第25話 山なみ 其の四 カツラ
長野県警の捜査本部は、八王子ナンバーのバイクを手掛かりに、安曇野近辺の防犯カメラの確認、近隣住民からの目撃情報収集、加えて八王子駅と新宿駅の防犯カメラに映る不審な行動をする人物の捜索と、可能な限りの人員を投入した。
元より、大館恵梨香の家族、友人・知人、仕事関係、引っ越し前後の近隣住民、周辺人物のから聞き込み・洗い出しを継続して行っていた。
だが、容疑者は一向に浮かび上がらなかった。
由衣と大樹と美穂は民宿の食堂で、頼まれもしないのに退屈しのぎで、枝豆の袋詰めなどをして過ごしていた。八王子駅に行って以来、外出は和也の両親と一緒に面会に行っただけ。由衣も大樹も観光する気にはなれなかった。
枝豆のさやを、もぎ取って袋詰めしていた大樹が、フイっと顔を上げた。
「駅の防犯カメラの映像を見たい」
同じことしていた由衣が、喜色満面の顔を起こし、携帯を取った。
「お兄ちゃん、大樹が防犯カメラの映像見たいって」
由衣と大樹と美穂は捜査本部が置かれている松本署に車で向かった。
大樹は、捜査本部が入手した新宿駅と八王子駅と八王子駅周辺の防犯カメラの映像全てを、最高速で別々のモニターに再生してもらって観察した。
「もしかして、あんなに多くの、あんなに早いのを、全部一緒に見てるの?」
と美穂が聞くと、由衣は頷いた。
「うん、おそらく全て記憶して頭の中で照合している」
新宿駅で中央線に乗車、八王子駅で降車、八王子駅周辺で五十CC バイクに乗る十八人の男を、大樹は、人相、風体から抽出した。顔が見えなくても、服装、体格、歩き方などから大樹は判別できる。
中の一人は、八王子駅で美穂に突っかかった男が逮捕されたとき、取り囲む群衆の中、ニヤついた顔を見せていた身長170センチ程の中年男だった。
翌日の午後六時、新宿駅構内、中央線下りホームに向かう人々を、柱の陰から観察していた大樹は、例の中年男を見つけてピタリと後ろに着いた。
視線をチラチラ飛ばしながら歩く男が、突然進路をやや右に逸らし、歩きスマホをしている女性に向かって直線的に動いた。
男が身体を固め、肩を突き出す姿勢を見せたとき、大樹は声を上げた。
「由衣!」
由衣は顔を上げてニッと笑みを見せ、男が由衣に激突する間際にさっと避ける。男はうつ伏せで大の字になって二メートル程滑り、カツラが飛んで地肌が光る頭頂部が晒された。
「カッパみたい。 ブッ!」
「ブブッ! そうね」
由衣と美穂が吹き出した。
由衣の後ろを歩いていた男が二人、倒れた男の両脇を抱えて立たせた。
大樹がカツラを拾ってあちこち眺めていると、由衣が叱責した。
「大樹、汚らしいから返しなさい!」
大樹がカツラを男の頭に載せ、右腕を拘束している男が声をかけた。
「暴行容疑で同行願います…… ブッ! ヅラが後ろ前だ」
大樹は、男が使う上りエスカレーターを防犯カメラの映像から把握しており、由衣は歩きスマホをする振りをして周囲に気を配り、美穂は動画を撮影していた。康太が承知の上の打ち合わせ通りの行動だった。
逮捕された男は、電子部品商社社員、東京都八王子市在住、
木沢の取調べが行われた。だが、木沢は「俺がやった証拠を出せ」、「女に突っかかったと言うが、足がもつれて転んだだけだ」などとほざいて大館さんの殺害容疑を否認した。大樹が特定しただけで有力な証拠や目撃情報は皆無であり、予想されたことである。
上田家の食堂、由衣と美穂は浮かない顔を見せ合い、大樹は目を閉じ、寝ているか起きているか不明だ。
「あいつ、口を割らないってお兄ちゃんが言っていた」
「大樹君がせっかく探し出したのに」
「証拠がないからねー」
由衣がプリプリした顔を向けると、大樹はパッと目を開いた。
「事件現場に木沢のカツラが落ちている可能性が高いです。空き家の窓から見えた光は、カツラがない木沢の頭から反射した光だと思います」
大樹は、木沢のカツラが新しいことに気づいたのだ。
