第21話 夏空 其の四 猫の記憶
早朝、大宮公園のボートが乗り場近くの池のほとり、ベンチにボーッと座っている大樹に、美しい女性が声を掛けた。
様々な問いかけに大樹は一言二言返すのみ。 女性は大樹の隣に座り、話題を少しずつ卑猥な方向に振って行った。
「あんた、経験ないでしょ?」
「何の経験ですか?」
「アホか! アレに決まっているでしょ」
「アレって何ですか?」
「とんでもないガキだな。じゃあ、教えてあげるからお姉さんちに来る?」
「遠慮します。寛太を動物病院に連れて行って定期健診してもらうから」
「寛太ってネコ?」
「はい」
大樹はベンチの下の置いていたキャリーケースを引っ張り出した。女性の隣に置くと、寛太は「シャーッ、グルルル、ウワーオ」と、オス猫同士の喧嘩でよく耳にする強烈な唸り声を上げた。
「なによ! そのネコ!」
「寛太はあなたを覚えていました」
「あたしは、そんなネコ見たこともない!」
「足先が白いこのネコに見覚えはないですか? 寛太は六年前、あなたがエアガンで撃った子ネコです」
「アッ!」
「ウゥゥゥウアーオォーン」と寛太の敵意むき出し唸り声が響く中、女性の顔から血の気が引き、唇が震えた。
ベンチに盗聴器を仕掛け、後方で見守りながら聞いていた康太と米田刑事と青山刑事が女性を取り囲み、隣のベンチで少女マンガを読んでいる振りをして聞き耳を立てていた由衣が大樹の手を引いた。
青山刑事が女性に警察手帳を見せた。
「六年前、行方不明になり、先日、ご遺体が見つかった刈谷英真君に関してお話を聞きたく、ご同行願います」
大樹の意見を聞いた康太は、捜査本部を動かした。
捜査本部は、桧山裕也周辺の女性から容疑者を特定しようと、裕也の尾行、友人・知人への聞き込み、防犯カメラの確認、目撃情報の収集と、多くの人員を割いた。だが、一向に浮かび上がらなかった。
そんなおり、早朝に大宮公園を時々散歩をする高齢男性から、貴重な目撃情報が得られた。
昨年の夏、その男性がベンチに座っていると、前方のベンチに背を向けて座る若そうな女性が、少年が横切ると首を回して眺めていた。遠目でも判る美少年が通ったとき、立ち上がって後を追ったとのこと。但し、その女性の顔は見ていない。
裕也はけっこうな美青年である。大樹ならと接近してくると考えた康太は、「その女が無理やりキスしたり、オッパイ押し付けたりしたらどうすんの?」と反対する由衣を押し切り、大樹に協力を頼んだ。
大樹は、寛太は犯人を覚えている可能性があり、連れて行くと主張した。猫は、個体差はあるが意外と記憶力に優れている。特に恐怖と痛い思いはドラウマになり、長く記憶に残る。
女性は
郁美は送検され、検察官が録音を流して追究した。
しかし、郁美は、
「ネコを証人にするんか? 前代未聞の裁判なるな! アハハハハ」
と爆笑した。
そこで、検察官は裕也に録音を聞かせると、祐也はいとも簡単に落ちた。
検察官が、祐也が自白したと告げると、郁美は「あのヘタレ!」と呟き、英真君の殺害を認めた。
以下は祐也と郁美の供述を元にした事件の真相である
郁美は美少年に目が無く、日々物色し、見つけると本能的に行動してしまう性向があった。
引っ越し早々、早朝から大宮公園の中をジョギングする少年の目利きをしていた。最初に目を付けたのが、当時十五歳の高校一年生、桧山裕也だった。
その外見と気さくな言葉遣いから郁美にとって思春期の少年を誘惑するのは、たやすいこと。郁美と裕也は出会ったその日に男女の関係になり、郁美のアパートか、昼は祐也以外の誰も居ない桧山家で逢瀬を重ねた。
そんな日々が二月ほど続いた頃、変化が起きた。
