第27話 中華料理店 其の二 黒い灰

 五日後の木曜日、午前の講義が休講になり、由衣と大樹は、友美の了承を得、九時に開店前の中華料理店に立ち寄った。父親と慎一は外出中だった。

 踊るような足取りで和菓子とお茶を持ってきた友美を見て、由衣は笑みをこぼした。

「友美、何かいいことがあったでしょ? もしかして彼氏できた?」

「エヘヘ、バレちゃった! そうよ」

「やっぱり松風旅館の息子さん?」

「うん、由衣のおかげ。次の日も来てくれてチャーシューと煮卵おまけしたら、すっごく喜んで連絡先交換したの。で、昨日、連絡が来て駅前の男爵亭でケーキご馳走になった。そのあと(付き合って欲しい)って言われちゃった」

「よかったー!」

 由衣と友美は満面の笑みを浮かべてハイタッチを交わした。

 

 友美に続いて、由衣と大樹は階段を上った。上り詰めた所で、大樹は座り込んで床を注意深く眺め、目地に詰まった黒いゴミを爪で掻き取り、臭いを嗅いだ。

「何してるの?」

 由衣が質すが、大樹は友美に顔を向けた。

「ここでバナナを踏み潰したことありますか?」

 なぜそんなことを聞くのかと、友美は首を傾げた。

「うちは誰もバナナをほとんど食べないので、あり得ないです」

 続いて三人がベランダに出ると、大樹はあちこち見回し、ベランダの隅に置かれた灰皿スタンドの傍に行き、指先で底をぬぐってまた臭いを嗅いだ。

「吸い殻の他に、木を燃やした灰も混じってます」

「大樹、さっきから何してんの? 後で手をよく洗いなさいよ」

 耳に入らないのか、こめかみに指を当て、ときどき鼻の辺りを擦りながらベランダの端から端まで行ったり来たりする大樹に、由衣はとうとう切れた。

「大樹、ちゃんと説明しなさいっ!」

 大樹が足を止めて友美と由衣に顔を向けると、由衣は「プッ」と吹き出し、友美は急ぎウェットティッシュを持って来て由衣に渡した。 

「ガキか! まったくー」

 由衣は灰であちこち黒くなった大樹の顔をふいた。


 大樹は何事も無かったように喋り出した。

「まず、事実を述べます。階段の降り口の床の継ぎ目が黒くなっていて、微かにバナナが腐った臭いがしました。バナナの皮にはムシレージという触れたものを滑り易くする粘性物質が含まれており、保湿クリームなどに使用されます。それからベランダに隣の家から伸びたキョウチクトウの枝があって、折られた跡がありました。灰皿の蓋を開けると、タバコの吸い殻以外の微弱な刺激臭がありました。キョウチクトウを燃やすと、非常に危険なオレアンドリンという化学物質が発生します」

 友美と由衣は目を丸くして頷き、大樹は話を続けた。

「ここからは僕の推測です。Sさんが、お母さんがいつものように洗濯物を干す時刻の少し前、ベランダでキョウチクトウの枝を折り、灰皿で燃やしました。その後、お母さんがベランダに出て、洗濯物を干している間、Sさんは階段の降り口に、床を滑り易くするために保湿クリームを塗りました。その後、急いで外出しました」

 友美と由衣は顔が引きつり、声も出ない。

 大樹は続けた。

「お母さんはベランダでキョウチクトウから発生したオレアンドリンを吸い込み、強いめまいを起こしました。フラフラになったお母さんは、階段の降り口で滑って転落しました。Sさんは近くで家を見張っていて、お母さんとお父さんを乗せた救急車の出発後、家に入りました。そして、灰皿のキョウチクトウの燃えカスを回収し、階段の降り口の保湿クリームを拭き取りました。こうして証拠を消して、また出て行きました」

 由衣は、緊迫した面持ちで友美を見据えた。

「友美、兄に話すからね。このままだと友美も危ない」

 呆然としている友美は無言で頷いた。大樹のいう”Sさん”は、義兄の慎一以外考えられない。


 由衣が携帯で康太に説明し、康太から連絡を受け、埼玉県警の刑事二人が宮川家に駆け付け、続いて鑑識官数名が到着した。

 大樹は刑事と鑑識官らに事情を説明しながら、友美と由衣と一緒に階段の降り口の床を見せ、次にベランダに出て、灰皿スタンドと、隣家からはみ出る折れたキョウチクトウの枝を指し示した。

 刑事らは三人に事情聴取を始めた。鑑識は階段の降り口、ベランダの灰皿と燐家のキョウチクトウ、その周辺の写真を何枚も撮った。その後、灰皿スタンドロを押収し、階段の降り口の床の継ぎ目に詰まった黒い物質を採取し、臨家に断ってキョウチクトウの枝を取得した。

 刑事が、慎一の行く先に心当たりはないか尋ねたが、友美は「見当も付きません」と答え、首を捻るばかり。


 科捜研で灰皿から臨家のキョウチクトウを燃やした灰と同一の成分、床板の隙間から採取した物質に市販の保湿クリームと同一の成分が、それぞれ検出された。

 さらに宮川家に程近いドラッグストアの店員が、保湿クリームを購入した慎一の顔を覚えていた。

 慎一の写真を見た女性の店員は、自分で使うとは思えない髭面の汚ならしい男が購入したので印象に残ったと証言した。

 県警は逮捕状を取り、宮川慎一の確保に向けて緊急配備を敷き、防犯カメラや目撃情報から慎一の足取りを追った、だが、一週間経っても有力な情報は得られず、埼玉県警は慎一の一般指名手配の手続きを取り、顔写真や特徴など、各都道府県警察に配布した。

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