由衣から連絡を受けた康太の進言により、事件現場付近から下流に向けて川の捜索が行われた。事件現場周辺は既に徹底的に捜索されており、唯一実施してなかったからだ。
結果、五十メートル程下流で川辺に生える葦に絡まった男性用カツラが発見された。直ちに科捜研で分析が行われ、カツラに使用されている人毛以外の毛髪、さらに微量のアクリル樹脂と顔料が採取された。
毛髪から検出されたDNAが木沢のものと一致し、アクリル樹脂と顔料は、大館さんが使用していたマニュキュアの成分と一致した。
”河童の川流れ”ならぬ”カツラの川流れ”、さすがに言い訳できず、極め付けの”ぶつかりおじさん”は奈落の底に流された。
以下は木沢の供述内容である。
新宿駅で女にぶつかろうとしたが、うまくかわされ、勢い余って転がってしまった。カツラが取れて周りの人達に笑われた。女はさげすむような目を向け、「キモオヤジ!」と一言放って立ち去った。
腹が立って報復しようと女の後を着けた。立川駅で降りたので一緒に降り、女のアパートを突き止めた。
その後、女のアパートに行くと、引っ越し業者が女の部屋から荷物を運び出していた。そこで業者のトラックを、タクシーを拾って後を着け、引っ越し先を確認した。
何度か引っ越し先にバイクで行き、女が毎朝ジョギングに出ると知った。そこでコース近くのボロい空き家に侵入して監視した。
その日、正面から女に近付いて「俺を覚えてないか?」と質した。女は気づき、「ヅラのキモオヤジが何の用?」と返した。
手をついて謝れば許してやったのに馬鹿な女だ。立ち去る振りをして踵を返し、助走を付けて女に思いっ切り体当たりした。その際、カツラをはぎ取られたが、女は勢いよく土手を転げ落ちた。カツラを探したが見つからず、遠くに人影が見えたので諦め、急いで空き家に戻った。
その後の様子を空き家でしばし観察した。若い男が来て救急車に女が乗せられたのを見た。急ぎバイクで逃げる途中、とぼとぼ歩く邪魔な犬を引っ掛けた。
「年上の男に敬意を払わない若い女を、いつものように身体で教育してやっただけだ。まさか死ぬとは思わなかった」と最後に木沢は言ってのけた。
木沢は防犯カメラの死角で日常的に若い女性にぶつかる行為をしていた。木沢には残りの生涯を掛けて償わなければならない厳罰が下るであろう。
大樹らが迎えに行って、和也は上田家に帰ってき来た。
晴れて無実が証明された和也を祝って宴会になった。
和也は至って元気だ。
「いい経験になったし、拘留日数に応じて寝ているだけで保証金が出る。アルバイトより効率がよい…… ん! イテテテテテ」
と和也はほざいて、美穂に頬を思いっ切りつねられた。
「あたし達がどれだけ心配したか、あんたの為に大機君を始め、あたし達がどれだけ頑張ったか、みっちり教えてあげる!」
「その一つがこれよ。カワイイでしょ」
由衣が、密かにスマホで撮った女装した大樹を和也に見せ、上田家の人達も後ろから覗いた。
「ん? あーっ! アハハハハハ、ほんとに女の子かと思った」
「アハハハハハ」
気が付いて爆笑する和也と上田家の面々である。
「今すぐ消してくださいっ!」
顔を真っ赤にした大樹が叫び立てた。
滞在が大幅に延び、由衣と大樹は明日、康太の車で美ヶ原に寄って帰宅する。長い間拘留された和也は、美穂の勧めで、数日間滞在を延ばして身体を癒すことになった。
翌早朝、康太が運転する車に由衣と大樹、和也が運転する車に美穂が乗り、二台の車は事件現場に立ち寄った。
西方の山なみは、穂高岳、槍ヶ岳などの山頂が朝日を浴びて赤からオレンジに染まり、空は、青からオレンジ、赤、薄いピンクへとグラデーションを描く。
事件が解決した今、改めて気づかされる絶景をバックに、全員が、事件現場の土手下に向かって手を合わせた。
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