桧山家が物置に使っている軒下に野良猫が子猫三匹を連れて居座った。裕也の母親は追い出すでもなく保護するでもなくほっておいたが、そのうち裕也に世話を任せてピアノ教室で飼うようになった。
そこで、郁美のサディスティックな性格が顔を出した。
郁美は護身用と称して実家から持ってきたエアガンで、面白半分に猫親子を狙い撃ちした。そのエアガンは銃刀法規制対象の準空気中に相当した。元より気の弱い裕也は、キレると恐ろしい郁美の鬼畜な振る舞いに目をつぶった。程なく子猫一匹と反撃した母猫が死亡した。
その様子を目撃したのが刈谷英真君だ。
事件の日、二人が行為中に二匹の子猫を助けようと、ピアノ教室の専用出入口から侵入した英真君は、寛太を逃がすことに成功するも、郁美に見つかってしまう。
激怒した郁美は、英真君ともう一匹の子猫にエアガンを乱射して死亡させた。その後、二人で部屋の後始末をし、後に陶芸工房になる裏庭に遺骸を埋めた。その後、祐也がエアガンを分解して不燃ゴミで処分。祐也は、両親に母猫と子猫は一緒に逃げたと説明した。
事件後、さすがに二人は会うことを控えるようになった。だが、ときどき人目を忍んで郁美の車でラブホテルに行き、関係を続けていた。
裕也にとって郁美は初体験をさせてくれた忘れられない女性であり、取っ替え引っ替え相手を変える郁美も、事件の発覚を畏れて裕也を引き留めておく必要があった。
康太は高見沢家で由衣と大樹に真相を語った。
「酷い!」
由衣は涙をこぼし、すり寄ってきた寛太を大樹が抱えた。
「小学生のとき、ゴハンをあげていたノラネコに寛太はそっくりなんです」
「へー! そのネコの名前は?」
「勘助って勝手に呼んでました。雌ネコの後を着けては拒否されていたけど」
「キャハハハ、勘違いネコの勘助じゃん」
「五年生の冬休み、勘助は僕を見上げ、(ニャー)と一声鳴いて姿を消しました」
「そうなの…… 最後のお別れをしたんだ。寛太は勘助の生まれ変わりかも」
「そう思いたいです。ところで、寛太を刈谷さんに見せに行こうと思うんだけど」
「欲しいって言われたら、大樹はどうするの?」
「やっぱり、英真君が命がけで助けたのだから……」
「わかったわ」
土曜日の早朝、由衣と大樹は、寛太を連れて刈谷家を訪問した。途中、ネコ用のリードを繋げられた寛太は、朝早く涼しいこともあり、あちこち動き回ったので、徒歩十分のところが三十分程かかった。
母親は寛太を撫でながら涙をこぼし、父親は目頭を押さえる。
「お前は、英真が命がけで守ったのね」
「英真、偉かったなー」
英真君の十三歳の妹と十歳の弟は、堪らず、すすり泣いた。
由衣と大樹は英真君の遺影に手を合わせた後、リビングに通された。アイスコーヒーとプリンをご馳走になっている間、姉弟はゴムボールやネコジャラシで寛太と遊んだ。そこへ先住の雌ネコも加わった。
そして案の定、二人は寛太を飼いたいと言い出した。三毛の雌ネコとの相性も良かった。
しかし、いざ由衣と大樹が辞して玄関に向かうと、遊んでいた寛太は追いかけて来て大樹にまとわり着いた。
「いい子にしているのよ」
由衣が声を掛け、二人が玄関を出ると、寛太は悲しげな声で何度も鳴いた。
その様子を目にした姉弟は心変わりした。
「やっぱりこの子は、高見沢さんの家にいる方が幸せです。ときどき様子を見に行っていいですか?」
由衣は目を潤ませた。
「もちろんよ」
寛太が、高見沢家に向かってケヤキ並木の歩道を駆け出した。
リードに引かれて由衣が走り出し、大樹も一緒に走る。
二人の目に映る夏空に浮かぶ積み雲は、汗と涙で霞んでいだ。
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