで音声が流れるんじゃねーの? 袋からオニギリが見えるぞ! 昼飯の残り? 貧乏くせー! そういやオメー、オニギリみてーな顔してんな! 上が尖って下が膨らんで、ノリを頭に貼り付けてやるよ! バーコード隠せるし、よく似合うってもんだあぁぁ!」

 由衣はあっという間に、オニギリを袋から取り出し、男の頭にベチャッと押し付けた。

 男はしばらくポカンと口を開けて呆然としていたが、頭に手をやって潰れたオニギリに触り、目を剝いて唇を震わせた。

「ななななな、何すんだぁぁぁぁ!!」

 大樹は、掴み掛かかる男の手を払い除け、立ち上がって由衣を背後に庇った。 

 大樹が由衣の手を引いてレジに向かおうとすると、男は立ち塞がった。

「逃げるんじゃねー!」

 伸びてきた男の手に襟を掴まれると、大樹は、手首を取って軽く捻った。

「手を放してください」

「なにを! クソガキが! イテッ!」

「手を放してください」

 店に入って来た警察官が男に向かって野太い声を上げた。

「君、その子から手を放しなさい! ん? ブハハハッ! お前、頭に何を載せてんだ!」

 しばしば、この店を訪れる由衣と大樹は、マスターと顔見知りである。由衣は、まくし立てる直前、マスターに目配せして、近くの交番の方に顔を向けていた。


 翌日、由衣と大樹は、康太に昼食に呼ばれ、康太・眞美夫妻の自宅マンションを訪れた。

 二人の前に食後のコーヒーを置いた眞美が、大樹に話し掛けた。

「大樹君、昨日は由衣さんかばって一歩も引かなかったそうね。偉いわねー」

「いえ……」

 大樹は一言返すも、顔を下に向けて唇を噛んだ。

「アレ? 大樹君、変な男に絡まれてショック受けちゃったの?」

 由衣が首を振った。

「違うんです。警官が男に向かって(その子から手を放しなさい!)って怒鳴ったの。男も警官も大柄で、大樹は童顔だから子供に見えたんでしょうね」

「そういうこと! キャハハ…… あっ! ごめんなさい」

 由衣が大樹の頬をチョコチョコつついた。

「いつまでムスッてしてんのー」


 食後、しばし隣室にこもっていた康太が由衣と大樹の前に座った。

「待たせてすまん」

「あたしも聞かせてもらっていいわよね?」

 と言いながら眞美が、康太の前にコーヒーを置き、隣の席に着いた。

 康太は、由衣と大樹を見据えた。

「男は謝罪し、お前たちは被害届を出さなかったそうだな。この件は、それでよい。で、お前たちが帰った後、俺も同席して調書を取った。男は、牧本吉弘まきもとよしひろ、四十九歳、さいたま市岩槻区在住、物流会社社員だ。牧本は、ネットで知り合ったアイラという女性と人違いしたと認めた。由衣のフェイク動画は牧本だけに送られていた。勝手に写真を使われた可能性が高く、名誉棄損に当たるので担当部署が捜査を開始した」

「奴以外には動画見てないのね。ちょっと安心。でも、腹が立つ。早く捕まえてね」

 由衣が返した直後に、康太の携帯が鳴った。

「なに!」「で?」「そうか」と洩らし、康太は呆然として携帯を切った。

「牧本氏の他殺体が岩槻の自宅で見つかった。両耳が切り取られていたそうだ。今から行く」

「キャッ!」

 眞美と由衣が悲鳴を上げた。


「見ざる、言わざる、聞かざる…… 三つそろった」

 康太が出て行った後、眞美が呟いた。

「それって、どういうことですか?」

 由衣が質すと、眞美は「アッ」と洩らして口に手を当てた。

「絶対、誰にも言わないでね。報道されてないから」

「はい」

「同一犯かと話題になっている連続殺人事件だけどね。実は、大宮の事件の被害者の男性は、両目がえぐり取られていた。浦和の事件の被害者の男性は、舌が切り取られていた。で、今度の事件」

「何それぇぇぇー!」

 由衣が絹を裂くような声を上げた。


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