第13話 BとG 其の二 嫌な奴
六月半ば、梅雨入り直前の金曜日、由衣と大樹は帰宅の途についた。二人はサークルには入っていない。学業が忙しいのもあるが、大樹は早く帰ってイラストを描きたい。由衣は大樹の傍で過ごし、ときどき茶化すのが楽しみ。先日の決意はもちろん忘れてないが、由衣にとっては生きがいである。
大樹が今朝から何となく浮かない顔をしているので、由衣は問い質した。
「大樹、何かあった? 朝から何かいつもと違う」
「うん…… 嫌な男が、今朝、乗った電車の先頭車両にいるのを見た」
「ん? 乗ったのは最後尾…… 窓から見えたのね。で、嫌な男って?」
由衣は、高速でホームに侵入する電車の窓を通して見えたと理解した。毎度のことだからさして驚かない。
「高校の同級生の大村、彼が中明大学に入ったことを忘れてた」
中明大学は法学部が有名な私立大学で、一回生のみが通学するキャンパスの最寄り駅が、二人が通う大学と同じである。
「ふーん…… もしかして苛められていた?」
「というか、彼は、自分は頭が良く人格者で指導力があって将来大物になると思い込んでた。僕を子分と勝手に見なしてあれこれ押し付けてきた」
「えー! ひどい勘違い野郎ね。でも大学が違うし、出会うことないでしょ」
由衣の予想はあっさり外れた。二人がコーヒーショップの横を通り過ぎたとき、「新井!」と背後から大きな声が上がった。大樹が今話したばかりの大村だった。”新井”とは大樹が養子だったときの姓だ。
大村は、コーヒーショップの窓から大樹を見かけ、急ぎ店から出て来たのだ。彼は、大樹が高一、高三のときのクラスメイトだった。といっても高校入学で浪人しており、さらに一年生のとき落第しているので二歳上だ。
大村は尊大な振る舞いが目立ち、クラスの中で浮いた存在だった。それでも打算的なメリットからか数人の取り巻きがいた。大村の父親は神奈川県秦野市の大地主で県会議員、地元の有力者である。
二人が振り向くと、大村は、馬鹿みたいに口を開けて立ち竦んだ。
「そっ、その子は、お前の彼女か?」
由衣に嫌らしい目を向ける大村に、大樹は無言で頷く。
「そうか、まあ、そのうち…… ところでお前、今どこに住んでるんだ?」
「さいたま市大宮区」
「やっぱりな。どうせボロッちい安アパートなんだろ? 貧乏なお前が行ける大学の近くだからな。俺は中野のマンションさ。一年間我慢すれば乗り換え無しで通える。所詮、お前とは格がちがうからな」
「あなたねっ!」
由衣が口を挟んできたので、大樹は慌てて手の平を見せて抑えた。
大村がスマホを出した。
「ところでお前、番号変えたろ? 一年間は近くて楽しみにしていたのに。お前の帰りを待ち伏せしていたんだぜ。まあいい。連絡先交換しよう」
「君とは交換したくない」
と大樹がボソッと洩らすと、大村は目をむいて険しい声を放った。
「勝手に変えておいて何のつもりだ! それでも親切に言ってるんじゃねえかっ!」
今度は、大樹は大きな声を上げた。
「だから君とは交換したくないです」
「苛められていたお前を、たびたび助けてやったのは誰だっ!」
「鈴木と山田と斎藤が、君に言われてわざとやっていたと、卒業式の後で謝ってくれた」
大村が「ウッ」と呻いて言葉に詰まった隙に、由衣が口を挟んだ。
「そのくらいにしておきましょ。あなた大樹君に嫌われているってわかったでしょ。あなたもここで大樹君との関わりを断った方がスッキリするわよ」
「男同士のことだ。お前には関係ないから黙ってろっ!」
大村が怒鳴り付けるが、由衣はまったく怯まない。
「男同士ってどういう意味ですか? あなたと大樹君は高校が同じってだけで、お友達じゃないから男の友情じゃないですよね。なぜ大機君に付きまとうの? もしかしてあなたは大樹君を、BLの対象と見ていません?」
図星を突かれたのか、大村の顔面が紅潮した。
「なな、何言ってる、女がいいに決まってんだろっ! お前だって、こんな女に生まれた方が良かったような奴より、男らしい俺の方がいいだろ?」
「あなた相手にするくらいなら、ゴリラの方が百万倍ましっ! あなた、残念なお顔で、お姿もふくよか過ぎて、さらに独りよがりの性格で、女の子は誰一人相手にしない。そこでターゲットを美少年に切り替えたのね?」
「黙れっ! このアマァァァー!」
「少年って……」
大樹がぼやくが由衣は無視して続けた。
「やっぱりそうじゃん。でも大機君だって選ぶ権利あるし、そんな嗜好はまるっきりないから残念ね。あなた、外見がアレなんだから、せめてその性格直す努力しないと友人、ましてパートナーは一生できないわよ」
大村の真っ赤に歪んだ顔がブルブル震えている。
延々と続きそうな毒舌を止めさせようと大樹は、「それくらいで」と呟いて由衣の袖を引く。同時に大村が跳躍し、由衣の両肩に両手を突き当てた。
由衣の目に映る大村の憤怒の形相は顎から徐々に欠けて全て消え去った。大きな樅の木の枝葉が流れて青空が視界を覆ったとき、由衣は最悪の事態を自覚した。このままでは後頭部が縁石に叩き付けられ、最悪死ぬかも知れないと。
由衣は突然、首と背中が柔らかく圧迫される感触を覚えた。大樹が寸でのところで支えていた。
大村は両手を前方に突き出したまま、駅の方に向かってドタドタと走り去った。何ともコミカルな姿だ。
大樹が由衣の手を取って一緒に立ち上がった。
目撃していた十人前後の人達がほっとした表情を見せて拍手している中、由衣はこぼれんばかりの笑顔を浮かべて大樹に抱き着いた。
「大樹、ありがとう」
「人が見ているよー」
言うまでもなく大樹の顔は真っ赤だ。
二人がアパートに帰った途端、大樹が由衣の胸を指して心配そうに尋ねた。
「ねえ、大村にそこ押されなかった?」
由衣は笑みを浮かべ、大樹の手を取って胸元に引き寄せた。
「クスッ、そんなこと心配してたんだ。大丈夫、肩を押されただけよ。じゃあ、大樹が押して」
大樹の顔は瞬く間に真っ赤になり、慌てて由衣の手を振り払った。
「えええ、遠慮します!」
「アハハハハ」
相変わらずの二人である。
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